2011/06/06

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おひさしぶりです。

今はFacebookにいますんで、よろしくお願いします。
知り合いの方はそちらにきてください。

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2011/01/15

『エゾジカのパイ包み黒胡椒ソース』

 そのフレンチレストランは、僕らの家から車で五分ほどの場所にあった。
 以前訪れたのはずいぶん前のことだったが、あのときもたしかこんなふうによく晴れた冬の日だった。のんびり自転車を走らせていた僕と家人は、魚市場の裏路地にそっと佇んだ、このちいさなレストランを見つけた。
 料理や自家製のパンはやさしく牧歌的な味がして、ギャルソンの対応は清々しかったけれど、なによりこの店は豊かな陽光が降りそそぐテラス席が最高だった。淡いクリーム色で統一された店内に広がるやわらかな光に包まれながら、僕らはゆったり食事と会話を楽しんだ。

 僕はすこし細くなった家人の肩をそっと抱きながら、何年かぶりにそのレストランの扉を押した。
 迎えてくれたマダムは以前の人とは違っていた。いや、給仕だけでなく、シェフも店の名も以前とは変わっていた。前の店はどこかに移転してしまい、また別の料理人がここにフレンチレストランを構えたのだそうだ。店舗はいわゆる居抜きというやつで、店内はテラス席も含めてほとんど変わってはいなかった。
 家人はコートとマフラーをマダムに手渡すと、ゆっくりと丁寧に頭を下げてから、僕の向かいに腰をおろした。開店直後のレストランに他の客はおらず、僕らは窓際のテラス席に座ることができた。
 僕を見あげる家人の瞳には力がない。頬もすこし痩けたように見える。最近は薬の副作用でうまく呂律がまわらないことも多い。それでも彼女は、微笑みを絶やさない。
 こうして家に戻ってきているときはいいが、病院食が口に合わないのか、食堂で他の患者さんたちと食事をするのがつらいせいか、彼女はすっかり痩せてしまった。あまり顔に出ていないのが幸いだ、などと頷きながら、僕は料理の説明を聞いた。

 僕自身もまたそうとうに疲弊していることを自覚していた。日中は心がきゅっと萎んでいるような気がして、ここ数日は何もやる気が起こらなかった。どうにか子どもたちにごはんを食べさせて、風呂に入れて、爪を切って、保育園の支度をして、遠足のお弁当の準備をして、デザートにリンゴを剥いて、寝かしつけて、ビールを飲んだ。ときには遅くまで、浴びるように飲むこともあった。
 子どもたちのことを考えて、食事だけは気をつけていた。野菜が不足しないように、栄養が偏らないように、なおかつ楽しんで食べられるように、毎日インターネットで献立を探し、考えた。だから今日のように子どもたちのいない昼食は、インスタントラーメンか何かですませてしまおうと考えていた。
「あのお店にいかない?」居間で洗濯物をたたみながら、家人が言った。「食べられるかわからないけど、あのレストラン、すごくいい雰囲気だったよね」
「君が料理そっちのけでパンばかり食べてたあの店?」
「だって美味しかったんだもん」
 家人はうまくまわらない口をゆっくり動かして言うと、鼻梁をしかめてそっと微笑んだ。ぼんやり白光りした部屋に、ちいさな花が音もなく咲いたようだった。今にも倒れてしまいそうな、細くちいさな花。

 僕らはランチではなく、安いプリフィックスのコースを選んだ。家人がよくわからないと言うので、メインディッシュだけ選ばせて、前菜とスープ、デザートは僕がそれぞれ注文した。
 アミューズは二種類のチーズのパイ。パイと言っても、細長いチーズの焼き菓子といった感じだ。バターとチーズの風味と塩味がちょうどよく、僕はビールが飲みたいと思った。
「これ、おいしい」
 家人は嬉しそうに目を丸くしてそう言った。パイをつまんだその手もまた以前より骨張っていて、薬指からは結婚指輪がすり抜けて落ちてしまいそうだ。
 家人の前菜は三種盛り合わせ。鯵と赤カブのヴィネグレット和えに、白ワインがきいた季節野菜のさっぱりとしたチーズフォンデュと、パテ・ド・カンパーニュ。肉と魚と野菜がバランスよく盛りこまれていて、彩りがよく、見事な皿だった。
 僕のほうはフォワグラのソテーがのった一口サイズのリゾット。本当はフォワグラのテリーヌが食べたかったのだけれど、あいにく今日はなかったのでおまかせにしたのだ。バターでふんわりとソテーされたフォワグラを口に入れると、忘れていた衝撃が蘇った。

 僕が厨房でフランス料理をつくっていたのはわずか一年くらいのことで、自分が料理人だなどとは口が裂けても言えないけれど、僕に料理を教えてくれたシェフのおかげで、フランス料理の楽しみ方を知ることができた。すこしやんちゃでシャイだけど、芯の一本通った同い年のあのシェフには本当に感謝している。あの人のおかげで、僕の人生はまたひとつ豊かになった。
「フレンチは格式張ったもんじゃないんだよ。いちばん楽しめる食事なんだ。マナーなんて最低限のことが守られていればいい。わからないことはギャルソンに訊くんだよ。どんな質問にも答えるのが一流のギャルソンで、一流の店さ」
 シェフは酔いのまわった瞳でそう言った。
「落としたフォークを拾ってはいけない、ってことじゃないんだよ。落としたフォークを拾わなくていいってことなんだ。料理もサービスも知識も、すべてが一流なのさ。でもだからって客が高級ぶることはないんだよ。客は身を任せて自由に楽しむものなんだ」
 僕はシェフの言葉を思い出して、フォワグラとリゾットをまとめて口に運んだ。濃厚な風味が口の中に広がり、頭の奥にまた衝撃が走った。
「だけど知っておいた方がいいマナーというかルールはいくつかある。たとえば、魚の下にソースが敷いてあって、上に野菜が盛られている場合、上品ぶってそれぞれを別に食べたんじゃあ意味がない。すべてをまとめて口に入れて初めて、料理人が提示した味になるんだよ。それがマリアージュさ」
 マリアージュはフランス語で結婚という意味だが、料理の世界では味の組み合わせという意味で使われる。たしかにフォワグラのソテーはいい味だが、クリームのきいたリゾットと一緒に食べると風味が倍増する。
 シェフの言うとおり、大切なことは料理を楽しむことだ。しゃちほこばっていては味なんてわからないじゃないか。
 僕はマナー違反とわかりつつも、自分のフォークにリゾットとフォワグラを乗せて、家人の口に運んだ。家人はお返しとばかりに、チーズフォンデュのブロッコリーを僕に食べさせた。つきあい始めたばかりの恋人同士みたいだったけど、他に客はいないし、恥ずかしがる必要はないように思えた。それに僕の気持ちは真剣だった。
 彼女に、美味しいものを食べさせてあげたかった。
 スープは二人ともニンジンのポタージュ。ニンジンと他の野菜の甘み、塩味、クリームの配合が絶妙だった。
「あれ? スープって手前から奥にすくうんだっけ?」
 家人が一言一言区切るように言う。
「どっちだっていいんだよ」
 僕はぞんざいにこたえて、わざと音をたててスープをすする。家人はまたふっと微笑む。
 
 しばらくして運ばれてきた僕のメインは牡蛎と平目のバプール。僕はフレンチのメインはだいたい魚を選ぶことにしている。皮をぱりっと焼いたポワレがいちばん好きだけど、ふんわり蒸しあげたバプールも悪くない。牡蛎も平目もぷっくりとやわらかくて、すこし濃いめのソースによく合っていた。
 メインが運ばれてくる頃には、家人の食欲を心配する必要はなくなっていた。一皿一皿の量が少ないせいもあったが、家人はすべての料理を時間をかけつつもきちんと残さず食べていた。
 だけど家人は夕方にはまた病院に戻り、食堂に独りぽつんと座って、薄味のそっけない料理をむりやり喉に押しこむ。そして涙する。
 僕はそれとわからないように、そっと目頭を押さえた。鼻の奥に熱いものがこみあげるのがわかった。ここのところひどく涙もろい。
 愛する人が食べ物をきちんと食べてくれる。
 たったそれだけのことが、僕にこの上ない歓びをくれる。
 年末に、三人の子どもたちが熱を出した。それぞれインフルエンザとおたふく風邪が併発して、四十度の高熱が日夜問わず続いた。病院と家を何度も往復して、独りで看病と食事の世話をしていると、誰がどうなっているのかわからなくなるくらいに僕の頭の中も滅茶苦茶になっていった。
 いつも大騒ぎしてうるさくてしょうがなかった子どもたちがぐったりして、食事もままならない様子は、それだけで僕の心を締めつけた。
 元日の朝になってようやく子どもたちの熱が下がり、安堵の溜息を漏らした僕と家人は、揃って九度の熱を出してぶっ倒れた。体中の節々が痛んで横になっているのも辛いほどだったけれど、元気な子どもたちの声が救いだった。
 ふらふらになった家人がこしらえた野菜うどんを、子どもたちはたくさん食べた。この一週間の食事を補うように、何度もお代わりをした。僕は嬉しくなって泣いてしまった。

 家人のメインは、エゾジカのパイ包み黒胡椒ソースだった。
「シカってクセが強そうだけど、大丈夫かなあ?」
「どうだろうな? だけどジビエだから、クセも風味の内だろう」僕はまた知ったような口をきく。
 家人はゆっくりパイにナイフを入れる。ほわっと微かに湯気が上がって、エゾジカの赤黒い肉が姿をあらわす。家人はパイと鹿肉を一緒に口に運ぶと、うつむいたまま言った。
「気のきいたこと言えないけど……」
「うん」
「ホントに……、おいしいよ」
 家人は微笑んでそう言うと、またパイを食べはじめた。
 テラスの窓からは向かいの日本家屋が見えた。街は冬空に浸食されて、すべてが白んでいる。魚市場の軽トラが、路地をゆっくり走り抜けていった。Img_2700_2


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2010/12/22

僕の薬菜飯店……江ノ島。

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Kamogawa, CHIBA

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2010/09/22

林檎的二進法生活のススメ。

Img_3469 過日。我が家に四代目のマッキントッシュがやってきました、ヤア、ヤア、ヤア!
 購入したのはMacBook Pro 2400/13.3 MC374J/A。スペックは書斎のiMac(Early2008)とあんまし変わらない。OSがSnow Leopardになっているのとメモリが標準でiMacの四倍の4G乗っているくらいかな、目立つ違いは。だからあんまり操作感には期待していなかったんだけど、使ってみるとぜんぜんチゲーーー!

 Snow Leopardと4Gメモリのおかげか、とにかくすべてがサクサク。ってかやっぱりiMacのメモリが1Gってのが少なすぎるんだなと実感。Snow Leopardの変更点はわずかだけど、それでも日常的に使っているとスピードや操作感に違いが感じられる。
 あと噂には聞いていたけど、トラックパッドがまじスゲ—。iPhoneで有名になったタッチパネル技術が使われていて、二本指、三本指、四本指を駆使して、あらゆることができます。たしかにここまで便利だとマウスが要らないよなあ、とか思っていたら、Magic Trackpadとかいって単体で売られてるんですね。次期iMac付属のキーボードにはマウスじゃなくてこれがついたりして。ホントに、それくらい使いやすい。けど面倒だからいつものように詳細は省くよ。
 あとiLifeね。これはiPhoto、iTunes、iMovie、GarageBandなんかのアプリの総称で、Appleはこれらのアプリで写真、音楽、動画をイージーに管理、編集して、かつイージーにそれらのメディアを複合させることを念頭に置いている。だいたい毎年リニューアルされているんだけど、今回のiLife'09もなかなか秀逸です。ってかホントに、CPUの処理速度、メモリ、アプリの成熟度なんかを鑑みると、ようやく完全に実用レベルになってきたなあという気がします。
 はっきり言って初期のiLife(当時この名称はなかったけど)は今考えると実用にはほど遠かった。でも当時は、iTunesで音楽を聴きながら、iPhotoで写真を管理して「無料のバンドルソフトでこんなことができるんだ—!」と興奮していたわけです。スッゲー時間がかかってたけどね。iBookG3でiMovie使って動画編集してた頃は本当に時間をかけてたもんなあ。あんときゃヒマだったからなあ。今はマックもiMovieも進化してそうとうスピードアップしてるんだけど、それでも使いこなす時間がない。
 そーそー、iPhoto'09のFacesだったかな? って機能がなかなかおもしろい。個人の顔に名前を設定すると、コンピュータがそれを元にその人が写っている写真を選別してくれる機能で、僕は当初、そんなもん何が愉しいんだ? と思っていたのだけれど、愉しいんです。とくに子どもがいる人は、成長の過程が手に取るようにわかって素晴らしいです。あとコンピュータのバグがけっこう笑える。どうしてもミスはあるもので、僕の選別写真に長男や長女が紛れ込むことはしょっちゅうあるし、我が家の三兄妹なんてみんなそっくりなんでかなりコンピュータが迷っている様子がうかがえるんだけど、たまに友人の選別写真になぜかスイカの切り身が紛れていたり、庭の水道の蛇口とかヴァンダレイ・シウバのフィギュアの顔とか授業参観でご一緒した禿げ散らかしたどこかのお父さんなんかが紛れていて、家族で爆笑しています。

 iPod、iPhone、iPadの普及で、WindowsからのSwitch組が増えているらしいけど、今ならホントに胸を張ってマッキントッシュを誰にでも薦められますね。
 だけどマッキントッシュおよびApple製品を使う際のポイントがひとつあります。スティーブ・ジョブズの言うことに従順になることです。彼が「美しい」と言うものに頬ずりし、彼が「クールだ!」と言うものに歓声をあげることです。それが正しいAppleユーザーです。

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2010/09/05

「あんたなら、できる」だっけ? 栄ばあちゃんの科白。

 盆明けからずっと忙しくて、家に帰っても何もせずに布団に墜落する毎日です。

 それでも過日の深夜、眠い目をこすりながら録画しておいた『サマーウォーズ』を観ました。
 すっげーおもしれー。
 細田守監督と本作の噂は聞いていたけど、思っていた以上の出来でした。なんつうか、絶妙にバランスが取れている。
 僕は宮崎駿も大友克洋も庵野秀明も押井守(いつも押尾学と迷う)も新海誠も今敏(ご冥福をお祈りします)も、日本を代表するアニメ監督はみーんな好きで、それぞれが独自の方向性で勝負していていいと思うんだけど、どうしてもアキバ臭のするものはすこし苦手です。
 本作はネット世界を舞台に置きながら、日本人の原風景や大家族との対比で、うまいぐあいにアキバ臭を排除しているよね。ひ弱な青年が焦がれる女の子のためにがんばって成長するという骨格から、おばあちゃんや養子の男(名前失念)などのキャラクタ配置など、陳腐と言えるくらい月並みな設定なんだけど、きちんとしたエンタメに仕上がっている。僕は、こーゆーのが好きです。小説でも映画でもアニメでもなんでも。
 物語、あるいは表現のテーマなんて、いつだって陳腐なものです。「そんなこたあ幼稚園児でもわかっとるわい」と言いながら、それをしっかり忘れてしまっている大人たちに伝えるのが、エンターテイメントの真骨頂ではないでしょうか。黒澤だろうがガス・ヴァン・サントだろうが漱石だろうが、最終的に世に放ちたい「最後の言葉」って、シンプルで陳腐であっけない。そーゆー言葉に説得力を持たせて、多くの人の心に残すのが表現の力です。
 簡単に言えば、ピカソの『ゲルニカ』です。今あの絵がどこに展示されてるのか知らないけど、僕が十年以上前にCosqueと観たときはたしかスペインのプラド美術館にあって、とてつもなく広くて暗い部屋に鎮座していたんだけど、あそこにいた時間に感じ取ったものが、今思えばまさに表現の究極の形だった。
 『ノルウェイの森』の映画化にあたって、村上春樹は監督に「わかりやすい作品にしてください」という注文だけつけたらしいですね。春樹はいつだって物語のおもしろさに重きを置いている。
 ここから広がる話を文面に起こす余力がないのでいつものように放り出すけど、エンタメについていろいろ考えさせられた本作でした。

 てことで、今日はTSUTAYAで『サマーウォーズ』完全版と『TOY STORY2』と『時をかける少女』と『ソプラノズ』を借りてきました。今日はソプラノズくらい観たいな。
 共働きで忙しい我が家では子どもたちにアニメDVDを見せる機会が多いんだけど、いくつかの作品を何度も見せる中で、彼らがリピートする作品て決まってくるんです。アンパンマンやイナズマイレブン、ポケモンなんかのテレビアニメはほとんど一回観て終わりで、ジブリはだいたいリピートされます。その中でももう、誇張抜きに「こいつら何十回観たら気がすむんだよ」と思うくらいにリピートされるのが『となりのトトロ』と『TOY STORY』。『魔女の宅急便』も強いかな。

 ふう。もうダメだ。寝よう。続かない。サマーウォーズの最初のほうのシーンで、ナツキ先輩が「募集人員は一人なの」とかなんとか言うところの表情や動きに、じつはかなりの労力が注がれているとか注がれていないとか、そんなことをNHKかなんかで監督が言っていたようないなかったような記憶があって、それに関して書きたいことがあったようななかったような気がするんだけど、寝ます。
 今日ホントに書きたかったのはティム・バートンとラーメンの話なんだけど、しょうがない。おやすみ。Summerwars2


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2010/08/22

トトロの森から、ありがとう……。

Sany0146_2 お盆休みに、親友daisakuファミリーと伊豆へいってきました。大人四人、子ども四人、計八人&ワンコ一匹でステップワゴンにギュウギュウ詰めになって、daisakuの親父、makotoさんが伊豆の人里離れた山奥に長い時間をかけて自ら建てた山荘へ。

 今夏の猛暑は伊豆の山奥でも例外ではなくて、すこしは涼めるかなと思っていた僕だけれど、山荘に到着した早々から暑さと子どもたちの世話でてんてこまい。daisakuも妊婦のyuricoも僕も、落ちついて腰をおろすヒマもなく動き回りました。
Img_1508 母屋の脇には別棟の小さな風呂小屋があって、ほぼ露天なんだけど、そこで子どもたちを次々に水浴びさせながら自らもクールダウン。風呂の窓からは向かいの山々の緑が見えます。こーゆーときに裸で動きまわれる男って楽だよねえ。Img_1511
 昼間は暑さにやられていてわからなかったけど、日が暮れて落ちついてくるうちに辺りのとてつもない自然と山小屋の風情に溜息を漏らします。Img_1526
夕方からは庭でBBQ。食べて呑んでふたたび水風呂。テンションが上がってなかなか寝付かない子どもたちをどうにか寝かしつけて、深夜にようやく大人の時間。外のテーブルでゆっくり呑みながら、夫婦二組で山の風を浴びながら日常の愚痴を言って笑いあう。深い森の非日常が、日常の垢を洗い流してくれます。
 男三人はそのまま外のテントで就寝。

 翌日も朝からてんてこまい。makotoさんが朝から美味しいアイスコーヒーを煎れてくれて、稲庭うどんや素麺、新鮮野菜の数々の豪華な朝食を用意してくれたのだけれど、その間も縦横無尽に動きまわる子どもたち。それにしても美味しい朝食でした。そしてmakotoさんの言葉通り、山奥は朝こそが素晴らしい。とてつもない景色。澄んだ緑。山間に射しこむ光。山の頂は、たしかに天国に近い。Img_1518

 どうにか山小屋を片づけて朝から出立。白浜の海はジャマイカみたいに綺麗だったけど、とにかく暑かった。そして高湿度。反して海水はかなり冷たかったので気持ちよかったけど、お腹を冷やせないので海に入れなかった妊婦のyuricoさんはホントに可愛そうだった。たぶんあの数時間でいくらか痩せたと思う。よくがんばりました。
 早めにあがってふたたび山荘へ、愛犬picassoをむかえに。フレンチ・ブルドッグのpicassoは暑さに弱いので、小屋の涼しいところに置いてきたのです。一速でもなかなか登らない急勾配を上がりきって小屋に辿り着こうかというときに、眼前にいきなり鹿があらわれました。それも四頭。たぶん親子。しかも僕らの姿を認めても、不思議そうに眺めるばかりで動こうともしません。鹿はかなり警戒心が強いはずなのに(ディア・ハンター懐かしいなあ。またデ・ニーロだなあ。ひさしぶりに観よう)、可愛い子鹿はぽけっとしています。makotoさん曰く、この山には千頭近くの野性鹿が生息しているらしいので、人間のほうがそもそも部外者なのでしょう。たぶんここに住んでいる人って百人もいないだろうからね、彼らこそが主だもの。Sany0243

 まあとにかく、初めて訪れた僕はなかなかの感銘をいただきましたよ。なんかシンプルに感じたのは「ああ、ジブリの世界ってまだまだ現代にあるんだなあ」ってことです。しかも、けっこう近くに。
 makotoさんが建てた山荘は、『魔女の宅急便』のキキが森で仲良くなった絵描きの女の子の家みたいで、屋根裏部屋の暗がりを覗いて子どもたちが「まっくろくろすけでておいでー」と唄い、月夜の森にはトトロがいても不思議ではなくて、険しい山道を登るときはネコバスが通るときのようにホントに木がよけているみたいに見えて、鹿の親子がじっとこっちを眺めている。
 非日常って大切ですね。日常の舟に揺られてばかりいると気が滅入ります。それをスッコーンと忘れられるような場面って、無理やりにでもつくるべきだと思いました。あそこに一週間くらいいたら、いろいろ洗い流されるんだろうなあ。
Img_1555_2 ああいうところにいたら、日常の些末な問題がホントに薄っぺらく見えると思う。『生きる』っていうことの根本を、考えさせられるのではなく、すっと感じられた気がしました。情報とか時間とかグルメとか、笑っちゃう。それこそジブリじゃないけど、パンとチーズだけ食べて生きていけそうな。まあ俺ら日本人だから、白米と納豆と味噌汁だけあれば、かな。
 食べ物が美味しいっていうことは、とてつもなく幸せなことなんだな、とあらためて思いました。やっぱり、食べるそのものが美味しいかどうかっていうのは二の次なんです。究極の味、至高の味を求めるのって、やっぱりなにか欠けているからっていうことが多い。

 いい夏休みでした。ホンットにクタクタになったけど。
 伊豆から渋滞のなか約五時間走ってようやく茅ヶ崎に到着して、daisakuファミリーと別れて子どもたちを風呂に入れてご飯を食べさせて、安堵の溜息をもらそうというとき、僕ら夫婦は自然にそっとハグして、お互いの肩をやさしくポンポンと叩きあいました。普段何事であっても口にしないと気がすまないおしゃべりな僕と、言葉で表現するのが苦手な家人が、あらためて、無言でぐっと寄り添ったような気がしました。言葉にしなくても伝わることってあるんです。ありがとう。よく頑張ったね。Img_1490

 忙しく険しい日常を歩んでいると、自分ばかりが追い詰められてがんばっているような気になってしまう場面が多くなるけど、僕はやっぱり、目の前にいる人とまわりにいる人のおかげで今日も笑って生きています。親父の躾のおかげで、僕は感謝の言葉をたくさん言える人間になったけど、最近その言葉があらためて心身に沁みてきます。
 daisakuにyuricoにmakotoさん、会社や旧友のみんな、そしてまあちゃん、いつもほんとうにありがとう。

 さあ、寝るぞ。明日もやることが山積みだ。そしてそれはとてつもない幸せなことです。ciao!
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2010/08/07

夏の夜の夢。

Img_1216 いやあ、夜は涼しいですねえ。庭で寝ころんでいると肌寒いくらいです。
 昨晩も庭で七輪を出して炭火焼き夕餉。今年は毎週末BBQをやっているなあ。というのも、これがいちばん楽なんです。クソ暑いキッチンであれこれ調理するより、ささっと下ごしらえをして風の渡る庭でひたすら焼いて喰らう、というのが、楽で気持ちよくてリーズナブルで子どもも喜ぶんです。
 今日は茅ヶ崎の花火大会でしたね。家人は夜勤、長男は青山のおじいちゃん家に泊まりにいっているので、今夜は長女と次女と三人。チキンとキャベツのトマトクリーム煮をカレー風にして食べて、二階寝室で花火観賞。ゆっくり堪能しました。
 今年の夏は毎週海へいってBBQやって庭でくつろいで花火を観て、週末に疲労を蓄積させてウィークデイに突入してへろへろになりながらも充実しています。そんな僕ら夫婦の最近の口癖は「越せんなあ」。去年あたりからマイホームの購入を考えているんだけど、どうしてもここを離れる気になれない。松ちゃんの「すべらんなあ」の口調で言ってます。「引っ越せんなあ」
 今のテラスハウスは築三十年のオンボロだけど(外観はよく言えばトトロの家、家の中の雑多な感じは『耳すま』の雫の家)、住環境は素晴らしいんです。この建物がずっと壊れないんなら、死ぬまで賃貸でもいいって思うくらい。ここ売ってくれないかなあ。Img_1444

 久しぶりにiMovieで写真のスライドショーをつくってiDVDで焼いてみました。小一時間でささっとやったわりになかなかの出来。簡単に説明すれば、写真のスライドショーに音楽をのせてすこし動きをつけた、よく結婚式で流れるようなやつ、なんだけど、『音楽』とKen Burnsエフェクトという『動き』が加わるだけで、写真が生まれ変わるよね、見違える。Appleのすごさって、こういう使い方をさらりと提供していることだよね。はじめから入っているiPhotoで、一瞬でできちゃうんだから。使ったことある人も、音楽と写真を慎重に選んでもっかいやってみて。
 今回は今年の一月から昨晩までに撮りためた千枚以上の中から百枚弱を抽出して、NorahとJimmy CliffとAmyとBenFoldsでまったりと仕上げました。なんかね、子どもたちの笑顔が、輝きだすよ。はい、親バカ、終了。

Img_1458 それにしても鼻水がとまらない。たぶん昨夜、BBQの後に夜風に吹かれたのと、今日子どもたちを昼寝させたときに一緒に裸で(エアコンの真下で)眠ってしまったのが原因だろうと思うけど、これは決して風邪ではありません。僕は一生風邪をひかないことに決めたのです。「死ぬまで元気!」が、座右の銘です。

 ところで「晴れた休日はだいたい庭で寝ころんでるわよねえ」と近所の奥さんに噂されるほど僕が庭に出てしまうのは、コールマンのイージーリフトチェアがあまりにいい出来だからなんですよ。あまりに座り心地がいいので、そのまま寝くさって風邪をひくし(いや、ひいてないけど)、休日の朝は歯磨きをするところからすでにそこに座ってしまう。肘掛けについたカップフォルダの右側にビール、左側にiPhoneを入れて音楽を聴いたり、ウクレレを弾いたり、本を読んだり。僕のイームズ。
 そんなふうに日々酷使しつづけたチェアがついにボロボロになったので、新調することにしました。近所のホームセンターやらで在庫を確認すると、どこもあるのはイージーリフトチェアSTのみ。STはスチールの略でアルミのやつより二千円安いけど2キロ重い。重いので壊れやすい。ということでAmazonでSTじゃないやつを買いました。明日には届くみたい。Img_1378

 明日は夕方からひさしぶりに四日市へ。来週がんばれば夏休みだわい。
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2010/07/31

Happy Go Lucky……。

Img_1062 ふひい……。ようやく独りの時間です。
 びっくりするくらい忙しいけれど、充実した愉しい日々です。

 昨晩は平塚花火大会。過日越してしまった元お隣さんを招いて庭で花火観賞。れいによってBBQの予定でしたが、忙しく用意がままならず、急遽ピザーラに変更。終盤に差しかかったあたりで一週間の疲れがでたのか、僕だけアームチェアにて墜落。いつの間にか眠っていました。
 たっぷり眠って今日は早起き。ようやく晴れたので大量の洗濯物とレインウェアを干して、掃除してみんなでマクドナルド&買い物へ。

 ひさしぶりにDVDで"Godfather"シリーズを観ました。今まで何度も観てきたはずなのに、自分でもちょっとびっくりするくらいよかったなあ。
 なんていうか、コルレオーネ家の面々が、以前よりもずっと身近に感じられた。誰からも敬われ、畏れられるビトー・コルレオーネが、なんかそのへんのおじいちゃんみたいに見えた。Part2での若い頃(デ・ニーロ)あたりを見るとわかるんだけど、そもそもビトーは野望に溢れた人ではないからね。人徳が自然と人を集め、力を得た、という、まあ憧れのヒーロー像ですね、マフィアだけど。

 "a man who doesn't spend time with his family can never be a real man."

「家族を大切にしない奴は、真の男にはなれない」って感じだったかな、訳は。ビトーのあの重厚なしゃがれ声で言われると、頷くしかありませんね。
 ソニーみたいな奴って、現実にもたくさんいますね。いつまでも「やんちゃ」に憧れてて、狭量なくせに誤った「男気」を貫こうとして、欲と楽に溺れて家族を蔑ろにしているだけなのにreal manのつもりでいる。そういう人って、若い頃にきちんと「大人」を憎んでこれなかったのかな、とかちょっとだけ思います。思春期に「大人」を忌み嫌い、強く恨んだ者ほど、すんなり「大人」になっていくような気がするんだけど、まあ一概には言えないか、てか例外だらけか、てことは間違ってるのか、てへ。
 まあどうでもいいけど、「大人」って、「やるべきことをきちんとこなして体裁を保って社会に順応する人」では決してなくて、「自分がやりたいことを全うするために責任を果たす人」なんじゃないかな、とか最近思います。うん、詳細を書くほどの余力がないので放り投げるけど、なんか、そんなようなことを、今日感じた。

 そういえば、若かりし頃に、ビトーを演じたデ・ニーロを見てしまってからというもの、デ・ニーロ=大物マフィアという思い込みが定着してしまって、たとえば"Goodfellas"のジミー・コンウェイとかも、やっぱりカッチョイイ!って思ってたけど、大人になってから見てみたら、ジミーってたんなるチンピラじゃねえの?みたいなところがあるね。あれはどっちかって言うと『岸和田少年愚連隊』に近いのかもな。
 で、思いだしたけど、『岸和田少年愚連隊』いいですよお。数多の名作を差しおいて、僕がいちばん好きな映画です、じつは。今まで共感を得られたことはないけれどね、残念ながら。
 続編は知りませんよ。井筒監督がナイナイをつかった第一作です。『パッチギ!』(←スゲエ!ATOKで感嘆符まで自動変換!)にも、同様の青春感傷劇が見られますが、『岸和田』のほうが完成されています。最新作『ヒーローショー』にはひさしぶりに期待してます。
 過日、仕事を終えて夕方前に帰社したときに事務所のテレビで終盤だけ観たロケット映画もよかったですね。ビリー・ボブ・ソーントン主演の、民間人がロケットで宇宙にいくというじつにアメリカらしい映画でしたが、映像と展開がシンプルで、奇をてらってなくて、とにかく絵が素敵でした。今Wikipediaで調べたら『庭から登ったロケット雲』という映画らしいですね。監督は聞いたことない人で、リンク先もないので、無名なのかな。てか、ビリーってアンジーの元旦那だったんだ。まあ、ね、どうでもいいけど。

Dsc00036 前回も書いたけど、表現に触れる際に最も重要なのは、やっぱり自分の在り方だな、と最近痛感します。小説でも映画でも音楽でも社説でもブログでもなんでも、こっちの姿勢が歪んでいれば、対象物も歪んでしまう。
 村上春樹は「映画にアラを見つけようとしたらいくらでもできる。しかしどんな映画にだっていいところはたくさんある」みたいなことを書いてました、どこかで。そして「作品の悪いところを見つけるよりも、いいところを見つけた方が、人生にはいい」みたいに続けていました。

 で、また鋭角に話が変わるけど、今やノーベル文学賞にもっとも近いと言われる村上春樹さんで、知らない人はいないと思うけど、小説だけでなくぜひエッセイも読んでください。小説から受ける感銘とはまた別の、ほっこりとした感動とワクワクを得られると思います。そして「ちょっと俺の人生の角度を変えてみてもいいかな」とか思ったりもすると思います。

 さあ、今日もタイトルの話まで辿りつかなかったぞ。まあいい。
 騙されたと思って、明日も笑って。きついときほど、辛いときほど、ケッとつばを吐きたくなるときほど、笑って笑って。僕もそうします。
 明日は早朝から地引き網だ。ciao!


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2010/07/17

夏の朝にキャッチボールを……。

Dsc05532_1 先週は四国まで走ってとてつもない集中豪雨に見舞われましたが、三連休は見事に青空に恵まれそうですね。素晴らしいですね。波があればなおいいのはもちろんですけど。てか、この歳になると、三連休でも「夏休み」と呼んでいいですね、日々忙しいですから。七月のプチ夏休み。八月にはお盆休みがあって、九月にも連休があるし、意外と休んでるな、おいら。
 去年一昨年あるいはそれ以前だったら、連休は積極的に友人知人を自宅に招いて、海入って庭で太陽浴びてBBQ&ビールでまったり……という流れでしたが、今年はなかなか忙しくてそうもいかない。家人が本格的に働いているので、僕も家でのんびりしてはいられません。ただ最近は心の持ちようで、「永遠の家事」を楽しめるようになってきましたけどね。夫婦でがんばって僕らが笑えば、子どもたちも笑う。笑顔のための、永遠の家事です。

 二歳の次女が流行の手足口病を患っているので、今日は五歳の長女と二人でいつもの大型スーパーへ一週間の買い出しへ。駅前のスーパーへ行くだけでも、降りそそぐ陽光が眩しくて浮かれてしまうおいら。夏ってホントにいいなあ。茅ヶ崎ってホントにいいなあ。海にいけない日でも、すこし歩けば海にいけるんだという気持ちが僕を昂ぶらせます。
 鶏肉豚肉野菜牛乳卵トマトジュースシリアルアヴォカド豆腐納豆プリンといつもの食材をカゴ三個分買って、今日はひさしぶりにラムを買いました。バカルディ。二十代の頃は、友だちがいたバーでロンリコをロックでライムだけ搾って呑みまくってカウンター席から後ろにひっくり返るというバカ呑みをしていたおいらですが、さすがに大人になりました。ライムソーダで薄く割って、ちびちび気怠い夏の夜を味わっています。ジャック・スパロウのようにラッパ飲みはできません。
 それにしてもラムはいい香りだな。僕は基本的にビールしか呑まないから、たまにバーボンとか芋焼酎とかラムとか日本酒とかをたしなむと、その芳香ににっこりしてしまいます。ビールは苦みと喉ごしだけど、お酒の香りと味は深いなあ。

Img_3373 帰りに久しぶりにビデオレンタルへ。家人のリクエストで最近の山崎まさよしのアルバムをまとめて借りる。あと「my blueberry nights」と「paranormal activity」と「しんぼる」と「ティンカーベル」。わーいわーい、なんだかんだ連休中には観れなさそうだけど、まとめていろいろ入手するとワクワクするわーい。さっき「しんぼる」の導入部だけちょっと観たけど、ねえ? どうなんだろう?
 「my blueberry nights」は観たいと思いつつ敬遠していた映画。だってNorah Jonesでしょう。彼女のことは愛してやまないけど、そんな簡単に映画に出ないでよ、タレントじゃあるまいし、って思っててね、だけどウォン・カーウァイだしそろそろいいかなって。
 昨日さ、仕事で千葉へいった帰りに、ちょうどフジテレビの角を曲がって海底トンネルに入ろうかっていうところで、NorahのDon't know whyが流れてきたんだ。iTunesというか、デジタルプレーヤーの最大の長所はシャッフルだよね。ハイロウズでテンションが上がっていたところに、いきなりあの静かで美しいイントロが流れて、鳥肌が立った。ゾクゾク、というのではなく、しっとりと、だけど強烈に身体が粟立った。眩しかった青空と宵の藍色のちょうど中間の、仄かなブルーのフィルタがかかった空を眺めながら、Norahの声にうっとりした。
 楽曲と歌声が素晴らしいのは言うまでもないけど、それよりも、この曲を初めて聴いたあの晩から今日までの、ときに辛くときに楽しかった「日々」が、記憶とは違う、なんつーかうまく説明できないんだけど、「来してきた日常」というようなもの存在の塊が、ぼわーんと僕の身体を包んで、そこはかとなく涙腺が熱くなりました。
 夏は意図的にかったるくレゲエ、と思っていたし、Norahは「The Fall」というアルバムがあるからか秋のイメージがあったけど、夏の夕暮れによく似合いますね、あのスモーキーな声は。

 音楽ってつくづく、自分の在り方と場面が大きいなと思います。高校生の頃、買ったばかりのブルーハーツのアルバムをいそいそとCDウォークマンにセットして、初めて「夕暮れ」を聴いたときの内房線の車窓から眺めた千葉の夕陽は、今でもありありと脳裡に蘇ってきます。
 料理でも「最高の調味料は厨房にはない。あなたの生きている食卓にある」と言うように、そのもの自体の善し悪しよりも、自分自身の在り方、感じ方が、大きな部分を占めることがあるようです。
 だからね、なるたけ笑っていましょうよ。無理やりにでも笑って歩いていると、いつか自然に笑えるようになります。どんなに環境が劣悪で、どんなに辛くとも、例外なく、いつでも笑っているように努めれば、人生は明るいです。
 
 今日は一本くらいDVDを観るつもりだったんだけどな、気づいたらこんな時間だ。もう寝よう。明日は長男の誕生日プレゼントにサッカーのスパイクやらを買いにいくのでね。家人と次女はかわいそうだけどお留守番。明後日は家族で海にいく予定だったけど、無理しないで庭でまったりしましょうか。朝くらいおいらだけ海いっても叱られないかな?
 ともあれ夏です。みんなやべーぞ、すぐ終わっちまうぞ、急いで急いで、たっぷり愉しんで。ciao!

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2010/07/04

いい波がありましたね茅ヶ崎。

Img_1046 梅雨のさなか、いい天気でしたね、今日は。
 午前六時起床。サッカーの練習にいく長男を起こしてから二度寝。
 午前七時半起床。長女と次女にシリアルとバナナを食べさせながら洗濯物と洗い物をやっつけながらまた『紅の豚』を観ているところへ家人が夜勤から帰宅。『紅の豚』おもしろかったなあ。前に観たときはあまり感じるところがなかったんだけど、宮崎駿のダンディズムだとかより、戦闘シーンの迫力とかジブリらしいシンプルな展開とか、そういうところに明快な感銘を受けました。ジャン・ピエール・ジュネあたりに実写版を撮ってほしいですね。もちろんマルコはCGで豚にして。
 午前十時。昨日、何年も放置していたMTBを修理したので、それにサーフボードキャリアを装着して、サビや汚れを取る。サドルが破れていたので、旧愛車のBMXからサドルを交換。ホントはグリップとかハンドルとかも取り替えたかったけど難しいので断念。ついにこのBMXを廃棄しなくちゃならないのかと思うと、寂しさが這いのぼる。僕、けっこうものに愛着が湧くんですよね。使わなくなったMacとかぜって—捨てられない。
 正午。縁側にてみんなで昼食。お中元でもらった揖保の糸を、庭で取れたプチトマトとコーンとレタスでサラダ風にして食べる。
 午後一時。ガッツリ晴れてきたので家族で海へ。柳島の波が半端なくて驚く。茅ヶ崎へ来て五年経つけど、柳島のコンディションがこんなによくて混雑しているのはホントに久しぶりの光景。走って家に帰ってボード持ってこようか、いや、せっかくの休日なんだから家族と遊ぼう、いや、こんなチャンスはなかなかねえぞ、いや、今は潮が引いてるだけで、ボード持って戻ってきた頃には満潮でタプタプでどうしようもないかも、とかゴチャゴチャうだうだ考えているうちに時間が差し迫って帰宅。けっきょく最後までいい波が残ってた。来週からはどんなときもボード持っていくことを決意。波がなかったら子どもたちを乗せてインサイドで遊べばいいんだから。
 午後三時。子どもたちを順番に風呂に入れてから庭で一休み&ウクレレ。
 午後五時。家人とビールを飲みながらお好み焼きを焼く。キッチンテーブルでゆっくりと談笑しながら、フライパンで一枚焼いては食べ、一枚焼いては食べ。今日は二歳の次女が夕方から早々に寝てしまったので久しぶりにゆっくりご飯が食べれました。お好みソースに飽きたらポン酢でさっぱりが美味しいですよ。
 午後七時。庭で家人とビール。の予定だったのだけど、目を覚ましてしまった次女を寝かしつけにいった家人が、夜勤明けということもあっていっしょに寝てしまい、僕も庭でいつものリクライニングチェアで眠りこける。
 午後八時。ご近所さん家族がきていっしょに花火。

 ちょっと海へいっただけなんだけど、しばらく忘れていた、楽しい夏の休日を満喫しました。
 充実している日って、Macに向かわない。ネットのコミュニケーションとか、情報とかどうでもいい。陽が登って家族が笑ってメシがうまい。それだけでいい。
 来週は長男の誕生日パーティ兼お隣さんの引越お別れ会BBQなので、また忙しい週末になりそうだけど、かならず一度は海へいこう。波があろうとなかろうと。今年から、夏の週末は海三昧にすることにしました。その代わり、ウィークデイは死にものぐるいで執筆をする。夏のために、海のために、平日は血反吐を吐こう地獄を見ようそれでも笑おう。いや、体力のために平日も朝海へいくべきか……。

 明日からまた仕事。充電したのでがんばるぞい。もう寝よう早く寝よう早く起きよう三文得しよう。おやすみ。


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2010/05/30

俺だってへこむときはへこむし、疲れていたら星空を見あげる。でも星が見えなかったりもする夜。

 生きるって、ただそれだけで、かなりの力業なんだな、とか、最近感じています。
 三十五歳を間近に控えて、ちょうどそういう年齢に差しかかっているのだとは思うけど、ままならないこと、先の見えないことがじわりじわりと眼前に差し迫ってきて、心身が重い昨今です。

 「あれも欲しい、これも欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しい」 _真島昌利

 たった一度の人生なのだから、欲して動いてなんぼのもんじゃい!などとずっと思ってきましたが、それこそ欲すれば欲するほど、当然ながら肩に背負う荷物は増えるわけで。ずっとそうやって生きてきたツケが、今になってまとまってきているのだなあと切実に感じています。

 三十代も半ばを過ぎると、いろんなことが見えてきますよね。自分を囲む狭い近隣の環境から、政治経済、国家、世界情勢まで、今までぼんやりとしか見えなかったことが現実として理解できるのと同時に、何よりも自分の身の丈を切実に思い知らされます。
 なんて言っちゃってますが、僕はべつに自分の来た道を憂いているわけではありません。今のところ、半生に悔い無しです。まだ何も見えていなかったあの二十代前半のクソガキの時分に信じた道を、僕はいまだ信じているし、歩みをとめてはいません。ただ、この歳になると、数多の外敵がその行く手を阻むわけです。日々の糧を得る手段の仕事、家庭での生活、マイホームの購入、成長していく子どもたち、老いていく心と身体、定めねばならない将来のかたち。

 僕は悲観的なオプティミストなんだと思います。性根のところではひどくのどかなくせに、いつも些細な事柄に心を砕いている臆病者。なんでいきなり自己分析を始めたのか自分でもよくわからないけれど、そんな感じだと思います。
 十六歳の時に親父と行ったNYとJamaicaでの体験が、けっこう僕にとって大きなものだったのかな、とも最近感じます。いろんな人が生きている。いろんなことを背負って生きている。いろんなことを考えて生きている。肉眼で見る世界は、かけがいのないものを与えてくれました。僕は、「世界にはいろんな人が生きている」という、それだけのことを書きたいがために、小説を書いているのかもしれません。

 今こうして書いた抽象的な文章が物語るように、僕はすこし混乱しています。脳のはじっこがぢぢぢと焼けて煙をあげています。
 だからこそ原点に帰って、今こそ自分が何をやるべきかを思い返してみれば、それは、小説を書くことしかないんですね。
 幸いにして、書きたいこと、書きたい方法は自分の中に溢れています。それを現実の結果として表すのは力業ですが、それをやるしかないのでしょう。光明という文字が、僕の脳裡で力強く立ちあがっています。どれだけ日常が苦しくとも、光が見える者は救われますものね。

 でまあ、具体的な日常に再起動しますれば、
 すこしだけiPadの話を。
 iPadの性能云々の話は置いといて、とりあえずいろいろと変わるでしょう、出版業界を中心に。我が国の出版業界はiPadがもたらす電子書籍流通に否定的な姿勢を見せているようですが、最近になって現場の書店を中心に見方が変わっているようですね。つまり、紙媒体であろうがデジタル媒体であろうが、iPadによって、活字文化の流通が活性化されるであろうということが広まったんでしょう。単価が安くなろうとも、みんなが本を読んでくれればいいわけで、それは物書き志望の僕のような人間にとっても、明るい展望の礎になりますわな。

 最近、何事も大声で一概に喝破できません。現世はあまりにもコンプレックスで、あまりにも世知辛いので。だからこそね、書くしかないんです、小説だとかを。
 とりあえずみんな、会って、BBQやって、話そうか。夏の夜風に揺れましょうか。Cosque,Shun,KEN2 ?

 

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2010/05/05

夏のカレー。

Img_3178_2 今日はようやく春を実感できる気温。いや、もう初夏と呼んでやりましょう。庭で子どもたちを遊ばせながら、大掃除&衣替え。書斎もすっきりして気持ちがいいです。

 夜は久しぶりにカレーをこしらえました。いつかラジオで聴いた「煮込まないカレー」。
 簡単に言えば、カレー食材で肉野菜炒めをつくって、市販のカレールウを溶いたスープにぶちこむだけ。日本のカレールウって本当に良くできていて、煮込まなくったってはじめから野菜のコクがたっぷり入っている。トマトジュースを使ったので、すっきりした味になりました。
 この方法でつくると、何しろ野菜が美味い。ジャガイモ、ニンジン、茄子といったオーソドックスなカレー野菜の歯ごたえがしゃきしゃきで、なおかつジャガイモが溶け出していないのでソースがクリアで、目から鱗のカレーです。皆さんもお試しあれ。
 ちなみに今回は豚ロースのブロックを五ミリ厚にスライスして、ニンニクでロゼに焼いてから取りだしておいて、食べるときに加えたのでジューシーで美味しかったです。あと、我が家はいつも子どもたちのために甘口でこしらえて大人はカイエンペッパー(唐辛子粉)で辛さを補うんだけど、今日は気まぐれにタバスコを入れてみたら、メキシカンでスパイシーで美味しかったです。
 あとそうそう、いわゆる家庭のカレーにコクを求めてチョコレートだとかコーヒーだとか入れるけど、そんなにコクが欲しかったら濃いめのルウに生クリームを入れてごらんなさい。タマネギの甘みをきっちり出しておけば、どんなカレーでも絶品の欧風カレーになりますがな。

Img_3168 Twitter。なかなかおもしろいですね。ホントにどうでもいいことを一方的に「つぶやく」ってのは、慣れるまではバカみたいだなと思っていましたが、今はその効用に感心しています。mixiのマイミクと違って気にいった人を勝手にフォローできるし、対外用に書きあげたプロフィールや日記ではなく、日常的な「つぶやき」を入り口に他人を見るという視点はおもしろいです。
 僕の場合ですと、「茅ヶ崎」と「小説」で検索していろんな人のつぶやきを眺めるんだけど、茅ヶ崎に住んでいる人や遊びに来ている人、小説が好きな人、小説を書いている人、職業作家の人などの日常の言葉に触れられるというのはじつに興味深いです。まあでも、実際にやってみないと実感はないでしょうから、興味がある人はやってみてください。ポイントは「検索」ですよ。

 ちなみに、いくつか現実的な効用があったエピソードを紹介すると。
 まず過日。茅ヶ崎に記録的な豪雨があった朝です。会社の事務所でtwitterを覗いていたら、ある方が「雨がひどいので小学校が休みになりました」と呟いていたんです。念のために家に電話を入れてみると、案の定長男が出て、学校が休みになったので家にいると言います。その電話で我が家の食材の在庫状況を確認して昼食の指示を出して事なきを得ましたが、気がつかなかったら長男は風雨に揺れる我が家で腹を減らして震えていたかもしれません。

Img_3204 それからまた別の過日。僕が二十代前半から敬愛してきた作家がtwitterを始めたのです。それもある方の「つぶやき」によって知ったのですが、僕は勇んでフォローし、勢い余ってメッセージを送ってみました。もちろんダメモトです。その作家はデビュー以来何十年も第一線で書いていて、今は文学賞の選考委員も兼ねる売れっ子の芥川賞作家で(まあ名前を伏せることもないんだけど、いろいろ煩わしいので)、僕がフォローした時点ではフォロワーは八人くらいだったけど、その晩には早くも三百人を越えるという有名な方ですから。
 ところが一昨日の朝。その作家先生から直に返信がありました。ちょうど川崎の親友宅に家族で泊めてもらった朝で、僕は興奮のあまり彼の家の庭を歩きまわりましたよ。だってさ、僕みたいな者が、小説を書こう、それを生業にしようと決めたきっかけになった人ですからね、相手は。野球で言ったらイチローから個人的な返信が届くようなものですよ。
 先生は、僕が140字というtwitterの文字数制限の中に込めた精一杯のメッセージに対して真摯に応えてくださいましたよ。もったいないので詳しくは書きませんが、どんなことがあっても、毎日、必ず、自分で決めた量を書きなさい、そうでなければ上達しないよ、ということを言われました。あとは、秘密です。
 これはね、この方がエッセイだとかで何度も言っていることなんだけれど、僕が書いたメッセージに対しての返答であると考えると、言葉の重みが違います。それからやっぱり、小説家志望の方はみんなわかると思うけど、毎日一定の量を書くってことが、何よりも難しいんです。あれくらいの大作家があえてそれを繰りかえすのは、それこそがもっとも困難で、なおかつただ一つの職業作家への道だということを確信しているからでしょう。書くことがあるか、毎日書けるか、それが最も重要な職業作家の才能です。
 仕事だ家事だ病気だと、執筆を逃れる言い訳はたくさんあります。だけど、何があろうと書く者が上手くなるし、書かない者は進まない。まったくもってね、当たり前です。ちなみにこの作家は、女手一つで育ててくれた最愛の母親が亡くなったときも、通夜の席でノートパソコンに向かって執筆していたそうです。
 ともあれ単純な僕は、先生のその「つぶやき」のおかげで、いろいろと吹っ切れました。「燃え尽き症候群」だとか言っていたFuckin'五月病も蹴散らし、次作に集中できそうです。なんかね、ちょっと優等生になりすぎていた感がありましたよ、小説に対して。傾向と対策を練るタイプではないけれど、それでも世の流れや需要に気を取られすぎていたかもしれない。まず、僕の書きたいものと書きたい方法がある。それをそれなりに出せるようになってから、普遍性について考えるべきだなと思いました。

 twitterが世界中で爆発的な広がりを見せるのは、その手軽さと、やはり「つぶやき」というコミュニケーションの第一歩で繋がるからなのかな、と初心者なりに感じました。mixiやブログなどと違って「つぶやき」には、取り繕っていない個人が滲み出てきます。余所行きの「つぶやき」をすることも可能ですが、それでは本人がつまらないので続かないでしょう。
 コミュニケーションを取る相手となんら繋がらなくとも、発言に対して発言だけで応えることができる。そこには人間関係の煩わしさが介在しない。まあ考えてみれば寂しいことでもあるのですが。

Img_0778 先ほども書きましたが、過日、いつもの親友の家に泊まりに行きました。お互いに子を持つ親になり、不惑が視野にちらつくようになると、こういう友人の存在が本当にありがたく感じられます。とくに、家人や子どもたち共々仲良くさせてもらっていると、いろいろと助かります。心も体も。今回も世話になったね。ありがとう。
 twitterやmixiというITの繋がりはどうしても諸刃の剣です。一方では、他人の瞳を覗きながら会話をするという現実のコミュニケーションを意図的に用意しないと、現代人の歪みは深くなるばかりです。

 ともあれ皆様、夏が来ますよ。歳を取ると季節の重要性が増しますよね。僕は五月から九月までは「クソ熱い夏」だと思いこむようにしています。楽しみましょう、人生を。ciao!

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2010/04/18

ナポリタンとタバスコ…。

 気づけば四月も後半だというのにひどい寒さですな。
 とはいうものの明日からはようやく春の陽気になるようです。子どもたちも僕も庭に出たくてウズウズしております。

 四月に入ってからは世の中の物流も減速して仕事量も薄くなっているんだけど、なんだかんだと家のことが忙しい。っていうか、僕自身が低調で、何もやる気が起きなくていろいろと抱えこんでしまった。「燃え尽き症候群」などといううまくない言葉で片づけられたくないけど、そうだったんだろうな。
 先月末に一年半かけた応募原稿を送付してから、さぞやさっぱりとした輝かしい日常が待っているかと思えば、とんでもない。もう本当に、仕事どころか他人との会話すら鬱陶しいくらいの無気力に支配されてました。ああ、息をするのも億劫だな、とぼんやりと考えたときに、すこしだけ自ら死を選ぶ人の気持ちがわかったような気がしました。まあちょうどそういう鬱→自傷→という流れの小説を読んでいたこともあるんだけど。
 息をするのも面倒で、冷蔵庫を開けてトマトジュースを取り出すのに途轍もない労力が必要で、身体が異常に重い。一概に言い切るつもりはないけれど、自殺をする人って僕が思っていたよりもずっと静かにアクションを起こすんだろうなと思いました。激情に駆られるのではなく、地面に雨水が吸いこまれるように静かに消えたいという希いが、純粋な死への欲求なのかもしれないと思いました。
 なんて言ってるけど、僕はほんのちょびっとだけそういう心の流れを感じただけで、まったく元気ですからね。重い身体を引きずりながら、いかに再起動して走りだすか考えながら不敵な笑みを浮かべていたところです。
 燃え尽き症候群なんていっても、僕の場合何かを成し遂げたわけではないからね。以前マスターズで4位に入賞した片山晋呉とかオリンピックで金を取ったキム・ヨナのそれとは比べられん。ヨナもなかなか深刻らしいけど、片山さんもひどかったらしいですね。その後ハワイで二ヶ月くらい遊びまくって復活したらしいけど、それはまあ、うらやましい。

 でもね、あらためて思ったのは、心の不調はまず身体にあらわれるということです。健やかな心が身体を健康にし、健康な身体が心を健やかにするのです。やる気はあるのに身体が重いというあなた、ゆっくり自分を見つめる時間をつくって、再起動してください。仕事で疲弊しきってしまえば心も弱るし、逆もまた然りです。何事もバランスですから。
 そんでもってまあ、バイオリズムってのがあるんだけど、けっこうこれを忘れがちです、僕の場合。マフェトン理論を説いたトレーニング本を著した人が言っていたんだけど(今手もとに文献がないのでうろ覚え)、どんなに好調でも、人は三週間経てば落ちるんです。で、一週間の低調期がつづく。それに対応する方法はいろいろあるんだけど、とりあえず、そういうことなんだなと知っているかいないかで、心の持ちようが大きく違うような気がします。
 いつもバイタリティに溢れているように見える人でも、沈んでいるときはあるんです。その低調期をうまくやり過ごせる人が、元気な人なんです。詳細は面倒なので書かないけど、簡単に言えば、低調期には無理をしないこと。できるだけ心身を休めて、時間が過ぎるのを待つ。それができないのが現代社会ですけどね。会社行って課長に「僕、今週低調期なんで、適当にやらせてもらうんでヨロシコ」なんて言えたら苦労はしません。そのへんはうまくズルしてやっていきましょう。
 そんで、バイオリズムってのはそういう短期のものだけじゃない。厄年がわかりやすいけれど、大小のバイオリズムが組み合わさって僕らの山と谷が形成されている。だからなんていうか、無理をしないこと、現況を受け入れることって大事なのかな、って最近ちょっと思います。let it beって、僕は基本的に蚊帳の外に置いてるけど、時には必要なんだろうな。

 ともあれ僕は、再起動せねばと思い至り、まず身体を万全に戻すことにして、煙草を減らして酒を断ちました。煙草と酒って、面白いように日常を変えますね。以前一年くらい禁煙したときに書いたと思うけど、禁酒禁煙すると、誇張でもなんでもなくて、世界が輝きだします。五感が研ぎ澄まされて、物事がよく見えるようになります。せっかく汀の町で海風に吹かれる素敵なところに住んでいるのだから、煙草や酒で人生を濁らす必要はありませんよね。
 原稿の締切が近づいて、日常のあらゆる事象がストレスに感じてしまうあの時期以外は、心も身体も健やかに保っていたいものです。

 さあさあ、夜も深まって観念的な思考がのさばってきたので強制終了しましょう。今日も書きたいことまで辿り着かなかった。タイトルが意味不明になっちゃったので、次回に補足。

 そうそう、twitter始めてみました。以前は登録していたものの心裡で嗤っていたけど、小説やブログに書くまでもない些末な日常のことを「つぶやく」って、なかなか面白いですね。みんなフォローしてくださいな。
 

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2010/04/04

外は春の風が吹いて、僕は部屋で膝を抱える。

 Img_0865_2
 先週の日曜日に、文学新人賞に応募する原稿を送付しました。
 先々週の日曜日には最終的な推敲を終えてプリントアウトしたのですが、いざタイトルと筆名を書いた表紙をつけてみたら、唐突に客観の視点が降りてきたのです。つまり、血と汗と涙の結晶である自分自身の作品が、いきなり他人が書いたもののように見えたのです。
 小説を書く者にとって、この「客観の視点」というのはなくてはならないもので、推敲をする際には自分が嫌いな人が書いたものだと思って読むくらいがちょうどいいと言われるくらいなんだけど、なかなか難しいんです。とくに、長い時間をかけて心血を注いだ作品ともなればなおさら。
 約二ヶ月をかけて充分に推敲したつもりだったのに、唐突に手に入れた客観の視点は、大小のアラをことごとく見つけていきます。さっきまではなかなかの秀作だとほくそ笑んでいたのに、今や目も当てられないような小学生の作文のように見えます。
 それから一週間、死にものぐるいで推敲をしました。要らない箇所は、容赦なくバッサリ切りました。先週末なんてもう、脳が焼けるようでした。身体中の関節が軋んで、頭がぼーっとして、血糖値が下がって、だけどメシを食ったら眠くなるからと、バナナとチョコを囓って……。初めて脳の限界というものを感じましたね。
 ともあれ送付しました。手応えはどう?と訊かれるんだけど、微妙です。今現在の僕のすべての力を振り絞ったという手応えはあるし、納得してはいるけれど、受賞して商業作品となるかと問われると、それはどうかな、と俯いてしまうんです。構成やキャラ設定など、エンタメとして必要で未熟な部分は自覚できるから。バンドに喩えるなら、楽曲とヴォーカルは悪くないけど、演奏にやや難あり、といったところでしょうか。
 きちんとした小説の体裁、という点で言えば、今書いている作品のほうが(と言っても、まだ十枚も書いていないけど)ずっと良くなりそうです。今回応募した作品は、どうしても書きたかった実体験が織り込まれていて、その部分を書くために予定調和的な展開になっているのが否めない。次作はもっとシンプルでわかりやすく、一人一人のキャラを深く掘り下げていこうと思っています。
 だけど、結果はともあれ、僕はこの作品を書いて本当によかったと思う。この一作で、信じられないくらいの成長ができたという実感があります。「他人に読んでいただくこと」をきちんと前提に据えて書いた本作は、これまでに僕が書き散らしてきたうっとりオナニー小説とは明らかに違う。
 本作を書くにあたって、保坂和志さんの文章読本がかなり参考になりました。とくに「ネタでも表現でも出し惜しみをしてはいけない。今自分が持っているすべてをさらけ出して、全身全霊を一作に籠めよ」という趣旨の箇所は、僕にとって大いなる転換となった。そんなことは当たり前じゃないか、と思うかもしれないけど、職業作家を目指していると、あのエピソードは別のテーマの作品のためにとっておこう、とか、この表現は然るべきシーンが用意できる次作にまわそう、とか、素人のくせに打算的に出し惜しみをすることが多いんです。「すべてを出してしまったら、書くことがなくなってしまうんじゃないか」という表現者につきまとう普遍的な不安もあります。
 保坂さんは言います。「そもそも力を出し惜しんで他人が読んでくれるほど、小説というのは簡単なものじゃない。なにより、全身全霊を捧げて一作を書きあげるという課程で、作家は書く前よりもずっとずっと成長するのだ」と(うろ覚えなので詳細は容赦してください)。
 そんなもんかな、と思いながらも書き終えてみると、確固たる実感がありました。この一作を書く前と書いた後では、僕自身がまったく違っている。
 山頂に立つと、登っているときには見えなかった荘厳な景色が見えます。僕の場合はまだ靄がかかっていて明瞭に見渡すことはできないけれど、深い森には届かなかった光明が、たしかに見えます。その光を浴びることができただけでも、僕は一年半をかけて本作を書きあげて本当に良かったと思います。面倒くさがらずに取材に応じてくれた友人知人、寛大に見守ってくれた同僚の皆様、iBookを貸してくれた親友の嫁、くじけそうなときにその笑顔で僕を励ましてくれた三人の子どもたち、そしてひとつの愚痴もこぼさずに執筆の時間を与えてくれた家人に、心から感謝の意を送りたいと思います。

 ともあれ、僕はこのままずっと、書き続けます。プロになろうとならなかろうと。職業作家になればそれこそ生きるために書き続けるわけですし、なれなければいくつになっても新人賞に応募しつづけるだけです。楽観的希望的観測ですが、再来年くらいになれば、プロとしてのすべてのエレメントが揃って、デビューできるような気がしています。ていうか、そう思ってなければ書き続けられない。
 さすがに三十すぎて三人の子の親ともなると、まわりも相手にしてくれません。近い親類のある方は「まあね、小説は趣味で書いてもいいものね」などと笑顔で宣うし、割と僕のことをわかってくれていると思っていた学生時代の友人も「おまえの場合はライフワークだからな、プロになれなくてもね」などと、なかなかに尖ったナイフで僕の心に刃をあてます。でもまあそれは当然だと思うし、僕もガラスの十代ではないので、心が流した血をガブガブ飲んでそれを糧にキーボードを叩くくらいの強かさは身につけましたけども。

 先週は燃え尽き症候群でしたね。無気力に支配されて、何もやる気が起こらなかった。小説を読んだり映画を観たりする気力もなく、漠然とテレビを眺めたり、ぼーっとして過ごしました。思っていたより脳が疲れていたんだろうな。でもおかげで仕切り直しができそうで、来週からはまた次作に専念できそうです。

 今日は小説のことを書くつもりじゃなかったんだけどな、気づいたらけっこうな枚数を稼いでしまった。Steve Jobsに老いの影が見えるし、そろそろAppleの話を書こうと思ったんだけど、また次回だね。夏の新型iPhone楽しみだな。MacBookはなかなか出ないねえ。iPadはMac OSだったら安価だし買いなんだけどなあ。

 そうそう、先週の仕事中に膝に違和感があったんだけど、さっき筋を違えたのか、左膝に激痛が走ってしばらく歩くこともままならない状況になったんだ。今日は家人が夜勤に出かけているので、子どもたちを寝かしつけた後だったのが幸いだったけど、ちょっと仕事に差し支えるくらいの激痛だった。クラッチ踏めないと仕事にならないからねえ。今はかなり痛みも引いて、先週のルーニーじゃないけど軽傷ですみそうだけど、明日になってもやばそうだったら病院へ行ってきます。明日は家族で箱根ユネッサンへ行く予定なんだけど。

 暖かくなってきましたね。海に浸かりたいな。ciao!


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2010/03/07

チャットモンチーになりたい。

 444976609 Takiが好きだったんだよね、Fishmans。
 たしか一度ライブに連れていかれたことがあったと思うんだけど、ほとんど記憶にない。当時の僕はまだデストローイ!なパンクロックに夢中だったから、ああいう音には興味がなかった。
 今あらためて聞いてみると不思議だね。楽曲もバンドもすごくよくて、佐藤君のヴォーカルも際立っているんだけど、佐藤君のクセがどうしても個性にまで昇華されていないような感じがする。すごく危なっかしい感じがするのは、彼が亡くなってしまったから思うのかもしれないけど。
 夭折。心不全。心不全てのは病名じゃないからね。

 ハナレグミが唄う「いかれたBaby」は、佐藤君のよりもずっといいと僕は思う。永積君のヴォーカルで、ようやくこの名曲は完成された形になったのだと。ファンには叱られそうだけど。
 山崎まさよしがカヴァーしたのも聞いたけど、あれは別だよね。カヴァーの選曲の巧みさと、それを自分の楽曲のように編曲するのは別の才能。イーストウッドの監督業にも通ずる、まさやんの力です。

 チャットモンチー、いいですね。
 ガールズ・ロック・バンドほどポップな存在って、他にあるんでしょうか。
 コンポーザーでヴォーカルのえっちゃんはHi-Standardのコピーでギターを始めて、メンバーはブルーハーツやハイロウズに影響を受けて作詞をして、Supercarのいしわたり淳治がプロデュースをして、と、まさに日本ロック現代史の申し子のようなチャットモンチー。
 えっちゃんが微妙にロリ可愛くて、少年ナイフのようなブサイクヘタパンクな魅力がないのが玉に瑕なんだけど。パンクと言うよりはポップ。でもポップと言い切るにはオルタナティブで、でもそれは大袈裟で、ちょっと萌えで、ああ、メンドクサイ。
 えっちゃんのデビューまでの遍歴をテレビで見たんだけど、あの一途さには見習うべきところがありました。彼女の小さな身体には、若い頃のヒロトやマーシーと同じく、バンドに対する途轍もない熱情が煮えたぎっていて、だからこそ一見普通の女の子があそこまで輝くのだと思います。あのへんの力はね、簡単に言えば、根性です。
 ロックってのは、いつまでたってもすげえ武器だなあと思いました。昨今のヒップホップな連中がどういう日常を送っているのか知らないけれど、徳島の管弦楽部の女学生が胸に抱えるマグマは、今日も熱いです。

 最近ようやくきちんと音楽に向き合うようになって、現代の日本ロックにやられています。十年くらい前からの音楽史が僕にはエアポケットになっていたので、そのへんをかき集めてワクワクしています。くるりとか中村一義とかの詩をきちんと紙面で読んでみると、洋楽を聴くのがバカらしくなったりもします。
 でもね、車でチャットモンチーを聴いていて、シャッフルでいきなりNorah JonesとかStevie Wonderが流れると、息を吞む瞬間がある。音が、唐突に、景色に編み込まれていく瞬間。いまの僕には説明できない、途轍もない力がある。

 ともあれ。
 一生懸命がんばっていても、息を切らして走っていても、ままならないことばかりです。
 でもどんなに辛くとも、時間がなくとも、心がニヤリとする時間を持つことが大切らしいですよ。Jamaicaの空港で出会ったアイス売りの少年(彼はアイスの収入で学校へ通っていた)が言っていました。「なにがあろうとも、レゲエと踊る時間だけは用意する」と。
 
 僕はどれだけ躓こうと、君と笑って生きていきたい。

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2010/01/24

夢をかなえて ドラえもん。

 Img_0631 ついに家人がダウンしました。
 思えば忙しなかった昨年末から、自分以外の家族全員が新型インフルエンザで寝込んでいた正月を経て今日まで、ずっと家でも外でもフル稼働だったわけですから、いつかこうなるとは思っていたのですが、一週間の仕事をきっちりと終えた昨日の金曜日、健気な家人はようやく熱を出してぶっ倒れました。
 木曜日くらいから家人の人相が変わっていたので気にはなっていたのです。人の顔は疲労でここまで変わるのかと思うくらいに、家人はやつれ、くたびれていました。「無理するなよ」と気遣い、できる限りの家事育児を手伝う僕でしたが、こういう状況に追い込んでしまっている原因はやはり僕にあるわけで、面目ない限りです。子ども三人を持ちながら、三十すぎの旦那が未だに夢を追い続ける家族って、やっぱりなかなか容易じゃないですね。すまないと切実に思っています。

 ということで、昨晩から僕がすべての家事育児を取り仕切り、れいによって兼業主婦業のハードワークに音をあげて、ここに弱音をこぼしている次第であります。
 昨晩は、家人の限界を感じていたので、僕も疲れていたけど帰宅してすぐに夕食の準備。ニンニクとショウガ、ニラがたっぷりの野菜うどんをこしらえる。家人と子どもたちを寝かしつけてから洗濯物を部屋干しして、洗い物をやっつけて深夜に就寝。
 今日は次女に起こされて休みだというのに七時起床。子どもたちに昨日の残りのうどんを食べさせて、また洗濯物を干して、家人を病院に連れて行って午前中が終了。
 午後は一週間の買い物に出かけ、次女が昼寝をしている間に家の掃除をしていたらいつの間にか夕方になっていて、休むことなく風呂を沸かして夕食の準備。今日は豚バラたっぷりの肉野菜炒めとゴマサバの塩焼き、オニオングラタンスープ。コンロの魚焼きグリルでも、火加減をきちんと調整すれば美味しくふんわりと魚が焼けます。基本はポワレと同じ。強火で表面にしっかりと焦げ目と面をつくって、後は弱火で火を通す。
 僕は明日から仕事で青森へ行ってしまうので、明日の夕飯のためにクリームシチューもこしらえる。明後日のパスタ用の食材も用意したので、とりあえず大丈夫だろうか。
 家人と子どもたちに夕飯を食べさせ(それにしても職場の先輩に頂いた最高級コシヒカリはホントに旨い。いい米って、研ぐときに見た目が違うよね、輝いてる)、洗い物をして、子ども三人を風呂に入れて、寝かしつけて、また洗濯物を干して、気がついたら午後十時。
 考えてみたらけっきょく、朝起きてからずーっと動きっぱなし働きっぱなしで、ようやく持てた自分の時間。缶ビールを開けて、安堵と達成の溜息を漏らす。

 まあとにかく疲れたんだけど、気分は悪くないです。愛する家人と三人の子どものために心身を使い切ったという達成感は、あるいは最上の喜びのひとつかもしれません。
 と、「俺は今日こんなにがんばったんだぜ」という恥知らずな話を延々と吐露してしまったのは、僕がマザコンだからです。当たり前のことをしただけで、誰かに褒めてもらいたいと思っているわけでもないんだけど、吐き出せずにはいられない。鬱陶しいですね。
 なによりも、家人はずっと、仕事をしつつ、こういうハードワークをこなしているのですから、本当に、いくら感謝しても足りないくらいです。恥知らずついでにこぼしてしまえば、僕の夢は、文学新人賞授賞式のスピーチで、家人への絶大なる感謝をじっくりと丁寧に述べることです。
 ともあれ、いつも本当にありがとう。日常では可愛い子どもたちにばかり頬ずりしている僕だけれど、誰よりも君を愛しているよ。←恥知らずめ。

 さてさて、もう眠くってしょうがないんだけど、もうひとつ今日書いておきたいこと。
 忙しくてテレビを眺める時間なんてほとんどない最近、我が家のテレビに流れるのはほとんどがアニメです。僕や家人が家事をやっつけている間に子どもたちに見せるHDDレコーダーに録画しておいたアニメ番組。長女、次女がお気に入りのアンパンマンに、長男が好きなイナズマイレブンがメインだけれど、僕の趣味で、ドラえもんも録画して見せています。
 ある日、キッチンで洗い物をしているときにふと耳に入ったドラえもんの主題歌が、すごく素敵だったんです。耳と心にいつまでも残るシンプルなコード進行とメロディライン。我が国を代表する長寿アニメにぴったりの王道的なテーマソングでした。
 だけど、アニメの主題歌らしく明るい旋律なのに、聞き終わったときになぜか不意に一抹の寂しさが漂うんです。
 ちょうどウクレレをやりたいと切望する長男に適した課題曲をさがしていたので、これにしようとネットで歌詞を検索して、あらためて読んでみました。

 心の中いつもいつも描いてる
 夢をのせた自分だけの世界地図
 
 空を飛んで時間をこえて遠い国でも
 ドアを開けてほら行きたいよ今すぐ

 大人になったら忘れちゃうのかな
 そんなときには思いだしてみよう

 シャララララ 僕の心に
 いつまでも輝く夢
 ドラえもん そのポケットでかなえさせてね

 シャララララ 歌をうたおう
 みんなでさあ手を繋いで
 ドラえもん 世界中に夢をそう溢れさせて

 一見すると、ドラえもんらしいまっすぐな詩ですね。
 だけどこの曲の主体は多分のび太なんだろうけど、もっと言えば、僕ら視聴者なんですね。そしてこの詩の底に這うテーマは「ドラえもんなんていないんだよ」という残酷でリアルな現実なんじゃないでしょうか。
 「大人になったら忘れちゃう」んです。ドラえもんも、無限の夢も。この歌の詩は、子どもの頃に描いていた夢を、現実という壁の前に諦めた大人に向けた言葉なんじゃないでしょうか、などと、青臭くも思ったのです。
 現実にはドラえもんなんていない。都合のいい秘密の道具なんてあるわけない。だけど、ドラえもんが提示してくれた素敵な夢の世界と未来は、絶対ないとは言い切れない。
 実際には、僕らの子どもたちを待っているのは今以上に厳しい世界でしょう。経済も環境も思想も、いくら楽観的に考えたとしても、堕ちていくだけです。だけど、だからこそ、ドラえもんという夢のキャラクターには希望が必要です。あとは、僕ら次第だ。自分が、どう動くかにかかっている。世界を変えたいのなら、自分が変わるのだ。マイケルも生前ずっと言っていましたが、そういうことを込めた楽曲なんじゃないでしょうか。
 ともあれ、僕がウクレレを弾き、三人の子どもたちと楽しく唄いました。詩はわからなくともがんばってメロディを追う一歳の次女の必死な表情を見て、またひとつ、今こそが幸福だというギフトをもらいました。
 そういえば、アンパンマンのテーマも、青臭い心に響く詩ですよね。あれは絵本の原作のやなせたかしさんが作詞したそうですが、原作の絵本はけっこうダークですよ。心も体も疲弊しきった者に自分の顔を食べさせたアンパンマンの姿は、かなり痛々しいです。アニメと違って原作の絵本では五頭身くらいあって、顔面を囓られてあんこが垂れ出たアンパンマンの顔はグロテスクで、哀愁に充ちています。その絵からは「弱者を救おうとする者の傲慢」すら感じられます。それを踏まえて見ると、アニメで毎回健気にパトロールに出かけるアンパンマンの姿には、ブッダやキリストにも匹敵するほどの神聖性を感じたりもします。

 ともあれ、寝ましょうね。今夜は夢も見ずにゆっくり眠れそうです。
 明日は昼から青森へ向けて走ります。
 応募原稿は、それなりにまとまってきています。この時期になると、けっこう居直るもんです。早く送って、次のを書きたいなと思ってます。
 あらためて、ドラえもんの話も書きたいな。麻薬に繋がる道具とか、けっこうダークで深い話も書いてるんですよ、F先生。ともあれ。

 不意に脳裏に浮かぶのは、新しい秘密道具を見て瞳を輝かせるのび太の表情。あの眩しさを世に放つのが、あるいはひとつの表現者の理想かもしれません。

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2010/01/03

熱に浮く。

 昨日はブログを書きながらなんだか熱に浮かされているような気がしていたんだけど、書き終わってから計ってみたら本当に熱があって、病院へ行ったらやっぱり新型インフルエンザでした。
 なぜか大人は大丈夫だと盲信していたんだけど、そりゃあ家族に感染者が三人もいればうつるわな。母親の気概が勝っているのか、この状況でも感染しない家人には感服の至りであります。

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2010/01/02

書き初め—正月という言い訳の下で。

 明けましておめでとうございます。
「なんだあいつ、今年は年賀状よこさねえじゃねえかよ」と元日から眉根をひそめた皆様、さっき書いて出しましたよ。そのうちポストに入りますよ。遅れてすみませんね。今年は賀状を頂いた方のみに返信させてもらってますので、他の方はご容赦ください。すみませんね。
 今年はどうしようかと迷っていたんです。昨年はmixiの年賀状にクールなデザインの物を見つけたので、これならオンラインで手早くできるからと利用したのだけれど、今年はいいのがなかった。また年末が思いのほか忙しくて時間がなかったんですね。
 今年は不義理を許していただこうかと思っていた矢先、テレビ放映していた「男はつらいよ」にて、寅さんが旅先から出した葉書を見たんです。「久しいご無沙汰をお許しくださいまし」で始まる、下手くそな字で書いたテキ屋独特の言葉遣いには、年賀状に共通するノスタルジックな風情がありました。白く晴れわたった冬空にクリアな富士山、割れる波飛沫にコタツにみかんに郵便屋さんのスーパーカブのエンジン音、そういったものが自然に僕の頭に浮かびました。
 これはいいね。元日の朝。僕は膝を打って賀状の返事を書くことにしました。イラストや写真はいらないだろう。新年の簡潔な挨拶とすこしの趣があればいい。旅先からの一葉の葉書のように。という感じで書きました。
 完成した賀状を眺めてみると、寅さんの情緒とはおよそ異なる出来になってしまったのですが、儀式的な季節の挨拶状とはちがう、親近感のようなものが滲んでいるのではないかと自分では思っております。わかりませんけどね。ぱっと見れば、下手くそな殴り書きで時間を省いたと笑われてもしようがないかもしれませんが。

 今年の正月はのんびりと時間が過ぎています。例年ならば、忘年会が終わって、翌日は家族で正月の食料を買い出しに行って、大晦日は夕方前からシメサバかなんかをつまみながら飲みはじめて、深夜〇時前に家族で近所の神社へ行って、帰ってから蕎麦をたぐってまた少し飲んで、遅く起きた元日は年賀状とお笑い番組を眺めながらまた昼から飲んで、二日は東京の両家の実家へ新年の挨拶にまわり、夜は家人の実家に泊めてもらって、三日に慌ただしく帰ってきて四日から仕事という流れでした。しかし今年は家族揃って風邪にやられてしまったんですね。まさに年末の忙しいときに、四歳の長女が新型インフルエンザをもらってきて、見事に一歳の次女にも伝染しました。僕はそれ以前からすこし風邪気味だったのだけれど、今回はひどく長引いていて、いまだにぜえぜえ言っています。こうやって書いて客観的に眺めてみると、僕もインフルエンザに感染したと考えるのがまともなような気もしますが、どうだったんでしょうね。とくに熱も出なかったからなあ。
 とにかく半強制的に寝正月だったわけです。うちの親父夫婦は沖縄へ、家人のご両親もどこかの温泉へ行かれるということなので、ちょうどいいといえばそうなんですけど。
 どこにも行けないのならば、家で徹底的にのんびりしてやろうと、映画のDVDコレクションを引っぱりだしてきて、キンキンに冷やしたアサヒスーパードライ(普段はもちろん発泡酒ですから)をくいっと喉に流しこんで、吞んで喰って寝くさってやろうとしたのですが、ダメなんです。頭が痛くなっちゃって酒が入っていかないし、重厚な映画は頭に入ってこない。咳をすれば誰かに両肩を掴まれて揺さぶられているかのように頭が上下して衝撃が響き、鼻水と痰が永遠に出つづけます。
 しょうがないので横になってテレビを眺めるわけです。お笑いは好きだけど、さすがに食傷します。動いていないせいか風邪のせいか、身体の節々に痛みが滲みます。なかなかヘヴィな正月です。
 でも、そのせいで、本当にゆっくりしています。どこかへ出かけたり、誰かに会ったりすると、それだけで脳がそうとう疲れますからね。正月にストレスなく引きこもるというのは健全ですよね。
 脳がゆっくり栄養を蓄えたことで、忙しない日常では感じられないものをたくさん感じているような気がします。感じるというか、触れるというか。一度読んだ小説をゆっくり読み返してみると、まったく違う様相や輝きが見えてきたり、興味がありつつも時間的な制約で手を出せないでいる歴史について、概要だけでも頭に入れるとか、そういうことがあります。昨日テレビでやっていたけどやっぱりローマ帝国はおもしろいですね。塩野七生さんの著作を持って、一ヶ月くらい無人島に閉じ込められたいですね。いや、嘘ですけど。

 今日はね、タイトルにも書いたとおり、正月というエクスキューズを使って、だらだらと自分本位に書かせてもらってます。読む人のことを考えているようで、考えていない。伝わるように書いているようで、まあいいか、と俯く僕がいる。
 ウェブログであろうとmixiの日記であろうと、売文でごはんを食べていきたいと志す僕のような人間は、文章を書くときにはいついかなる時でも手を抜いてはならない、といちおう思ってはいるのです。いちおうね。だけどまあ、あまり徹底できていない。そこが実際に金をもらっているプロとの決定的な意識の差なんですけど。
 ともあれ何が言いたかったかというと、今日はプロセスや時系列、客観性などは完全に排除して書かせてもらっています。ひらたく言えば正月書き初めオナニーです。酒は飲んでませんよ。飲んでないけど、酔っぱらいのてきとうさと無気力でタイプしています。
 僕の近しい友人に長文日記ばかり書いている男がいましてね。彼も自覚しているとおり、僕は彼のその長い文章のなかから取捨選択をして読んでいるわけですけど、それはともかくこうやって頭に浮かんだことをそのままぽこぽこと書いてしまうのって楽しいね、本当に。自慰ですね。

 突然だけど、僕って真面目なんです。長い付き合いの人たちは皆わかっていると思うんだけど、すごく真面目ないい子ちゃんなんです。正確に言い表せば、権威や伝統に弱いんです。もっと言えば体勢やシステムに従順なんです。ある程度大人になって自分の目で物事を見ることができるようになるまでは、盲目的に王道に従っていました。
 野球は巨人、小説は芥川賞、映画はハリウッドで音楽はパンクロック。おっとっと。パンクロックというのが意外と思うかもしれないけれど、僕にとって若者の王道の音楽ジャンルというのはパンクロックでした。それはブルーハーツが衝撃的だったということもすこしはあるけれど、そういうことではなくて。健全な若者というのは学校や大人という体勢に反抗するものだ、という王道がまずあって、あの時代にそのど真ん中を歩いていたのは紛れもなくパンクロックだったわけです。いや、そんなことねえな。今だったらもっとヒップホップな風向きのなかにいたかもしれないですよね。
 とにかくね、だいたいが権威に弱くて、従順なんです。悪意を込めて自らを貶めれば、オリジナリティ、クリエイティビティといったものが欠如しているんです。うむむ。今少し考えたのだけれど、横文字にする必要があっただろうかね、この場合。個性、創造性に欠けているわけです、でいいよね。
 さてさて、前置きがすごく長くなってぞくぞくしているんだけど、僕は小説に対してもやっぱりすごく真面目ちゃんだったんです。僕は、若い頃に感銘を受けて直接的な敬愛を向けた小説家の言うことをたくさん鵜呑みにして、それは僕の思想にも文章修行にも多大な影響を与えました。
 その小説家が描き出す世界には、独特の粘り気と背徳感、「聖なる汚れ」とも言えるような醜が漂っていたり、単純に初期の作品においてはセックスと暴力の描写が多いことで、異端ととらえられることが多かったんですが、意外と(と言ったらかなり失礼ですが)、日本語がしっかりしているのです。プロの小説家なんだからあたりまえだ!と思う方もいるでしょうけど、プロの中でも、教科書どおりで、間違いのない日本語を使います。教科書どおりの間違いのない日本語というのが、小説の中で輝くのか、という話になると長くなるので割愛しますが、その文体は、しばしば自分の知能指数の話をしたりとなんだかんだと学歴コンプレックスが見え隠れする彼の個性にもなっているし、平易でわかりやすい文というのは、大事な部分を浮きだたせるために必須なことは言うまでもありません。
 体力的な問題でかなり面倒になってきたけれどつづけよう。正月だし、時間はとりあえずあるし。
 僕は、とにかくきちんとした日本語を書こうとしてきました。ブログやメールはいいけど、作品においては、正しく間違いのない日本語を使おう、と。体言止めは辞めよう。てにをはをきちんとしよう。などなど。
 だけど、今回の某小説新人賞受賞作『桐島、部活やめるってよ』という小説を読んだときに、いろいろぶっ飛んだのです。まず、タイトルでぶっ飛びました。あまりに安直なタイトルに思わず笑いました。この文芸誌のレベルもここまで落ちたか、などと、普段読んでいるわけでもないのに偉そうに思っていたのです。
 が、違った。小説は、よかった。そしてこの安直なタイトルがまた、よかった。文芸誌に掲載されていたのは作品の一部だけだったのだけれど、僕みたいなのでもわかります。こいつは、才能がある。これからどういう小説を書くのか、それが普遍を獲得するのかわからないけど、とにかく才能はある。二十歳の早大生です、たしか。目を覆いたくなるような体言止めの乱用があったり、およそ正しい日本語を使っているとは言えない(使ってるんですけどね)のに、その若く誤解されやすい斬新さは、すでに明らかに文体となっている。
 僕はしばらく打ちひしがれました。小説に正解はないけれど、僕には彼のような作品は絶対に書けないということが身に沁みたからです。だけど、彼は特別なんです。ここ数年の過去受賞作をいくつか読みましたが、そのどれからも彼ほどの才能は感じられませんでした。わかんないけどね、この世界は。もうあのような小説は書けないのかもしれないし、これから素晴らしいエンタメ小説家になるのかもわからないし、純文に転向するかもしれないし。

 さすがに疲れてきたな。これ原稿用紙に換算したら何枚になるんだろうな。この労力は執筆に向けるべきだったな。
 過日の中学高校忘年会。すごく楽しかった。今年はたくさん話せたからね。その前に家族でささやかに祝ったクリスマスパーティも素晴らしかった。いつも言うけれど、僕らは理由をつけて乾杯をして、おめでとうやありがとうを言い合うべきです。
 せっかくの年に一度の書き散らしブログだったのに、体力的にこのへんで閉会します。残り僅かですが、正月を楽しんでください。皆様のご健康とご多幸を、遠き茅ヶ崎の空の下、心より祈っております。ciao!

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2009/12/20

発表会とiBookとM-1グランプリ。

Img_0393 Niftyのブログの設定に変更があったようですね。トップ画面が変わってます。最初の見た目というのは大事で、写真とのバランスも考えていたから、勝手に変えてほしくなかったなあ。設定をいじれるのかもしれないけど、そんな時間はねえぞ。
 不況とはいえさすがに師走はゴタゴタして、先週は三重、愛媛、愛知とぼちぼち走りました。仕事の合間には執筆の追い込みをして、煙草の吸いすぎで胃が荒れてはいたものの、忙しくもなかなか充実した日々でした。

 昨日は朝から保育園のクリスマス発表会。写真を撮るかビデオを撮るかで悩んだ末、僕が一眼レフ、長男にビデオをまかせて両方撮影。なかには両手で写真と動画を撮影する強者ママもいました。長女と次女の健気な踊りに夫婦揃って大喜び。子どもの出し物に感動して涙しそうになるんですよ。信じられないでしょうけど、本当です。子どもがいるって、やっぱりいいもんです。
 午後はトイザらスで、子どもたちがクリスマス・プレゼント選び。歩きまわって悩んだあげく、長男はやっぱりDSのソフト、長女はおもちゃのキーボードに決定。その場では買わず、後でサンタさんに手紙を書こうと言って、他のおもちゃを見て回る隙に、家人が購入して車に隠す。イブまでは内緒に。
 最近の週末は夫婦揃ってお酒を飲むことが多かったのだけれど、僕も家人も一週間の仕事で疲れていたので早めに就寝。寒波の到来で本格的な冬の寒さだけど、布団が暖かくて気持ちいい。家族五人がくっつけばポカポカです。

 今日は家人に申し訳なく思いながらも、朝食を食べてすぐに書斎に籠もる。追い込みの時期ですからね、しょうがない。僕以外の家族が買い物に行っている間に、執筆をすすめる。……はずだったのだけれど、いざ、先週分のデータをiBookからiMacに移行しようとすると、iBookが起動しない。モニタにはぐらりぐらりと歪んだ幾筋もの線が走り、明らかに異様な状態。やべえ、ロジックボードだ……。
 つい先日、HDDを換装したばかりだというのに、おそらくはロジックボードの不具合。いつかはこうなるとはわかってはいたものの(次はバックライトかロジックボードの故障かと)、あまりに早い悲劇の到来にしばし打ちひしがれる。今や、僕の執筆の割合のほとんどをiBookでの作業が占めているのだ。これがなければ作品の完成は不可能だ。
 僕は笑ってしまうくらいに狼狽して、iBookを所有している知人に電話。どうにか締め切りの三月まで貸していただけることになって胸を撫で下ろす。それでも、先週はけっこう大切な部分のまとめをメモしたり、なかなか素敵な表現を書けたところがあったので、データだけでも救出したいと身をよじったり、今回の作品を完成して応募しても、それからの執筆はどうしようかと悩んだりしたのだが、時間には限りがあるので、気持ちを入れ替えてとにかく執筆。どうにか予定していた部分まで書けたけど、いやあ、しんどい。心が折れそうだ。

 夜になって書斎から抜け出てようやく家族と再会して、楽しく夕食。あいかわらず一歳の次女はよく食べます。四歳の長女より食べるんですよ、これマジで。さすがに最近太ったなあ、気をつけないとなあ。
 煮立つように熱い風呂につかってからM-1グランプリ決勝を観る。期待して応援していたパンクブーブーが予想以上の素晴らしいネタを見せてくれて、家族で大爆笑。家人などは息が止まりそうなくらいに笑ってた。今年はなんだかみんなおもしろかったし、納得の結果です。

 本格的に年末ですね。今年は年賀状が間に合わなそうだな。諸々の忘年会、楽しみにしてますよ。久々に会える面々はヨロシクね。風邪などひかないように、暖かくして寝ましょうね。
 

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2009/11/24

すべての処女作は深夜のキッチンテーブルで生まれる…。

Img_1106 応募する予定の文学新人賞の締め切り期日まで半年を切りました。いろいろあったけど予定通り三〇〇枚前後になりそう。今日現在で三三三枚。最終章が終わるまでにあと五〇枚くらい必要で、そこからバッサリと推敲して三〇〇枚になる予定。
 執筆と平行して当該新人賞の過去受賞作を(今さらだけど)ブックオフで何冊か買って傾向と対策を探る。時間がなくてまだ全部読めていないけど、思っていたよりずっと僕の小説のタイプに近くて、手応えを感じる。だけど、みんな、うまい。
 僕と同年代の受賞者が多いみたいで、励みになる。やっぱり小説を書くのって三十路をむかえてからだと思います。十代、二十代の小説家って、本当の特例ですよ。しかも実は、あまり長続きしていない。
 物語はまさに佳境に入っているのだけれど、早くも頭の中には次回作の構想が渦巻いていてワクワクしてます。最近、本当に書くのが愉しい。

 過日。IKEAでダイニングテーブルを買いました。我が家のキッチンは狭いのでテーブルを置いていなかったのだけれど、うまい具合に家具を配置しなおしたらきれいに収まりました。意外と広い。
 それにしてもダイニングテーブルがない生活とある生活がこんなにも違うとは思いませんでした。食事もゆっくりになったし、夫婦の時間が増えました。食後、三人の子どもたちはリビングに移動して転がって遊びまわり(今まではリビングの卓袱台で食事をしていたのであまり暴れられなかった)、僕たちはそのままキッチンでお茶を飲んだりして歓談。週末も二人でテーブルに向かい合って深夜までお酒を飲んだりして。

「すべての処女作は深夜のキッチンテーブルで生まれる」

 という言葉を、かつて村上春樹がエッセイで紹介していました。つまり専業の小説家になるまでは、みんななにがしかの職に就いていて、専用の書斎なんてものはない人が多いから、家族が寝静まった深夜のキッチンテーブルでしこしこ執筆するのだということです。
 我が家はそれほど広くないくせに僕は生意気に専用の書斎を持っていて、そこのiMacで執筆しているのだけれど、最近書斎で使っている石油ファンヒーターが壊れてしまったので、キッチンでiBookを使って執筆することが増えた。
 これが意外とはかどるのである。
 書斎というのはあらゆる物が手に届くところにあって非常に便利な反面、誘惑が多くて集中が途切れることがあるのだ。デスクのすぐ脇にはエレキギターやらウクレレやら一眼レフやらサーフィンや所さんの雑誌やら他の小説やらが転がっているので、つい執筆が行き詰まるとそれらを手に取ってしまうことがある。それに比べてキッチンだと、あるのはそこに用意したiBookとお茶くらいのものだから、ずっと集中できるのです。
 ただどうしてもiMacの広いモニタのほうが作業が楽だし、休日は家族がいるので書斎に籠もります。僕のワードローブの中でいちばん暖かい防寒着に分厚いニット帽をかぶって、モコモコになって執筆します。今のところファンヒーターを買い換える予算と予定はないです。仕事が無い日にトラックで執筆するときも、最近は寒いのでモコモコです。寝台の寝袋に脚を突っこんでます。

 それにしてもIKEAってのは行くたびに思うけどすごいね。合理的なシステムで安価ながら、デザインがいい。ヨーロッパですね。アイデアと徹底の勝利だと思うけど、どうして今まで誰もこういう商売のやり方に気がつかなかったのだろうとも思う。そういうのってたくさんあるけどね。スノーボードとか。
 ただもうこれは家具業界だけじゃないけれど、こういう巨大な企業がマーケットの中心になると、「街のお店屋さん」というのは淘汰されるしかないのですね。昔からある商店街の牧歌的な雰囲気は大好きだけど、けっきょくはIKEAとかCostcoとかジャスコとか行っちゃうもの。ともあれ。

 寒くなってきましたね。風邪予防にはとにかく手洗い&うがいですよ。緑茶でうがいしましょうね。最近、家人のママチャリで通勤してます。あたりまえだけどBMXとは機動力が雲泥の差で、なかなかきついですね。カゴが付いているのは楽だけど。おやすみ。
Img_0268_2

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2009/11/11

フルコートのD

 Img_0983 忙しくてなかなかブログが書けません。やはり午前中のほうが脳が活発に働くようで執筆の調子がいいです。夜は眠くなったら寝るようにしてます。ここに書きたいことも溜まってるんですが、あまり時間が取れません。最近邦楽をよく聞きます。音楽のことも書きたいなあ。ハイロウズのときの力の抜けたヒロトの曲が好きです。クロマニヨンズは聞いたことないなあ。やっぱり僕にはNorah JonesよりもAmy Winehouseの歌声のほうがcoolです。

フルコート
詞・曲 甲本ヒロト

フルコートのD フルコートのD

アウェイのユニフォーム 向かい風
終わらない五分間
惰眠の彼方 飽食の果て
お金では動かない

チャンピオンリング チャンピオンリング

破れない便箋と 壊れないシャボン玉
弱いけど 小さいけど 負けるとはかぎらないぜ

奇跡なんかじゃないんだよ 待ってたんじゃダメなんだよ
神の仕業ではないんだ 本当の名場面だ
他に方法はないんだ 他にはないんだ

フルコートのD フルコートのD

サビついたプラチナと ひび割れたダイヤモンド
強いから 大きいから 勝てるとはかぎらないぜ

奇跡なんかじゃないんだよ 待ってたんじゃダメなんだよ
神の仕業ではないんだ 本当の名場面だ
他に方法はないんだ 他にはないんだ

 フルコートのD(ディフェンス)というのは、バスケットボールのオールコート・ディフェンスのことです。すげえ疲れるディフェンスで、ゲーム終盤にコーチから「オールコートであたれ!」と言われるとげんなりします。
 だけど、そうしないと勝てないんだからしょうがない。フルコートを全力で死にものぐるいで走りまわってボールを奪わなけりゃ、点が取れないんだから。点を取らなきゃ勝てないんだから。

 弱くても小さくても負けるとはかぎらないんだって。奇跡なんかじゃないんだって。待ってたんじゃダメなんだって。神の仕業じゃないんだって。他に方法はないんだって。チャンピオンリングを手に入れるには。
 幸せになろうよ。フルコートを走ってますか?おやすみなさい。

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2009/10/25

冬支度…。

 Img_1069
 お久しぶりです。なんだかんだと忙しくてこっちまで手が回りませんでした。仕事に追われて、執筆のほうもちょっと滞ってました。
「本を読む時間がないという人は、本を読んでいないから時間がないのだ」とどこかで言ってましたね。ゲーテでしたか? 知恵を身につけたいものですね。
 せっかくiBookを復活させて、どこでも執筆環境を手に入れたのだけれど、長距離で一日中走った後にディスプレイを開いても、目が極限まで疲れていてろくに文字なんか見えません。
 過日は関西から四国をまわって一週間トラックで過ごしたのだけれど、一行も書けなかった。その代わり、仕事のない午前中にいきなり十枚も書けることがあるので、どこでも環境はやはり重宝しているけれど。

 寒くなってきましたねえ。昨日は曇天の下、自転車の整備をしました。ガソリンスタンドで空気圧を確認しないでエアを入れてしまって(バルブが車と同じ米式なので)後輪が歪(いびつ)に膨らんで、手荒な扱いと整備不良のせいでリムが曲がってしまったBMXをばらして、どうにか走れるようにしました。グリップもまた替えたいところだけれど今日のところはよしとする。放っておいたもう一台のMTBもバルブのゴムを取り替えて、油をこれでもかというくらいにぶっかけて、長男のMTBも整備して、長女の補助輪付プーさん自転車のタイヤも修理して午後一時過ぎ。
Img_1074 元来、自分で製品を修理したりするのは面倒なタチだったのだけれど、会社の先輩方の影響で最近はDo It Yourselfに努めています。iBookも自分で修理したし、自分でやれば、たしかに仕組みがよくわかるし、その対象がおもしろくなるし、それは小説にも繋がったりする。些細な知識が、知恵を産みます。
 午後は風邪気味の家族を残して長女とスーパーへお買い物。一週間分の大量の食料を買って帰宅。ニンニクとショウガをたっぷり入れた煮込みラーメン鍋(和田アキ子のやつ)で暖まって就寝。

 今日は朝から家人と二人で冬服を出して、ファンヒーターとホットカーペットを用意して、冬支度。基本は夏男だけれど、冬の到来はそれで嬉しい。季節の美しい国に生まれて本当によかったと思う。
 午後は掃除をしてから書斎でMacに向かう。僕以外の家族全員が風邪気味だったのだけれど、昨夜から僕もひどい状態になってきてさすがに執筆は無理そうなので、厚着をして映画の予告編を観る。
 MacだとFront Rowっていうアプリ(っていうかリモコンつかうやつ)で簡単にアメリカの映画予告編が見れるんですよ。もちろんサイトに繋げば誰だって観れるんだけれど、はじめから入っているアプリケーションのメニューの中にきちんと「映画予告編」が組み込まれているところがAppleのいいところなわけです。
 かつて映画少年だった人はわかると思うんだけれど、映画の予告編というのは、ときに本編を凌駕します。なかには本編よりも予告編が好きだというタモリ倶楽部的趣向をお持ちの方もいるでしょう。予告編というのは、本作の出来の善し悪しに関わらず、客に幻想を見せるものです。予告編を観て興奮して、いざ何ヶ月後かに本編を観に行ったら最悪だったというパターンはよくある話でしょう。
 ともあれひさしぶりに、ゆっくり予告編を満喫しました。書斎がひどく冷えていたのでバーボンかホットワインでも飲みたいところでしたが、風邪で喉が痛いので緑茶を飲みながら(家人が「風邪には緑茶!」という信仰を持っているのですが、科学的根拠はあるのでしょうか。ご存知の方はご教授ください)。

 全体的に、コメディ映画が多いですね。映画のジャンルの推移というのは時代背景を写すんだそうで、コメディが多いということは、世界に影が濃いということです。人々は現の世に不安を抱き、表現に希望を求めているということです。逆に、バブリーでのほほんとした時代というのは、問題提起を促すようなシリアスな秀作が生まれることが多いです。こういう時代だからこそ「男はつらいよ」シリーズみたいのがあればいいんですけどね、どこも第二の「寅さん」を作れない。あと、ガス・ヴァン・サントは流行りません、今は。

 ラブ・ロマンスもあいかわらず多いです。これはもう、いつの世でもそうですし、そうあってほしい。人は愛し、愛されるために生きているわけですから(小沢健二みたいですが)。ひさしぶりにメグ・ライアン主演作がありましたね。本編はどうかわからないけど、なかなかいい着眼点の映画ですね。ラブコメの女王が歳を取って、ああいうキャラクタを演じるのは、おもしろいです。タイトル失念。
 たしか「NEW YORK,I LOVE YOU」というオムニバスで岩井俊二がメガホンを取っているのがありましたね。短編だったら世界に通用するんじゃないでしょうか。観たいですね。

Gabourey_gabby_sidibe_in_precious_b 唯一、気になってwikipediaで調べたのが「Precious」という作品。ポスターのおデブの黒人を見た瞬間になんだかピンときました。
 僕はかねてから、超巨漢の連続殺人者の小説をあたためているんだけど(途中まで書いて放棄してある)、この映画の予告編の主人公の仏頂面を見た瞬間、やられた!と思いました。
 はじめてGreen Dayのビデオクリップを観たときと同じ衝撃を受けたのです。ああ、先にやられちまった、と。
 予告編からの情報から見る限り、もちろん僕があたためていた小説とこの映画の骨格は大きく異なるけれど、この主人公の無気力で希望を見いだせない表情は、僕が先に世に放ちたかった、と思いました。ビリー・ジョーが目をひん剥いてポップなメロディを歌ったあのビデオクリップのように。
 マライア・キャリーに似ているけど、まさかこんな貧相な役では出ないだろうなと思っていた役が、ホントにマライアだったのには驚きました。あと、チョイ役でレニクラも出てるみたいです。レニクラはどうでもいいけど、あのマライアが、なかなかにくたびれていていい感じでした。
 ともあれ、主人公の女の子と、彼女を虐待する母親(アメリカのコメディアンらしい)と、音楽が素敵でしたね。ぜひ日本でも上映してほしいですね。

 映画予告編のすばらしさを、エピソードを交えてもっと語りたかったですね。あと、家族のことを書こうと思ったんだけどな、今日は。忙しいね。ciao!

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2009/09/27

The Fall…。

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 夏が終わりますね。
 年齢を重ねたせいか、最近は夏以外の季節をもしっとりと愛せるようになったおいらです。秋の澄んだ空が楽しみです。

 景気が上向きになってきたのか、最近は仕事がけっこう忙しいです。家人も本格的に働きはじめたので、家の中はいつでもひっちゃかめっちゃかですが、三人の子どもたちがぎゃあぎゃあ騒いで、賑やかで楽しい毎日ではあります。

 Norah Jonesにはまってます。Amy,Corrine,Adeleときて、歌姫の真打ち登場という感じです。
 僕はもっと声に芯のあるヴォーカルが好きなんだけど(Lauryn Hillとか)、Norahのスモーキーと称されるあの声色は格別で特別です。ジャンルにとらわれない彼女だから、ソウルフルで力強い曲も歌ってほしいです。
 Jamie CullumといいNorahといい、なんだか時代を感じます。そして、純粋に音楽って素敵だなあって思える。
 彼らの音楽のバックグラウンドは混沌としていて様々だから、彼ら自身もジャンルの垣根を跳び越える。僕はPOPSだと思うけど、JAZZにカテゴライズされる場合もある。
 それに彼らは、かつてのKurt CobainやAxl Roseとは違って、純粋に音楽を楽しんでいるように見える。彼らの作り出す音色に、歪みや闇は感じられない。そして僕自身も、音楽にそういう負の要素を求めなくなってきている。

 音楽の趣味は、最近ホントにシンプルになってきました。ヴォーカルと楽器が、シンプルに絡み合っている感じ。極端に言えば、ギターやピアノの弾き語り。他にストリングスやリズムが入っても、一つ一つの楽器の音色がクリアに聞こえて、その上にヴォーカルが乗っているという、原始的な響き。僕はやっぱり歌声がなければダメだなあ、基本的に。
 だからJack Johnsonは聞き飽きても聞くし、NorahやJamieはど真ん中だし、Rockは最近はちょっときつい。Unpluggedならいいけど。
 今、僕にとって最高に熱いRock BandはThe Rolling Stonesです。うざったいエフェクトのないギターの音色と安心できるテンポ。Mickってさ、やっぱりうまいとは言えないけれど、かなりCoolだなって、最近、好きです。あとは、十代の頃から静かにずーっと聞いてたStevie WonderとSpeech。このへんがヘヴィローテです。

 iTunes 9、いいですね。
 NorahのLP買っちゃいました。歌詞に写真にライナーノーツにビデオクリップまで付属していて、次世代の音源流通はこうなるのかなと思わせる出来です。
 それにしてもAppleは素晴らしい。とくに最近。イノベーションという言葉は、Appleのためにあるんじゃないかというくらい。そのへんは別の機会に詳述したいところだけれど、今回のiTunes9も次世代の生活様式を変える革新(イノベーション)をもたらしているねえ。
 OS Xを発表してから、生活様式に深く関わるデジタルライフの普及を目指してきたAppleだけれど、今まさに、それが形になっている瞬間なんじゃないかと最近思う。iPod、iPhoneやAppstore、iTunes storeが普及して、Macintosh自体のスペックも追いついて、iLifeアプリがようやくどれも快適に使えるようになってきた。
 ……。ってか、Apple自体の話はやめよう。熱くなりそうなので、次回に譲る。最近WindowsユーザにAppleの魅力について聞かれることが多くて気になっていろいろ考えていたのでね。
 ちなみに僕は、Macintoshがなくなったら、手書きで原稿を書くだろうな。

 iTunesはWindowsもあるから続けるけど、Podcastもいつの間にか進化しているね。主に爆笑問題のラジオばっかり聞いてたけど、最近は文学の朗読もあったり、新車のレビューがあったり、ホントに侮れない。

 ってか、終わり。寝よう。眠い。
 ちなみに、Podcastで先日のAppleの基調講演を落として見たんだけど、講演の最後にNorah Jonesが出てきてビックリ!最近はギターで作曲しているらしいし、自分で弾きたいのもわかるけど、もうちょっと練習したほうがいいよね。それにしてもSteve Jobs痩せたね。彼が死んだらAppleは終わるのかな。そうだろうね。まあいい。また。寝る。ciao!
Fall_nohra

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2009/09/04

まだまだハンペン、がんばるホタテ。

Img_0069_2 ようやく、眠っていたiBookを復活させました。
 最新のMacBookを買うという選択もあったのだけれど、去年iMacを買ったばかりだし、仕事の合間の執筆がメインなので最新機種はいらないということで、HDDを換装することにしました。当初はショップに頼もうとしていた僕だけれど、作業費用がもったいないので、自分でやることに。
 iBookといえば、分解がおそろしくむずかしいことで有名で、素人は開けてはいけないという不文律があるのだけれど、発売から十年近くたっているので、たくさんの人が人柱となり、サイトやブログで写真付きで解説してくれているので、僕もそれをいくつか同時に見ながら、どうにか完遂しました。
 さすがに情報量が豊富なので僕は意外と簡単にできたけど、これを何の情報もなくやり遂げるのはきついですね。トルクスネジもあるし、隠しネジもいくつかあるし、ガワを外すのは微妙な力加減と忍耐力とかなりの勇気が必要だし、なかなかヘヴィな作業で、三時間くらいかかりました。だけどおかげで、ショップに出していたら送料込みで二万円近く取られていたのが、HDDとトルクスドライバーで六千円弱ですみました。パパは節約しないといかんのです。ともあれ、人柱となって尊い命を捧げた数多のiBookとそのオーナーに感謝。
 僕のiBookのHDDは20Gで4200rpmだったんだけど、換装した新しいHDDは120Gで5400rpm。メモリも積みたかったけど、主な用途はテキストエディタだから充分かな、と。容量がかなり増えたので、映画とかサッカーとか動画に変換してトラックでの観賞用にたくさん入れようかな。ともあれ、今Pantherインストールしてます。
Img_0064
 それにしても可愛いなあ、おいらのiBook。長い時間を共に過ごしたので愛着が湧いているというのもあるけれど、このポリカーボネイトの透明な筐体は、初代シェル型iBookのポップな感じと、今のMacBookのクールなデザインの中間にあって、とても素敵だ。
 ちなみにタイトルは、2ちゃんねるのiBook G3スレのタイトルがなかなか秀逸だったので借用した。ハンペンというのは僕のiBookも含めた白い筐体のシリーズで、ホタテというのはシェル型iBookの呼び名。語呂もいい。まだまだハンペン、がんばるホタテ。
 来週には新しいiPodが発表され、来年度にはタブレットMac(ネットブックに対抗した10inchのiPod touchみたいなやつ)の発表も噂されているAppleについてひさしぶりに言及したいところだったけど、インストールが終わったので強制終了。母艦のiMacからデータを移行させよう。これってさ、AirMac使わないでLANケーブルで繋ぐときって、どうやって設定するんだっけ?無線だと遅いんだよねえ。
 ともあれ、バッテリも買わなくちゃな。ciao!

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2009/08/17

僕と、僕らの夏休み。

Img_9958_2 はええ。あっという間に終わっちまいました、夏休み。どうにか天気が回復したのが幸いだったね。

 一日目。一歳の次女が手足口病(ウィルス性の夏風邪みたいなもん)を患い、つづいて四歳の長女にも発熱があったので、十歳の長男とともにみんなで家に引きこもる。ママはお仕事。
 夏休み初日から天気は最高。子どもたちもなかなか元気で、家の中を走りまわる。テレビの前に寝かせて、DVD作戦でどうにか安静にさせる。朝から「Surf's Up」「魔女の宅急便」「千と千尋の神隠し」の三本立てを上映。子どもたちが見入っている間に、家事をやっつける。天気が悪くて溜まっていた洗濯物を五回戦やっつける。陽光が容赦ないので、干しては取りこんでを三回繰りかえして、家族五人の一週間分の洗濯物を奇跡のコンプリート。
 家中ピカピカに磨きあげて、気持ちのいいスタート。

Img_9944 二日目。午前中はゆっくり。Macに溜まっていたDVD、動画ファイルをメディアにバックアップしたり変換したり。あと、最近また気持ちいい感じのウクレレ。Both Sides Nowがウクレレの音色にとても合う。
 午後からみんなでお出かけ。DVDを返却して、近所のリサイクルショップへ。ここは以前も三段ベッドを購入したことがあって、質も品揃えもいいお店。今回はこまごまとした和食器や昔ながらの木製のサラダボウルなんかを購入。あと中華料理店で使うような竜の模様の大皿とか。
 夜になってShini来訪。ゴーヤーチャンプルーとビール。今年は土が痩せてしまったのか、我が家の庭で栽培しているゴーヤーの育ちが悪い。近所三軒でゴーヤーを栽培していて、去年は我が家の一人勝ちだったのだけれど、今年はダメだな。来年はきちんと土にパワーをあげよう。
 Shiniと家人と三人で夜半まで庭で飲みながら、ゆっくり語らう。

Img_9915
 三日目。午前十時起床。家族はとっくに出かけている。病院とお買い物。僕とShiniは家人が作っておいてくれたいつものチーズサンドウィッチとトマトジュースで朝食を済ませて、海へ。
 この日は波がなかったけれど、車で西浜へ。ボディボードとサーフボードを交替で使いながら、インサイドで戯れる。トレーニングにもならない波だったけれど、童心に返って、ひたすら波に乗る。一瞬だけ立って終わり。だけどけっこう楽しい。もっと遊びたかったけれど、三時前に帰宅。
 シャワーを浴びて、庭でゆっくりしてからBBQ。今回は牛肉と焼き鳥のミックス。けっこうな量の肉を用意したんだけど、けっきょくほぼ完食したね。今回の一押しは豚カシラだったかな。
 九時前にShiniは帰途に。僕らもすこしゆっくりして床へ。れいによって、家人にはいろいろやってもらって楽しい一日になりました。いつもいつもありがとう。

Img_0872 今日。昨日BBQで焼いておいた牛カルビをいつものようにチェダーチーズとパンに挟んで食べて、子どもたちの世話をして、家人は洗濯物やら家事をやって、気がつけば昼になって、ご飯をこしらえて食べさせて……、とルーチンに追われるうちに午前中が終了。
 午後は車でお出かけ。疲れない程度に近場へ。七里ヶ浜までドライブするつもりだったのだけれど、ひさしぶりに江ノ島へ行こうと予定変更。江ノ電江ノ島駅近くの知る人ぞ知る、江ノ島商店街利用客専用の無料駐車場に滑りこんで、歩いて江ノ島へ。
 近くに住んでいるとこういう観光地になかなか訪れなくて、僕たちも四年ぶりの訪問。変わっているところがあったりなかったり。
 炎天下の下、島まで渡ってマンゴーソフトとラムネを買って、江ノ島名物の人慣れしたニャンコたちの顎をくすぐって、小さな土産屋でミサンガを買って、ジェットスキーに興じる酔っぱらいを横目に眺めながら帰ってきました。
 あそこの商店街の中華屋さんがいいよね。何年か前に家族で行ったんだけど、本当にオーソドックスで安心する昔ながらの中華料理店の味が残っていて、店のイスとかテーブルとか、壁に掛かっている額縁だとか、店のおばちゃんの割烹着だとかも、時代が止まっていて、すごくいい感じ。ああいう店に行くと、至高とか究極の味だとかは求めないもんね。予想したとおりの味の冷やし中華が出てきて、辛子をつけすぎてちょっと涙ぐんで、うんうんと頷くような老人的嗜好が、若い頃から僕の真ん中にある。今日も穏やかな老夫婦が窓際の席で楽しそうにラーメンを啜っていました。
 夕方には帰宅。陽が傾いてもまだかなり暑い。エアコンをつけてもいいのだけれど、せっかくだから庭で夕涼み。僕はいつものように庭でしばし仮眠。泥だらけになる長女と次女。長男はお絵描き。家人は江ノ島近辺のショップで買ったインドのワンピに着替えて涼しそう。
 夕飯は、メチャクチャ辛くて甘いトッポギと赤魚の粕漬けと茄子ソーメンとマカロニサラダとShiniにもらった豆腐シューマイ。なんかどれもスッゲー美味かった。Img_9964

 現在時刻午前0時。書斎にて。昨日の残りのカリフォルニア・ワインを飲みながら、Shiniにもらった大量の音楽データ(約30GB)を吟味して、iPhoneに移して、そろそろ寝ます。
 明日からまた、日常の舟だ。来月はまた長期連休があるからな。
 それにしてもShiniにもらったiTunesデータ、なつかしいのがたくさんあっておもしろい。近いうちに詳述するけど、Public Enemyカッケー。Beastie BoysとかJamiroquaiとか完全に存在を忘れてたー。これを機に、ちょっと前の音楽を集中して聞いてみよう。

 そうそう、誰かが言ってたんだけどさ、あなたの一生ってのは、あなたの今日一日の過ごし方と同じなんだってさ。なるほどね。ともあれ。オーストラリア行きたいなあ。また。CIAO!

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2009/07/26

My life without me.

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 最近、忙しくとも週に一本は映画を観るように努めています。ここのところ忘れていたけれど、映画って本当にいいもんだし、表現の勉強にもなります。
 今日観たのは『死ぬまでにしたい10のこと』というカナダ映画。いやあ、ひどい邦題ですねえ。電通的には百点をつけられそうなタイトルだけど、映画の本質とは確実にずれています。ポスターのこのピンクも悪い。センスはいいけど、カワイイ映画じゃないもの。まあでも、このタイトルで選んだのだから、僕も偉そうなことは言えないのだけれど。

 物語は、DVDの概略でだいたいのところは想像できてしまうのだけれど、若くして余命を宣告された主人公が死ぬまでにしたいことのリストをつくって健気に生きて、そして死んでゆく、という、そのまんまのお話です。
 僕はこういう、展開がバレバレに読めてしまう作品が好きです。安易に予想できてしまう物語でありながら、こうして商業作品として世に出ているのだから、どこか他にすごいところ、学ぶべきところがあるのだろうと思うからです。だけどもちろん何もない場合もあります。物語が陳腐で、見せ方も平凡で、何も残らない映画や小説その他諸々もたくさんあります。
 本作は幸いにも、素敵なほうの部類の映画でした。完璧とは言えないにしても、監督の見せ方と感性は悪くなかった。じつに微妙な表現をするので、ぼけっと観ているとわからないのだけれど、『切なさ』を描くのがとても上手な監督です。
 なんかヨーロッパの匂いを感じるなと思ったら、監督はスペイン人で、プロデューサーが『オール・アバウト・マイ・マザー』の人だったんですね。なんかわかる。ハリウッド映画ばかりがはびこる日本の映画館ですが、じつは日本人はヨーロッパ映画のほうが親近感が湧くんじゃないだろうか。古きを重んじて、伝統を大切にする姿勢は我々と共通していますから。アメリカ人も家族愛を描くけれど、僕らとはやっぱり何かが違う。

 物語は、淡々と進んでいきます。予想を裏切るどんでん返しもなければ、派手なアクションももちろんない。これといって強弱もないまま、静かに時間が経過していきます。クライマックスに近づくと、少しずつ、ちょっと物足りないかなと思うくらいに少しずつ、切なさが這い上ってきます。そして最後に、冒頭で出ていなかったタイトル(原題)が静かに画面に映し出されます。

 my life without me.

 そこで、唐突に胸が詰まります。目頭が熱くなって、苦しくなります。
 僕は、自分のいない人生をこれだけ想うことができるだろうか。否。ぜってームリ。
 と思ったけど、家人と子どもたちの顔を思いだしたら、できることはたくさんあるな、と殊勝な気持ちになりました。僕は生きている。なんだってしてやれる。

 僕はこれまでいくつかの小説を、かたちや手段を変えて書いてきたけれど、けっきょくは『家族』を書いているんだということに、最近気がつきました。っていうか、みんななんだかんだで家族を描くんですけどね、かたちを変えてるだけで。ともあれ。

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2009/07/20

庭を渡る南の風が、僕らの傷を撫でていく。

Img_0841 波ありましたねえ。やられました。
 今日は家族で海水浴に出かける約束だったので波乗りは泣く泣く断念。家族で歩いて海へ。柳島の堤防のなかにテトラポットで波を遮られてプールみたいになっているところがあって(僕らはそれをロックプールと呼んでいるのだけれど)、そこなら幼児を遊ばせることができるので、家族での海水浴には最適なのだけれど、今日はその先の、相模川の河口のほうまで足を伸ばしました。
 ここは河口ということでなかなか潮の流れが激しいのだけれど、テトラが入っていて横を向いた湾が形成されているので、波が軽減されて、かつかなりの浅瀬になっていて、砂も細かいのですごくいい感じ。しかもここだったら、家族と海水浴をしながら、河口のポイントで波乗りもできるじゃないか!なんて素晴らしい!次からは板持っていこう。
 あいにくの曇り空だったけれど、午後二時までたっぷり遊んで、腹ペコで帰宅。庭でおにぎりとチーズオムレツを食べて、長男はシャワーも浴びずに海パンのまま御神輿を担ぎに出かける。今日は浜降祭。茅ヶ崎の町は活気づいています。柳島地区の祭を仕切る会社の先輩に挨拶をして、僕らはシャワーを浴びてお昼寝。畳で寝ると、日本人でよかったなあと毎年思います。

 昨晩は家族で庭メシ。七輪メシ。つまりBBQ。ところでバーベキューを適切な日本語に置き換えるとしたら何になるのだろう。網焼きや炭火焼きじゃあ調理法だしなあ。ともあれ。
 我が家のBBQはほとんど焼き鳥なので、今回はひさしぶりに牛肉メインで。肩ロースとカルビ、豚トロ、キノコ、ソーセージ、ナスベーコン、手羽先。BBQは厚切りのロースが美味いですね。それから食パン。網焼きにすると美味しいとは聞いていたけれど、ここまで香ばしくて甘いとは思いませんでした。パスコのいちばん安い食パンがふんわりこんがりもっちりで、もうとまらない。ロースやソーセージを挟んで食べるのはたまりません。火力にもよるけど、炙るのは十秒くらい。すぐに焦げます。
 ひさしぶりに水のようにビールを流しこんで、肉にかぶりつき、子どもたちとハリー・ポッターの話に熱くなり、夜風に吹かれながら星降る夜空を見あげる。アームチェアのドリンクホルダに放りこんだiPhoneから流れるのはJack Johnson。やっぱり夜は静かなんだな。小さなスピーカーから聞こえるメロディは思いのほか大きく響いている。
 じつはだいぶ前からJack Johnsonにはなんだか嫌気がさしていた。あまりにも流行りすぎたし、あまりにも聞きすぎたからかもしれないけど、あの甘ったるい声とギターの音色が、たまらなく気持ち悪く感じることが多くなっていた。飽食の果てというやつだ。だけどひさしぶりに夜の静寂のなか、ほどよいビールの酔いとともにとどいたJackの声は、とてつもなく心地よかった。ああ、これが、THE・サーフ・ミュージックですね、という感じ。一日を終えるちょっと前の時刻、すこしお酒を嗜んで、脱力してリラックスした時間にマッチしたリズムとメロディ。適材適所。音楽にも場面があります。
 腹も満たされて、一歳の次女も眠りに落ちて、ようやく家人もほっと一息。七輪の炭をつついて、ビールを飲んで、ホイルに包んだキノコをじっくり焼いてつまむ。
 南からの潮風が、庭の芝生を渡っていく。「いい風だねえ」と僕。「そうだね」と家人。
 ここのところ本当に忙しかった。心を亡くすとはよく言ったもので、僕らは何も考えられないままに、闇雲に両腕を動かし海面をかき、とにかく前に進もうと足掻いていた。その結果、相手を思いやる心さえ亡くし、梅雨空みたいな不穏な空気に包まれた。ささいなことで言い争い、相手の落ち度をさがし、己を通そうと目をつり上げた。
 じっくりと向き合って話しあうことで、僕らは仲直りをして、あらためて同じ方向を見て歩み出すことができたけど、まだまだ心に余裕を持つことができてはいなかった。なんにも考えずにぼけっとする時間が必要だった。
 BBQが終わるすこし前の時間、ぬるくなったビールと炭の弾ける音。明日も休日。Jack Johnsonの甘い囁き。昨日からつづく強烈な南風が、僕らの傷の瘡蓋をやさしく撫でていく。言葉を交わさずとも、家人と気持ちが繋がっているのがわかる。こういう時間が、必要なのだ、と僕は深く頷いた。忙しない日常を生き抜くために。
 そういえば中学生の頃に寮を脱走したとき、みんなで山の中でBBQをやって、食パンのあまりの美味しさに感動したことを思いだした。今書いている小説にそのことを書くことにした。気持ちのいい眠気が夜の庭に這っていた。いつのまにか風がやんでいた。
 明日からもまた、日常という舟がいく。

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2009/07/12

デッキに顎を強打して学ぶことがある。

03700 昨晩から体調が芳しくない。熱はないけど、喉が痛くて咳が出て、ちょっとダルい。寝冷えしたのかも。最近は毎朝ランニングを欠かさず、食生活にも気をつけていたんだけどな。
 
 過日。スゴ録に撮っておいたエヴァの新劇場版・序をようやく観ました。思ったよりいいですね。今さらあらためて作り直すだけの意味はありますね。そしてやっぱり、今回は物語の核をきちんと(ぼやけさせないで)描くつもりのようですね。それにしても、既存の作品を自らリメイクするのって楽しいでしょうね。やっぱりエヴァほどの知名度と人気があればこそですね。僕なんかはきちんと作品を発表したことがないから問題外だけれど、過去の作品というのはすべて駄作に見えますからね。多くの作家は、自分の昔の作品なんて二度と見たくない、と言います。できればすべて書き直したいもんです。
 庵野秀明が安野モヨコと結婚していたとは知りませんでしたね。

 過日。家人とケンカをしました。きっかけは些細なことだったけれど、僕らがともに歩む人生全体に関連する大切な問題を孕んだ諍いでした。今まででいちばん感情的で衝撃的な、なかなかのケンカでした。
 きっとすべての夫婦がかならず直面する問題です。誤解を恐れずにまとめれば「根本的な価値観の相違」です。ここは人生の大きな岐路だと思います。つっぱって我を通すか、妥協して相手に合わせるか、のらりくらりと立ち回って問題をうやむやにするか。正解はないけど、僕は粘り強く問題と向き合い、家人と話しつづけました。エネルギーをたくさん使いました。楽なことって、逃げてるんだなって思いました。エヴァに乗るシンジの気持ちがすこしわかりました。
 もちろん家人もそれに応えてくれた。雨降って地固まるとは、よく言ったものです。

 最近。本当に仕事がないです。不景気、物流に極まれり、です。毎日トラックに引き籠もって、本を読んだり執筆をすすめたりです。会社の車庫ではあまり集中できないので、だいたいは読書です。最近は、保坂和志という人が書いた小説作法の本を愛読しています。いわゆる小説のハウツー本ではなく、小説を書く心構えというか、小説とはなんぞや?ということが書いてあって、すべては理解できないけれど、うんうんと頷けるところと学ぶところがたくさんある、とてもいい本です。
 保坂氏は「小説=純文学」という前提でこの本を書いているのだけれど(明言はしていないし、純文学の定義が曖昧だし、保坂氏もストーリーテリングの重要性を説いているし、おもしろくない小説は最後まで読まないと言っているし、おそらく彼の中にもエンタメとの明確な分別はないんだろうけど)、今エンタメを書こうとしている僕でも非常に勉強になる。
 小説って、書けば書くほどわかるけど、純文学とエンタメを明確に意識して書くべきものでは決してない。だけど新人賞に応募するときには、どちらかを選ばなくてはいけない。
 そして、模倣は習作段階まで。新人賞の選考委員をやっている花村が「村上春樹は一人でじゅうぶんだ」と言うように、最後はけっきょく個性です。
 花の絵を見て、花を描くのではなく、本物の花を見て、自分だけの花を描けるようにならなくては。

 過日。ツタヤで名作百選百円レンタルキャンペーンとかいうのをやっていたので、とりあえず二本借りてきました。
 『ミリオンダラー・ベイビー』と『ラブ・アクチュアリー』。
 イーストウッドはいいですねえ。カッコイイにもほどがある。ミスター・アメリカ。勘がいいというかセンスがいいというか。原作や脚本を選ぶのが得意だし、それをきちんとしたアメリカ映画に仕立てるのが上手です。『許されざる者』も『ミスティック・リバー』も本作も、イーストウッドの世界観なんだけど、ハリウッド映画の枠にしっかりおさまっている。それが、褒め言葉なのかどうかはわからないけれど。
 主演のヒラリー・スワンクは文句ないですね。モーガン・フリーマンはベタベタすぎか。あれくらいの味のある役者で、無名なのを連れてこれたら完璧だけどね。無名時代のフォレスト・ウィテカーとかいいなあ。
 『ラブ・アクチュアリー』は、前にもここに書いたように、何度も観ています。
 クリスマス、ヒュー・グラント、ラブコメ、オムニバスというキーワードだけで、なかなか軽薄な雰囲気の本作ですが、本当に軽薄で、最高の映画です。ここにも溢れ出るセンスが感じられます。
 僕は「ただそこにあるだけで哀しみの気配を孕んでしまう」文章というものを使って、この映画のような雰囲気と後味が残せたら、と考えています。そしてそれは、意外と簡単なんじゃないかとも思います。
 ともあれ、長くなるので割愛するけれど、ぼくはこの映画が好きです。アラン・リックマンが最高で、彼を見るとにやけてしまいます(ハリー・ポッターの彼もいいよね)。最近のロンドンを見てみたいなあ。

 土曜日。茅ヶ崎にもいい波がありました。前夜までの強烈な南西風が、朝から絶妙なオフショアにかわって、ロウタイド前の午前中は、なかなかすてきなコンディションでした。
 午前九時起床。朝飯を食って、自転車で柳島海岸から海沿いを走る。柳島はやっぱりダメで、西浜はまあまあだけど混雑。いつもは素通りするサザンビーチの東側(白樺っていうのかな?)のポイントが、ワイドでハッピーな波ながらかなり空いている。とりあえずパーク、チサンまで見に行くつもりだったのだけれど、すれ違うサーファーに訊いてみると、やっぱりパーク以東はかなり混雑しているということなので、そこで入ることにする。
 けっこういい波が来るのだけれど、かなりローカル色が強くて、なかなか波が取れない。僕はなんだかんだ言ってまだ素人なので(立ちあがって横にすべって終わり)うまく立ち回れない。しばらくして波が落ちついてしまったので、ふたたび自転車でチサンまで走る。パークもチサンも、ダンパー気味のしょぼい波なのに、恐ろしいほど人が溢れている。やっぱり、今日はあのポイントがいちばん良さそうだ、とふたたび戻ると、さっきまで入っていたところより東側が、メチャクチャ綺麗に割れている。そして人は二、三人。
 自転車を投げ出して急いで入ると、次から次へと素敵な波がやってきます。ハラムネってところかな。僕にとってはベストサイズ。ムネ以上だと沖へ出られないんだよね、きつくって。
 たくさん乗って、たくさんこけて、たくさん飲まれて、すっげえ楽しい波乗りでした。
 テイクオフするときに、ビギナーの僕はいつもボードの端を掴んでいたんだけれど、何度も手を滑らせて、デッキに顎を強打しまくって、学びました。なるほど、ヒロトや雑誌が言うように、立ちあがるときはデッキに手をつかないとダメなんだな、と、基本中の基本を。バカみたいに何度も頷きながら。
 知識に、実感が伴って、ようやくほんとうに自分のものになる。小学生の頃に感じた成長の歓びをひさしぶりに味わいました。
 もっと波乗りの話を派生させたかったのだけれど、れいによって強制終了。もう寝ます。明日はランニングサボろうかな。来週には梅雨が明けるかな。また。

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2009/07/04

砂丘にて。

Img_0685_2 近況です。
 過日。諸事情によって結婚のお祝いができていなかった大学時代の友人Kaeのところへ行ってきました。当時いっしょにつるんでいた盟友Shiniとともにひさしぶりに三人での再会(十年ぶりくらい?)。あの頃のように、おいしい焼鳥屋(@綱島)で生ビールをかっくらいながら愉しくアホみたいに笑いました。その後、Shiniとともに新婚のKaeの新居にお邪魔して、旦那様も加わって飲み直し。本当に懐かしく、愉しい時間でした。まあちゃん突然の来訪失礼しました。
 Kaeはあいかわらずビールをたくさん飲んで、よく笑っていたけれど(人間の最大の魅力はどれだけ笑っているかです)、その笑顔の一枚裏に、あの頃はなかった影を発見して、時の流れを実感しました。彼女もまた、他の多くの人がそうであるように、何度かの冷たく暗い「いやというほどの夜」をすごして来たのでしょう。そういう旧友が今、笑顔で生涯の伴侶と同じ道を歩きだしたということは本当に嬉しいことです。こういうときに何度も心の裡で頷いてしまうのだけれど、ホントに、友人の結婚というのは僕を勇気づけます
 
 過日。仕事で鳥取を訪れた折に、時間が余ったので鳥取砂丘へ行ってきました。我が国で唯一、砂漠にちかい閑寂を味わえるところだという認識のもとにわくわくして訪れたのですが、当初の感慨は微妙でした。
 『砂漠』でなく『砂丘』というように、敷地面積が予想をはるかに下回っていて、ああ、こんなもんなのか、というトホホ感がまずたちあらわれ、平日ということもあってかほとんど誰も利用しようとしないラクダや馬車のウマの寂しげな瞳がトホホ感を増大します。観光地なので平日といえどもちらほら人が歩いていて、それもトホホです。
 人がわんさかいれば観光気分になれるけれどそうではないし、人っ子一人いなければ白い空と黄色い砂の世界に一人佇む非現実的な世界を満喫できるのだけれどそうでもないし、風景も気分も中途半端なまま、裸足で砂の丘陵を登りました。
 で、頂で、息を呑んだ。ハハハハ、と力なく笑いがこぼれた。
 世界が唐突に姿を変える一瞬を、ひさしぶりに味わった。
 砂丘の入り口から眺めた景色は、遠近を確かめる対象物がないためにひどくあっけなく見えたけれども、実際にその砂丘を登ってみるとかなりの距離と傾斜があって、頂上に着く頃には息も絶え絶え。で、期待もせずに頂に上がると、眼前に広がるは広大な海。そして、一歩でもまちがえればすぐさま墜落していまいそうなほど急傾斜の砂浜。ありがとう。
Img_0703 なるほど、ありがとう。こいつあ、なかなかの絶景じゃないか。
 年齢を重ねると、静かに訪れる感慨のほうが深いことに気がつく。唐突なインパクトは、それほど深く刺さらない。砂丘頂上から眺めた光景は、そんなふうに静かに僕の記憶の一葉となった。
 お土産屋の観光バス駐車場に駐めていたトラックのところに戻ると、隣のバスからおっちゃんたちの酔客が集まってきて「おう、湘南ナンバーじゃねえか」「何時間かかるんだ?」「何泊するんだ?」「俺たちは浦和から来てんだ」などと話しかけてくる。てきとうに話を合わせて、作業ズボンに入り込んだ砂を払って、県道へ出る。夕方になっても淀みのない青空が、なぜか僕を元気づける。おセンチで恥ずかしいけれど、長距離の時はいつも思う。旅路の果てはいつも我が家。旅の孤独は、すこしだけ人を優しくしてくれますよ、ホントに。

 過日。盟友Daisaku&その妻Yurico&彼らの天使Ricoが来訪してくれました。Ricoはとっても可愛かったけれども、我が家の三兄妹にはかないません(そういうものです)。
 その折にDaisakuに昨今はまっている音楽を教えてもらったのだけれど、Jamie Cullumにはやられました。世界的にはJazzというジャンルで取り扱っているらしいけれども、彼はもう、完全にポップで、いい意味でも悪い意味でも安っぽくて、まさに僕好みです。
 至極簡単に誤解をfuckして言うと、まあJazzなんだけど、全体的なflowはNirvanaとかUKロックで、ピアノとヴォーカルはたしかに秀逸で、顔はイングランドのジェラードとかガスコインとかの伝統的な造形にもののけ姫の米良さんを混入させた感じです。
 まあでもなあ、僕の場合、何がどうであれ、声に艶さえあれば泣いてしまうのでね。彼のハスキー部分で射精しますけど。
 今後はもっとはっちゃけてJazzにとらわれずに飛んでほしいけれど、ピアノでいえばBen Foldsとかと境界を明確にしないとねえ。

 ふう。さて今日も本題に辿り着かなかったな。
 村上春樹が存在しない小説の世界を書きたかったのだけれど、それはまた後日。週末をバカにしないでね。笑ってね、いつもよりも。ciao!


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2009/06/14

再起動せよ。

Img_0648_2
 MacやiPhoneを使っていて動作が遅くなってきたなと思ったら、再起動すればたいていは直る。それまでコンピュータにかかっていた重い負荷をいったん降ろしてあげて、身軽にさせてあげるのだ。そうすればふたたびサクサクと快調に動くようになる。
 人間にも同じことが言えるようだ。どこかでそれまでの負荷をリセットして再起動してあげないと、虹色のくるくるマーク(Mac OSにかぎった話だけど)がまわりつづけて、身動きができなくなる。

 僕は今日、茅ヶ崎の海でようやく再起動ができた気がする。ここ数日、あるいは数週間、くるくるマークが回りっぱなしで、なかなか前に進めていなかった。とくに明確な出来事があったわけではないのだけれど、体も心も重く、執筆も滞って、動きが鈍くて「生」の実感が乏しかった。沖からは素敵な波が押し寄せてくるのだけれど、必死にパドルをしても筋力が衰えていて置いていかれてしまうような、そんな感じだった。
 いろんなものが溜まっていたのだ、と思う。将来の大雑把なプランから、毎日の矮小な慣習まで、様々な「思考の種」が折り重なって、日常の底に澱みたいに蓄積していった。考えることが多すぎて、それらを消化する時間と体力が足りなかった。
 だけど僕ら人間は、Macのように簡単に再起動できるものではない。デスクトップ左上のアップルマークをクリックしてメニューバーから「再起動」を選ぶようにはいかない。言い換えれば、僕を含めた多くの人は、その「再起動」メニューを模索しながら毎日を生きていると言ってもいい。
 僕は何日か前から、視界の左上のところに再起動のメニューが見えていた。
「走ろう。海へ入ろう」
 やるべきことはわかっていた。頭んなかが濁っているのは、精神的な要因だけではなく、脳に繋がった身体全体が不調を来しているからだ。肉体を躍動させて、血流を促して、毒を排出させて、身体に勢いをつけよう。そうすれば、焦ることなくひとつひとつの思考をクリアしていけるはずだ。
 そうはわかってはいても、腐りはじめた肉体を躍動させるのはなかなか難しい。休息を求めていながら焦燥感に追われてゆっくり休めないというマイナスの循環から踏み出せない。「走ろう」と決めてから、今日実際にランニングシューズに足をつっこむまでには、かなりの時間がかかった。

 午後四時すぎ。あいにくの曇天。Speechの新しいアルバムを聴きながら、海への道を走りはじめる。ひさしぶりのランニング。今にも泣きだしそうな雲。サイクリングロードを行き交う大勢の人たち。足首と膝に鈍い痛みが浮かんでくる。体幹に滲みはじめた汗と、足の痛みが、だんだんと心と体を溶かしていくのがわかる。じわじわと、ゆっくりだけど。
 BBQの後片付けに追われる若者があふれたパークに着く頃には、鈍った両脚は鉛の棒のようになって、体中が火照って湯気が立ちのぼっていた。足は痛くて、目がくらむほどに暑い。だけど、気持ちがいい。
 もう、走れない。帰りは、痛む足を引きずって、donny hathawayを聴きながら、ゆっくりと砂浜を歩く。
 走ればいいってもんでもない。身体に鞭を打てば、心の曇りが晴れてすべてがうまくいくってわけではない。走りだすまでが、大切なのだ。子どもたちの相手をして、家人が抱えた家の仕事を手伝って、書斎で有意義な作業をして、ギターを触ったり映画を眺めたりして、僕はようやく走りはじめることができるのだ。ここが肝心なところなんだけれど、いざ詳細を説明しようとしたら、相当面倒だということにいま気がついたので放り出すことにします。

 身も蓋もない言い方をすれば、脳を活性化させましょうね、ということです。身体を動かすというのが、手軽で手っ取り早いんです。ただそれだけではいけない。勢いがついたところで、大切なことを思いだして、それをふたたび日常に置いていかないと意味がない。そうして忘れていた理想の生き方をふたたび歩み始めて「再起動」が終了する。で、しばらくしてまた濁る。動きが鈍くなる。再起動する。その繰り返しです、たぶん、人生ってのは。
 素敵な人生を歩んでいるように見える人ってのは、自分だけの再起動の方法を知っているか、くるくるマークに早く気がつける人だと思います。それがすべてではないけれど。
 僕は馬鹿で忘れっぽいので、さっきMacNote(というメモアプリ)に「大人なんだからきちんと理にかなったことを選ぼうよ」というタイトルのメモを追加して、くるくるマークが出ているときのサイン(僕の場合、飲酒喫煙の量が増えるとか、表現衝動が湧かないとか、疲れやすいとか諸々)と、再起動の方法を書いておきました。

 パークで、インサイドで申しわけ程度に割れる波にたむろするサーファーたちを眺めながら、しばらくいろんなことを考えました。身体を燃やして、現実的な些事を忘れて、ようやく人生の大切なことについて思慮を巡らすことができるのかもしれません。
 そしてまた、明日から日常という舟がいくのです。

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2009/06/07

物欲しき六月…(ヤフオクに身をひたして)。

 以前使っていた携帯電話二機種と、家人が持っていたルイ・ヴィトンをヤフオクで処分したところ、七万円弱になりました。家計にまわそうかとも考えたけれど、せっかくの泡銭なので、さっぱりと遣おうかなあと思ってます(家人のヴィトンの取り分はきちんと払いますけど)。

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 とりあえず購入予定は、ずっと欲しかったKarrimorのバックパック。carry moreと発音しましょう。イギリスのトップブランドですね。すこし前に流行りましたね。
 元来荷物の多いたちで、長距離の時なんかは着替えや弁当、飲料水など、けっこう荷物が増えるし、読みもしない本だとか筆記用具だとか食べもしないカロリーメイトだとか余計なものを持ち歩くんで、デイパックじゃ役不足なんですね。karrimorのridge、30Lか40Lで迷ってます。大は小を兼ねるか?

 もひとつ考えているのがノートパソコン。書斎のiMacはまだまだ絶好調だけれど、モバイルも欲しいところ。トラックでの執筆にも、リビングでのiTunesにも使いたい。理想はPowerBookG4 12inch。近年のMacノートで、サイズ、デザインともに最高のモデルです。
Applepowerbookg412inch_4
 こいつをヤフオクでさがしているうちに、歴代のMacノートの面々をひさしぶりに見つけてなかなか楽しくなっちまいました。PowerBook2400とか、まだまだ現役で使っている人がけっこういるんですな。もちろんHDDを換装して、G3とかにして、OS Xを走らせて。シェル型の初期iBookも、あらためて見ると可愛い。筐体がでかいけど。
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 予算がかぎられているので、MacBookは買えないし、PowerBookG4も程度がいいのだとまだ高価だし、iBookだと(古いので)HDDだとかバッテリだとか後でもっと金がかかりそうだし、なかなかままならないところ。現実的には、根気よくオークションを睨みつづけて程度のいいPowerBookを見つけるか、現役引退したiBook(ハンペン)のHDDを換装して復活させるか(バッテリも買い直すことになるけど)のどちらかになりそう。最新機種はいらないもの。とりあえずOS Xで、iTunesとSafariとテキストエディタが使えれば充分。誰か使ってないのがあったらご一報を。商談しませう。
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 PB2400とかシェルiBookとかだと、ジャンクで数千円のやつがけっこう売られていて、そういうのをコレクションしたくもなります。機能美を愛するおいらだから、使うことができない物を集めるなんて愚行は許せないんだけど、なぜだか「古くて使えないMac」は可愛くてたまらん。書斎にあるMacintosh Classicのでっぷりとしたフェイスや垢抜けないキーボードが愛おしい。
 ClassicとかみたいにオールドMacのアンティーク加減もいいけど、僕にとっての初代MacintoshであるPowerMac5500/225みたいに年代が中途半端で、まだまだクラシカルとも言えなくて、ただダサいモデルがじつはいちばん可愛かったりする。引っ越しの時に邪魔で捨てちゃったけど、あれこそ取っておけばよかったなあ。
Photo
 そうそう、五年以上も触っていなかったFenderのSTRATOCASTERもヤフオクに出しちまおうと、丹念に掃除をしたんだけれど、ひさしぶりに弾いてみて、やっぱり売るのやめました。マジックリンで磨きあげたら新品みたいにピカピカになったし、エレキギターって、たのしー。で、同じく処分候補だったマーシャルのミニアンプも生き残り決定です。

 なかなか来ない夏がもどかしいせいか、物欲に取り憑かれている昨今です。きちんと現実を見ながら、堅実な先行投資をしてまいりましょう。ノートとペンがあれば執筆はできるけれど、ノートパソコンを持ち込んで、トラックが書斎になると考えると、涎が垂れてきますな。
 
 
 

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2009/05/24

花ひらけ…。

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 体調が芳しくない。五月病なのかな。疲れが溜まりやすく、活力が減退することが多い。
 仕事の合間には参考文献を読みこんだり、原稿を推敲したりしているのだけれど、前に進んでいる実感が湧かない。日常においてやるべきこととやりたいことをバランスよく考えて行動しているつもりでも、疲労は重く、気力が衰える。そういう時期なのかもしれないし、いろいろと溜まっているのかもしれない。
 下を向くことはない。ただ、いつものように、遠くの目標に向かって歩みを進めるだけだ。

 今日はひさしぶりにまとまった執筆ができた。20枚くらい。やっぱり枚数を稼ぐと、達成感がある。物語が進まなければ、どうしても実感は薄いものだ。
 小説を書くということは、雑巾を絞るのに似ている。長い人生で蓄えた水分を絞り出して、最後のぎりぎりのところで、ぎゅっと力を込めたときにぽたぽたとわずかながら垂れ落ちる水滴のなかに、僕の書きたい言葉が凝縮されている。
 そういう言葉っていうのは、書いている僕自身も気がついていなかった言葉であることが多い。僕の心の底にずっとありながらも、僕自身が知覚していなかった言葉。小説を書くという行為がなかったら、きっと死ぬまで気がつかなかった言葉。そういう言葉が文面に立ちあらわれて、そしてそこからまた新たな方向性が導き出されたとき、小説を書くということの真の歓びを味わうことができる。いや、これマジで。
 何をするにおいても、その物事の核心に触れるまでには、不毛とも思えるほどの時間と労苦が必要になるということを、実感として学んだ、五月の雨の日曜日でした。

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 たとえばサーフィン。波に乗るという単純なスポーツに多くの人が魅了されて、素敵な波を求めて仕事や住居を選ぶ人が後を絶たないのにはもちろん理由がある。だけどそれは知らない人に説明しても絶対にわからない。何度かサーフィンをやってみたくらいじゃわからない。地道にストイックに海に通いつづけて、海底の地形が見えてきて、奇跡みたいな波乗りをして、誰よりも高いところから世界を見わたしてはじめて、その恍惚に出会うことができる。そこまでの道程は、苦痛にしか思えないことの連続だ。
 何をするにしても、大切なのは「つづけること」だ。
 自己啓発ビジネス本みたいだけれど、成功の秘訣は二つしかない。「いつかやろうと考えている目標を、今やること」と「それを成功するまでつづける」ことだ。

 誤解を恐れずに言えば、本物は「死んでもいいくらいに気持ちがいい」のだ。
 死んでもいいくらいに、他に代わりがないくらいに気持ちがいいものだからこそ、人は己の人生を賭けることができる。
 酒を呑んだり、ガンジャを吸ったり、イヴェントで踊ったり、ゲームをしたり、最高のセックスをしたり、家族と笑ったり、そんなことよりも「死んでもいいくらいに気持ちがいい」ことに出会うと、こりゃあ死んでられないな、と最大の活力を得るものだ。
 長いこと小説(のようなもの)を書いてきて、僕がこういう恍惚に出会うようになったのはつい最近のことだ(若い頃は自分の文章に酔ってメンタルオナニーばかりしていたけれど)。あるいは書き始めてすぐに出会う人もいるだろうし、本物の天才はこういうことに恍惚など感じないのかもしれない。ともあれ、こういう瞬間があるということを実感として学べただけで、僕は小説を書いてきてよかったと切に思う。
 生きる術として成り立っていなくとも、あらゆる分野においてこういう恍惚を知っている人はたくさんいるんだな、と思うと、己の未熟さを噛みしめるのでした。
 あらためて幸福っていうのは、やっぱり隣の庭からは見えないし、預金通帳にあらわれるものでもない。
 ただ、人間が厄介なのは、そういう恍惚すら忘れてしまう瞬間があるということだ。あるいは諦めてしまう。心身が疲弊しきっているとき、人は水のように下へ下へ、楽なほうへと流れていく。死んでもいいくらいに気持ちがいいことに出会うためには、なかなかヘヴィな道のりが待っていると考えると、もういいや、と放り出してしまうこともある。僕は、そこが、道を究める者とそうでない者の境界のような気がします。ともあれ。

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 執筆の参考に、花について調べているうちに、興味が広がりました。ユリ科とキク科が奥深いですね。花にかぎらないけれど、同じ科でも、種によって様相やイメージがまったく違ってくる。僕はユリというと白い清楚な花のイメージを持っていたのだけれど、オニユリの色彩とかすごいものね。キク科も日本のキクから、マーガレット、ガーベラなど、分派は様々だ。
 海岸で見かける野生の花、ホームセンターで売られている色とりどりの花、隣家で育てられている小さな花、日常にこんなにもたくさんの花が咲いているということを、最近になって知りました。そしてそれらの花たちが、景色のなかでひときわ輝いて見えるようになってきた。こんな僕でも、それなりに年齢を重ねて、ようやく本当に美しいものが見えるようになってきたのかな、なんて思いました。わからないけど。ともあれ。
 マグノリアのお香がいい感じです。あいかわらず家人には苦労をかけています。いつも本当にありがとう。琴がちょっとお熱です。明日は大阪だ。もう寝よう。おいらも家族もあなたもみんな、がんばって花ひらけ。ciao!

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2009/05/17

写真で…。

書きたいことはいろいろ溜まっているのだけれど、時間と余力がないので写真で。
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家人手作りのバースデイ・ケーキ。琴ちゃんおめでとう!

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リサイクルショップで買った花ちゃんのVANZ。

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三月で四歳になった花ちゃん。

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琴ちゃんの後ろ姿。

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ケンカもするけど仲良しの兄妹。

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十五日で一歳になった琴ちゃん。

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ケーキを食べてご満悦の花ちゃん。

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漁港で催された某イヴェント。

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漁港で転がる琴ちゃん。

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漁港でぐい飲みする花ちゃん。

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漁港の酒盛り。

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漁港でお船を眺める花ちゃん。

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琴ちゃんが大好きなうさちゃん。

camera : iPhone/ToyCamera

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2009/05/04

忘れられしもの…。

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 五月一日金曜日。今日からGW。子どもたちはそれぞれ小学校と保育園に行っているので、何年かぶりに家人と二人の時間。午前中は銀行へ行って、昼に平塚の花水ラオシャンへ。ここの餃子はタネがすこし甘めなんだけど、酸っぱい湯麺にそれがすごく合う。シンプルなメニュー構成だからこその絶妙な味付け。あいかわらずの混雑で、あいかわらず美味い。
 午後は家庭訪問。庭先でギターを弾いているところへ先生がいらっしゃったので、そのまま庭でお話。やる気に溢れた好感の持てる女の先生。返事と挨拶ができていなかったら容赦なくひっぱたいてください、と僕。午後は近所でお買い物。お花のお香をたくさん買って帰りました。百合とポピーとマグノリア。

 五月二日土曜日。会社の皆さんと我が家でBBQ。午前中にスーパーで買い出しをして、いつもの七輪でいつもの焼き鳥。おいらが下ごしらえをするつもりだったのだけれど、けっきょく家人がやってくれました。ありがとう。ネギマにニンニクマ、レバー、砂肝、ヤゲン軟骨に牛カルビ、エビ、サザエ、どれも美味でした。しこたま飲んでそのままカラオケ突入。ひさしぶりにガッツリ飲んで、楽しい休日でした。
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 五月三日日曜日。家族みんなでドライブがてら新居探し。まだまだ先の話なんだけど、理想の物件を求めてじっくり探していこうと。
 僕ら夫婦は、古くて広い昔ながらの家を探していて、海さえ近ければ場所にはこだわらないのだけれど、茅ヶ崎あたりは都内からの移住者が増えてなかなか理想的な物件がない。古くて大きな一軒家は潰されて、コンパクトでモダンな家が三棟くらい建てられて分譲で売られる感じ。逆に鎌倉や葉山方面のすこし山側には、それなりのがあったりなかったり。とりあえずは土地の空気を肌で感じてみようと、鎌倉の極楽寺近辺を散策。
 由比ヶ浜まではすぐだし、森の空気は新鮮だし、とてつもないほどの自然なんだけど、やっぱり利便性にはちと欠ける。場所を選ばない仕事をしている子どものいない夫婦なんかにはいいだろうけれど、茅ヶ崎とは比べようもない。あらためて考えてみると、茅ヶ崎ってのはホントに住みやすいね。大手の量販店から教育施設からなんでも近隣にあって(平塚もすぐだから)、それで自然も豊富で、近所には子どももたくさんいて、総合的には子育てにかなりいいもの。よほど素敵な物件がなければ極楽寺は厳しいかな。裕福な人はいいかもしれないけれど。
 帰りに長谷のUpo宅へ。ちょうど新婚旅行先のハワイから帰ってきたところで疲れているところを、夫婦そろって快く迎えてくれてありがとう。Upoの言うとおり、鎌倉駅から徒歩圏内はなかなか相場が高いね。極楽寺はすこし距離があるので割安か。
 なにはともあれ、鎌倉近辺はGW渋滞がひどかった。
 帰って、昨日のBBQで余った豚バラブロックを厚めにスライスしてロゼに焼いて、ワサビ醤油で食べました。バカウマ。
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 五月四日月曜日。家仕事。家人は大家族の大量の洗濯物。僕はBBQの後片付けとか部屋掃除。昼にガーリックバターライスを食べてから家人と次女は昼寝。庭で走りまわる子どもたちを眺めながら僕はギターを弾いて、ひさしぶりにオカリナを吹く。感傷的な音色も、技術が伴わず台無し。昔はもっと綺麗に吹けたのになあ。ギターも同様に。
 夕方、家事を終わらせてちょっとお出かけ。帰ってきて鶏肉とキノコと高菜と韓国海苔のパスタを食べて、現在書斎にて二十時三十分。明日はShini宅訪問予定。
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 GWも折り返し。仕事も執筆も忘れてホントにリラックスしてます。天気がよくてよかった。明日からは下り坂らしいけど。
 しばらくMacに触っていなかったせいか、生活が原始的というか、心の時間の流れ方がゆっくりになって、気持ちがいい日々でした。やっぱりデジタルというのは人間の身体には不自然なものなのだね。
 風を感じて、潮の匂いを嗅いで、花を眺めて、ギターを奏でて、愛する者たちの笑い声を聞く。なかなか贅沢じゃないですか。

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 日付は前後して、過日、Kawamuが茅ヶ崎にやってきました。こいつの出現はいつだって唐突です。
 まだ僕らが二十代前半だった頃、イギリスから帰ってきて唐突に僕の目黒のアパートに現れて二ヶ月ほど居候をして、ちょっと警察の厄介になって唐突に姿を消し、しばらくして唐突に顔を出して「ニュージーランドへ行く」とだけ言って去り、スペインに住んだり(それはもっと以前だったか?)、ともあれ世界を放浪し、今はオーストラリアの波を相手に遊んでいるそうです。
 帰国した際には、現地で知り合った日本人をたよっていろいろトリップを繰りかえしているようで、茅ヶ崎にも何人か知り合いがいるんだそうで。過日に偶然東京で催されたスケートボードのイヴェントに顔を出したところKunjiroを知っている奴を見つけて、僕の電話番号を手に入れたとか。てか、Kunjiro元気か?これ見てんのかな?
 オーストラリアで友だちになったYoppyさんが茅ヶ崎でSandBarというバーをやっていて、そこでひさしぶりに酒を酌み交わしたんだけど、なんつうか、刺激をもらいましたね。
 ホントに、人生というのはいろんな形がある。いつの間にか忘れていたけれど、正解なんてないよね、どこにも。三人の子どもを育てながら、いつの間にか忘れていた価値を、奴は思いださせてくれました。こーゆーのは当事者でないと月並みでアホくさい話になるから詳しくは書かないけれど、僕は若かりし頃の素敵な人生の歩き方を思いだした。
 ただ漠然と歩いていたんじゃ、幸せになんかなれない。先行く道が不明でも、よくわからなくても、信じて走っていかないと。
 思想的、哲学的にもいろいろ考えさせられたけど、彼に再会してシンプルに感じたのは「主体性とテンション」の大切さ。日常のすべての瞬間にテンションをあげて生きるのは疲れるけれど、疲れ切ってベッドに倒れこんで眠る日常も悪くない。そうやってすべての瞬間に死にものぐるいで生きることは、心にも体にも、そして自分にも自分の周りの人間にもいい。僕は一生懸命生きているつもりだったけれど、まだまだ余力があるなと感じました。Kawamuに会うと、いつも生命力や人間力といったものを考えさせられます。僕はいっしょにつるんでいた頃よりずっと生命力が失われた気がする。
 小説や仕事、家族のために頑張るところも大事だけれど、その狭間にある時間に、いかに笑うかってことも、同じくらい大事だって思いだしました。崇高でなくてもいい、くだらなくてもいい、バカにされてもいい、笑ったもん勝ちです。ウルフルズの「ええねん」です。

 ネットで松本人志と北野武の笑いの違いに関するコラムを読みました。僕はもともと両人とも好きだったけれど、小説を書くようになって、無意識にインテリにかぶれるようになってからは、松ちゃんの知的な笑いに惹かれるようになっていた。だけど、たけしの「おもしろいより、くだらない」という笑いも素敵で、くだらないことがもたらしてくれる空気もまたある。
 そもそも僕は知的なタイプではないものな。どちからといえば、たけしみたいに複合的な要素で天賦の才を補うほうだと思う。自己分析の開陳はみっともないけれどね。

 ともあれ、素敵な季節を前に、前向きでやる気の出る再会を果たして、若かりし頃のテンションを取り戻した感じです。
 五月から九月まで、短い間だけど、ハーフパンツの暑い季節がやってきました。冬の間に縮こまった心身をのびのびと躍動させるために、テンション高くまいろうかと思います。
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2009/04/11

23℃を越えたら。

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 先週はほとんど仕事がなかったので、トラックに籠もって資料を読みこんだり、執筆を進めたり。以前は、外出先での執筆にはノートパソコンがないと、ATOKがないと、広辞苑がないと、などと思っていたけれど、筆が乗ってくれば、紙とペンだけで充分なんだな。

 今日は土曜日出勤。朝三時半に起きて、昨日積んだ荷物を成田空港の物流センターへ。海外出荷の荷物は木箱に梱包されているので荷扱いが楽でいい。しかも正午には帰ってこれて、一日分の手当てと早朝手当てがつくので、かなりおいしい仕事。気温は二十五度を越え、Reggaeが空気に馴染む季節。
 ちなみに、ようやく戸塚の原宿交差点の地下トンネルが(上りのみ)開通し、多少はスムーズになった。あのへんは桜木が豊かで、陽の光のもとで舞い散る花弁の道を走るのは気持ちがよかった。
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 昼すぎに帰宅。木曜日から職場復帰した家人は疲労困憊の様子。三児の母には休日も休日に非ず。今朝も早くから起きて、長男を眼科につれていったようで。昨晩は長女と次女をそれぞれ内科と皮膚科につれていっていました。
 僕は仕事が少なくて五時には帰宅できるので、長男と協力して家事を手伝うようにしているのだけれど、まだまだ足りないようですな。今は「小説家としての僕」に偏りすぎているかもしれない。バランスよくいきましょう。

 午後二時。長男は友人宅へ遊びに行き、家人と長女、次女は昼寝をするというので、僕は独りの時間。納車以降あまり乗れていない新車を運転したい欲求と、すこしでも執筆を進めたいという気持ちでしばし葛藤が生じるが、車で海へいって執筆すればいいじゃないか、という天啓を得て、愛用のリクライニングアームチェアを積んで出立。
 陽気がいいせいか漁港の駐車場はほぼ満車で、早くもBBQに興じる家族もあり。どうにか海に近い場所に車を駐めて、リアハッチを開けてひさしぶりの「汀の書斎」。原稿をおさらいしてから、ノートに書きなぐる。奇しくもこのビーチは、いま執筆中の作品の冒頭シーンのロケーション。イメージがリアルになり、小一時間にかなり展開が開ける。
 しばらくして、朝が早かったせいか睡魔に襲われる。そのまま横になって、iPhoneでAmy Winehouseを聴きながらしばしのまどろみ。スピーカーを繋がなくても、それなりに聴けるもんですね。
 明日は午前中ゆっくりして、午後から今日の原稿をまとめよう。いいペースだ。
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 ずっと書いているとおり、最近は音楽が身近にあって心地いいです。ほとんどテレビを観ないので、いっそのこと音だけにしようと、十年近く前に買ったsonyのCDラジカセをリビングに設置。FMヨコハマをメインに、焼いたCDを流したりしてます。iPhoneをLINE接続したりして。
 それにしても、早く「iPhoneからRemoteでMacのiTunesを経由してAirTunesに飛ばすんじゃなくて、直接iPhoneからAirTunesに音を飛ばせるiPhone App」を、誰かつくってくれえええええ!ともあれ。

 それにしても、Amy Winehouseは別格ですねえ。彼女の奇行がネットのニュースでもよく報じられるけど、歌はスゲエ。声がスゲエ。艶がスゲエ。真似できません。女版MJです。
 Adeleもなかなかです。雰囲気も声も艶もかなりのものだけど、僕はAmyと同じ時期に聴きはじめたので、すこし印象が薄くなるかな。Corinne Bailey Raeなんて、アコースティックの弾き語りとかあって、かなり僕好みの音なのに、AmyとAdeleのせいですこし霞んでます。まあでも、好きです。
 Franz Ferdinandはポップですねえ。かなりいいです。
 John Legendは、最初のアルバムからあまり変わっていないかなあって感じを受けた。悪くいえば、以前よりも気障ったらしくて気持ち悪いR&B。どうしてアメリカ人てのは、だんだんと品がなくなっていくのかなあ?EminemとかFergieとか。ともあれEvoleverのジャケットはダサい。
 Radioheadはトラックで聴くにはちとつらい。Rockというには音が深いから。ヘッドフォンで大音量で聴きたいですね。
 Q-Tipはさすが。これこそCool。だけど、日常であまり聴きたいと思う時間が今のところない。降りそそぐ陽光のしたではtraditionalなreggaeを聴きたくなるし、日が落ちてくれば、Corinneのやさしい歌声に包まれたくなる。
 他力本願だけど、誰か、Speechの最近のアルバムを僕にください。ヨロシコ。Arrested Developmentも持ってないんです。今でも、あの(HipHopっぼくないメロディアスな)感じが好きなんです。買うお金はないんです。
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 そうそう、iTunesのGeniusもなかなか侮れませんね。音楽の歓びを思い出させてくれた。
 中高生のころ、テーマを自分で考えてこしらえたオリジナルの編集テープを聴く感動を、手軽に味あわせてくれます。ベースとなる曲を設定すれば、あとはそれにリンクする曲を自分のライブラリから勝手に選んでくれる。たとえば、Corinneの"Like a star"をベースに
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こういうのができあがる。デジタルが、心に沁みる瞬間です。

 なにはともあれ、気温が二十三度を越えたら、それはもう夏と呼ぶのです。幼子を抱えた家庭でない限りは、すぐさま衣替えをして、Tシャツハーフパンツですごしましょう。そろそろ海にはいるかな。ciao!

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2009/04/06

四月五日日曜日…(タイトルが思いつかない)。

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 こんばんみ。今日も寝る前の息抜きブログ。
 今日もきっちり十枚。日曜日にしては少ない量。推敲したらいつものように半分以下になっちまう。だけど、進めばそれでいい。やらないよりはマシ。←最近の口癖。

 週末の記録。
 土曜日。チェダーチーズトーストを食べて、ちゃちゃっと掃除をして、お弁当をこしらえて(家人が)、茅ヶ崎里山公園へ。僕は久しぶりに新車を運転。愉しい!
 芝生の丘でおにぎりを食べて、長い滑り台をすべったりサッカーをしたり。気がつけば時間は過ぎていって、夕方に帰宅。ひさしぶりに身体を動かして気持ちがよかった。
 そういえばiPhoneのパケ放題フルがキャンペーンで今月から安くなったので、その申請をしにソフトバンクへ行ってきました。iPhoneユーザーは五月までに店頭で申請しましょう。持ってない人はまだ買わないで、おそらく夏にiPhoneの新機種が出るのでそれまで待ちましょうね。どちらにしろOSは新しくなります。
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 今日。昨晩は夜更かしをしたので十時起床。日曜日は書斎に籠もるのだけれど、どうしても車で出かけたい欲求と葛藤。悩んだ末に一時間だけお出かけ。独りで出立。お昼は焼きそばなので、ちょっと遠くの八百屋まで出向いてキャベツと豚肉を購入。そのまま会社へ行って洗車。念入りに洗って、拭きあげて、いつものスタンドで室内も掃除して帰宅。
 焼きそばを食べて午後から執筆。のつもりが、ベイベーが起きてしまう。あいにく家人と他の子どもたちは買い物へ出かけている。執筆どころではないので寝室であやしながらぼくも昼寝。夕方からふたたびMacに向かう。新しい章の重要なシーンだけれど、スムーズに展開していい感じ。原稿および執筆メモ、プロットなどをiPhoneにコピーして作業終了。ようやくビールを開けてこれを書いています。
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 最近、MalcolmやShiniに提供してもらっていろんな音楽を聴いています。お気に入りはCorinne Bailey Rae、Amy Winehouse、Adeleなんかのメジャーどころの歌姫たち。さすがですなあ。Corinneは歌もいいけど、可愛いね。あとはRadioheadをまとめて聴いたり、Franz Ferdinandとか気になっていたけど手を出していなかったのを聴いてます。History Of Trojan Recordsとかの古いReggaeコンピもいいです。あと相変わらずJohn Legend。
 ゆっくり書きたいところだけどね、時間がねえ。
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 暖かいねえ。早く海入りたいねえ。また。ciao!
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2009/04/04

三人の僕…。

 ふい〜、チカレタ。
 ようやく週末です。物流の末端で全国を走りまわるトラック運転手という職業故に、不況のあおりをどてっぱらで受け止めているので、最近は仕事が少ないのだけれど、それでもまあいろいろとやることはあるわけで、一週間が終わるとほっとします。
 とりあえず長距離が少ないので、定時に帰宅してからは執筆に時間を割けているのでいい流れではある。現実的に収入が減少しているのがきついけれどもね。
 四月一日から長女と次女が保育園に通いはじめ、来週からは家人も職場復帰するので家の中が慌ただしい。会社員としての僕、父としての僕、小説家(志望)としての僕の「三人の僕」をバランスよく使い分けて、効率よく前に進んでいきたいもんです。やっぱりねえ、大切なのは「自分が動いている、前に進んでいるという実感」です。その速度は問題じゃない。歩みは遅くとも、昨日よりも前に進んでいるという実感がないと、人は何かに逃げてしまいます。

 午後五時すぎに帰宅してから、八時までは「父としての僕」の時間。風呂を洗ったり、洗濯物を畳んだり、皿洗いをしたり、子守をしたり、微々たるものではあるけれど、家人と子どもたちのためにできることをやります。てきとうにでなく、きちんと。
 八時からは「小説家としての僕」の時間。書斎に籠もって執筆。テーマやプロット、キャラクタを煮詰めるのは別の時間を用意して、とにかく書きます。どうせ推敲して削ってしまうのだから、文章の精確さだとかは気にせずに、つまずかないようにして書きまくります。そういうふうに書けば、寝るまでに十枚くらいは書けます。まあこれが最終的には二、三枚になってしまうんだけれど。
 だけど、僕の場合とにもかくにも書かないと進まないんです。プロットなんかを濃密にするのも大切だけれど、そればかりに集中しているとダメです。社会人は時間がないですからね。
 筆が走りだすと眠気も飛んでいくんだけれど、日付が変わる前には終わりにします。ビールを一本飲んで、音楽を聴いたりネットを眺めたりして、早めに床につきます。明日の「会社員としての僕」の時間のために。
 この「三人の僕」のバランスが一つでも崩れると、すべてが破綻するということをようやく学びました。日々是勉強。吾以外皆師也。
 基本的に仕事がないときは会社の事務所で待機しているのだけれど、そういう時間ももったいないので、最近は車庫(少し離れた場所にある)へ行ってトラックの中で本を読んだり原稿をチェックするようにしています。あるいはそこで仮眠をとって夜の執筆に備える。
 とにかく、あらゆる時間を執筆に向けたものに変える。仕事中は町の様相を脳裏で描写する。帰宅時にはすこし遠回りをしてロケハンをする。できることはたくさんある。

 そうやって目的を持って日常を暮らすと、すべては好転しはじめます。「はじめの一歩」ってのは本当に大切。ともあれ。

 テレビでベッキーの密着ドキュメントを見ました。ちゃんとテレビを見たのは久しぶりです。
 ベッキーの、危ういけれどまっすぐで前向きな生き方は、すんなりと僕の心に沁みました。もし今の僕が、前に進んでいるという実感をもてずにいたとしたら、ゴキブリホイホイの中で蠢くゴキブリのごとくもがいていたとしたら、彼女の頑固さや弱さ、それらが導いたあの生き方を肯定することはできなかったように思います。ともあれ。

 経済情勢を筆頭に、世を憂う会話ばかりが目立つ昨今です。我が社にも、茅ヶ崎の町にも、不安が立ち籠めています。だけどさ、三十数年生きてようやく実感しているけれどさ、僕がこれまでに見てきた社会的、経済的に成功している人たちってのはさ、単純に、そうでない人たちよりも一生懸命に、たくさん働いているよ。
 才能だ、知能だ、知識だ、環境だ、とかじゃなくて、僕やあなたが寝ている間に働いているってことです。できることはホントはたくさんあるのに、既成の、「普通」という生き方にしがみついて、けっきょく問題を他者のせいにしている。そういう人は這い上がれないし、抽んでることができない。ホント、シンプルに「一生懸命」考えるか考えないか、やるかやらないか、だけなんです。
 執筆後のブログなんで抽象的かつ説教くさくなっちゃうけれど、他人の悪口や文句を言っている自分に気がついたら、ヤバイと思ってください。いつも言うことだけれど、悪いのはすべて自分です。「釘を踏んで怪我さえしていなければこの山を登れたのに…」というのは敗者の弁です。「釘を踏んだ俺が悪い」んです。あなたの会社が悪いんじゃなくて、そんな会社にいるあなたが悪いんです。ともあれ。

 明日から本格的に春の陽気が訪れるようです。土曜日は「父としての僕」の日なので、家事を手伝って、みんなで公園にでも行こうかと思います。日曜日は書斎に籠もって。
 以下、メール代わりに掲示板。ciao!

 >>Daisaku&Yurico 
 近々、ベイベーを拝みに参上します。ヨロシコ。

 >>Shini&Tomoco
 こちらも近々、ベイベーを拝みに参上します。スゴ録ありがとうございます。助かります。ヨロシコ。

 >>KEN2
 時間がとれずメールできずゴメンチャイ。ぶっちゃけ、君のことはあまり心配していません。君が着実に前に進んでいるのが僕にはわかるから。

 >>Kae
 気を遣ってもらってありがとう。どうにかお祝いしにいけるよう努めます。おめでとう。

 >>Malcolm
 例のやつ、かなりいいです。ありがとう。僕は王道のR&Bが好きだったんだなと気がつきました。

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2009/03/27

冬のかたみに…。

Img_9148 なんだかんだと忙しくて更新が滞りました。取り急ぎの近況報告。
 まずは過日。中学高校時代からの友人で鎌倉在住(実家は逗子)のUpoの結婚披露宴へ行ってまいりました。本当は家族揃って鶴岡八幡宮での挙式から行かせてもらう予定でしたが、前日になって長男がインフルエンザを発症したためキャンセル。葉山の海を望むシックな式場で執り行われた披露宴から僕だけ参加。アットホームで素敵な宴でした。
 それにしてもここは料理が抜群だった。これまでに僕が行かせてもらった結婚式の中では最高のフレンチでしたね。メニュー構成、味、彩りと盛りつけ、すべてにおいて感服しました。こんなに美味しいんだったらビールなんか飲まなけりゃよかった。ごちそうさま。たしかアフィーテ葉山というところです。
Img_9158
 数年前に僕が湘南に移住してから交流が復活したUpoとは、あそこに毛が生えはじめた頃からの付き合いで、バスケ部で同じコートを走りまわっていたこともあるんだけど、嫁さんとはほとんど初対面。器量はもちろんのこと、穏やかで優しそうな雰囲気で素敵な方でした。ホントに、Upoにはもったいない。大事にしろよ。お幸せに。100anni!!!
 二次会は鎌倉、若宮大路沿いのアンミラーレフィレンツェ。たしか葉山庵が出したイタリアンで、ここも料理は美味しかった。二次会の常で忙しなく同窓会の様相。Shini、CDありがとね。Corinneはやっぱり素敵ね。

Img_8944 日付が前後するけど、三月十六日は長女の誕生日でした。ついこの前産まれて、その直後に茅ヶ崎に移住したと思ったのに、もう四歳です。時の流れの早さにびっくりです。あんなに小さかったベイベーが、今やべらべらと巧みに日本語を駆使して、すこしこましゃくれてきてもいます。誕生日おめでとう。もう本当に、僕は君たちが健康で、ご飯をばくばく食べて、ダンボを観て笑ってくれるだけで、それを見ているだけで、涙が出るほど嬉しいです。ほどほどにやんちゃに、元気に、これからも育ってください。おめでとう。

「みなさんに明日がくることは奇跡です。 これを知ってるだけで、日常は幸せなことだらけで溢れています」

 「余命一ヶ月の花嫁」として映画化されたある女性の最後の日記の言葉だそうです。映画はどうか知らないけれど、あのテレビのドキュメンタリの彼女の笑顔を見た後に、この言葉は深く心に突き刺さりました。所さん曰く「生きてるだけでまるもうけ」。「生きるということに命をかけてみたい」とは甲本ヒロト。
 抽象的になってきましたね。さあ、この抽象を日常に沈めるためには、今、何ができますか。明日のために。自分のために。ともあれ。
 鶴が台団地のいつもの魚屋で刺身を買って手巻き寿司にして、ピカチュウのケーキでささやかながらお祝いをしました。こういうお祝いっていうのは大切ですね。日常の退屈な営為の中、誕生日やお祭り、記念日にクリスマス、バレンタインデーだってなんだっていいから、人々が同じ方向を見て祝って笑うというのはいいことです。イヴェントは、なければ無理やりにでも作りましょう。
 我が社の長老(勝手に呼ばせていただく)が「お祭りなんてのは他に愉しむものがなかった大昔の慣習だよ」と冗談めかして言っていましたが、それは裏を返せば、やっぱり何か脳を活性化させるイヴェントがなければ、人は生きていけないということです。酒を飲んでも、ギャンブルをしても、ゲームに狂ってもいいけど、なるべく、人と関わっていきましょうよ、と、若輩者は思うのです。もちろん、一人静かに心を落ち着ける時間はもっと大切ですけど。

Im20090324as1h2401n2403200913_2 さてさて、終わりましたね、WBC。僕らにとっては最高の形で。決勝戦を観に行ったMalcolm、マジでうらやましい!あの雰囲気を味わえるだけでねえ…、ズルイ!
 影ながら応援していたドミニカ共和国が早々に姿を消してからは、韓国の投打の強さばかりが目立ち、監督が原でイチローが絶不調ということであまり期待していなかったんだけど、やりましたねJAPAN。そしていろいろあるけれど、やっぱり、イチローです。
 僕は神も仏もジンクスも運命も基本的には日常の外に置いているけれど、人間力というのは信じています。その人の力が引き寄せる機会と、そこで力を発揮できる才能。あの決勝点を叩きだしたイチローの打席はまさに、彼自身の力だと思います。「ここぞというときにしか打たなかった無冠の帝王」の解説・清原が「やっぱりイチローくんにはこういう打席がまわってくるんです」と言ったように、ゲームはいつのまにかイチローに向かって流れを変え、なぜか韓国はイチローと真っ向勝負をして、ドライブシュートのような弾道の痛烈なヒットがセンターを抜け、歴史がつくられた。
 ふつうあそこでイチローと勝負はしませんよ。いくら不調とはいえ。そういうのも運も技術も才能もすべてひっくるめて、あれがスターなんですなあ。天晴れ。

 唐突に話は変わりますが、世知辛い世の中ですな、昨今。
 大不況の影響も加えて、心の問題が大きくなっているのを実感します。旧友に会うたびに、知人の話を聞くたびに、心を病んでいる誰かの話に行き当たります。酒や薬に逃げる者(あるいは心ない医者によっていつの間にか薬漬けにされる者)、周りの人たちのおかげで前を向く者、自ら最期を選ぶ者。そして自分は大丈夫だと思い込みながらも、少しずつ心に闇を広げている者。
 僕は今、自分の家族という至極小さな単位に対してしか幸福を願うことができない矮小な人間だから、何もできないけれど、小説の世界では、みんなを応援しています。
 とにかく、人と関わってください。多少エゴを出しても、主体的に、できたら月に一度は気の置けない友人と語らってください。無理やりに誘ってでも、誰かと触れあってください。人と関わることがいちばん辛く感じても、人と関わりつづけることこそが、生きるということで、人の間と書いて人間ということなのですから。ホントにともあれ。

 さてと、MalcolmとShiniのおかげで最近Coolな音楽に包まれていることを書くつもりだったのだけれど、そこまで辿り着かなかったな。照準の曖昧なメッセージばかり浮かんでくるわい。我ながら鬱陶しい。
 ともあれ、春が来ますね。うちはね、縁側がいいんですよ。ciao!
 

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2009/03/08

納車ドライブ…。

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 土曜日、ようやく新車が納車されました。やっぱり嬉しいもんですね、ピカピカの新車は。
 さっそくチャイルドシートを取り付けて納車ドライブへ。今日は有料道路を使わずにいけるとこまで行こうということで、とりあえず出立。R134を西に向かって一号線へ。県道72から255に入って246へ。このまえ雪に埋もれた山北、小山を通って山中湖を一周して箱根の旧道を使って午後八時過ぎに帰宅。
 途中の道の駅で持参したおにぎりを食べた以外はほとんど走りっぱなしだったけれど、快適な居住性と性能のおかげで疲れることもなく、とても楽しめました。子どもたちは案の定疲れて眠ってしまったけれど、後ろに横になって寝られるので安心でした。ホントは普段車を使う家人に運転してもらうつもりだったんだけれど、ほとんど僕が運転してしまったな。しょうがないよねえ…。
Img_8869 日曜日。朝から車いじり。シートをフラットにしたりラゲッジスペースを最大にしたり、一通りシートアレンジを試してから、荷室に荷物を積む。三列目を出していてもうまくやればけっこう積める。考えた末、せっかくフローリングフロアにしたのだから二列目と三列目は土禁にする。これで子どもたちは部屋と同じ用に暴れてくつろげる。
 ああでもないこうでもないと小一時間考えて、ステッカーを貼る。今回は仮貼りして位置決めをしたのでなかなかうまくいったかな。なんにせよ、派手にガキっぽくならないように注意して、大人になった僕。そうでもないか。
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 左フロントドアに数枚をメインに、右フロントドアはワンポイント程度に、後部も少しだけにしてシンプルにまとめました。後ろはもう少し増やしてもいいかなとは思うけど。あとはレレのYJSをどこかにうまいこと入れるくらいかな。
 昼に家人特製「鶏皮水菜ゴマらーめん」を食べてからお出かけ。郵便局、図書館、スーパー、オートバックスへ。洗車セットやらAUXケーブルやらなにやら…。帰りに寄ったリサイクルショップで可愛い子供用の三段ベッドを発見。買うか否かで今夜は家族会議。
 ともあれ、現代の車に喜びつつ驚いています。カーオーディオもすげえな。MP3とかAACのデータCDも聞けるんだねえ。これだったら別にiPod繋いだりUSBメモリ差したりしなくてもいいじゃんねえ。
 数十年前のオンボロ軽から最新車に乗り換えで興奮冷めやらないんだけれど、今日のところはこの辺で。なんだかんだ疲れたし、明日は朝早い。車で通勤したいところだけれどチャリ。
 また。ciao!
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2009/02/22

八重山住宅サービス…(休日の記録)。

Img_0403 金曜日。風邪気味で喉が痛くて疲れが溜まっていたようで、夕飯を食べてビールを一本飲んだらいつの間にか下のソファで寝てしまう。

 土曜日。風は冷たいがお日様が気持ちいい。午前中は家のお掃除。お昼は、ゴマたっぷりの酢飯に焼いた鯖をほぐして入れてキュウリとにんじんの浅漬けと混ぜた丼。絶品。
 午後は家族で市立図書館へ。僕が図書館で調べ物をしている間にみんなはスーパーへお買い物。
 今書いている作品の参考になる文献を借りる。いじめ、ACの本から、野草、トラック、気象学、炭火料理の本までいろいろ。子どもたちもポケモンの本やら絵本やら。図書館は本当に役に立つ。ライターの人なんかは質のいい図書館の近くに居をかまえるっていうものね。
 家に戻って資料を整理、読みこんで、夜はナスとキノコのトマトソーススパゲティを食べてビールを飲んで、テレビでスターウォーズエピソード3を観る。そういえば3だけ観ていなかった。エピソード1と2はぶっちゃけおもしろくなかったけれど、4に繋がる重要な物語ということで本作はなかなかおもしろかった。人間ドラマがあるしね。マスターヨーダがかっちょいい。影響を受けて、以前から気になっていたライトセーバーのiPhoneアプリをゲット。バカですねえ。
 ひさしぶりに家人と遅くまで酒を酌み交わす。めずらしく夫婦で小説の話などを…。

 日曜日。ゆっくり寝倒して十時起床。昼は、チェダーチーズとサニーレタスと目玉焼きとベーコンのトーストサンド。みんなの大好物。今度はアヴォカドサンドにしよう。
 家族でピクニックの予定だったのだけれど、僕は執筆を進めたいのでドタキャン。みんなは平塚市総合公園へ。この公園はかなりいいね。小川やプール、アスレチックに小さな動物園もあって、広くて便利そう。僕も時間を作って今度はいっしょに行きたいの。

 今日は筆を休めて、図書館で借りてきた本を含めた資料整理と、ネットで情報収集の続き。昨今流行しているネット、ケータイ小説を調べて、オンラインでいくつか読んでみる。オンライン投稿小説を集めたサイトがいくつもあって、けっこうたくさんの作品が掲載されている。昔の同人誌のような役割か。ともあれ、はっきり言ってほとんどがクズ同然。陶酔してうっとりと書きあげているオナニー小説ばかり。しかし、いるもんですねえ、逸材が。同じ物書き志望なので、ここで名前は出さないけれど、ちょっと手を加えればすぐにでも出版できそうな作品を載せている人がいました。その人の作品を三つくらい斜め読みしてみたんだけれど、どれもことごとく秀逸で、参りましたって感じ。ネットなんかに載せてないで、さっさと新人賞に送りなさいって言ってやりたいです。
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 その後、図書館で資料以外に唯一借りた小説『ブルーハーツ』を読む。もちろんタイトルが気になったからなんだけど、これも元々はケータイ小説だということで、参考までに。読み始めると、軽快で読みやすい文章で、気がついたら読了してしまう。表題のブルーハーツのエピソードも少し出てくるんだけれど(クロマニヨンズも)、基本的にはブルーハーツ=憂鬱としての意味でのタイトルらしい。様々な境遇の登場人物が抱く憂鬱をさらりと描いた連作短編集。憂鬱なのに何故か読後感は爽やかで、女性が好みそうな気持ちのいい小説。

 最近書籍化されることも多くなったオンライン小説だけど、僕はどちらかというと否定的に見ていた。まずやっぱり横書きというのが許せなかったし、書籍というものがあるのにケータイやPCという新しいメディアを使うのがなんだか媚びているようで嫌だったし、まともな物書きはきちんと新人賞を通して上に登っていくもので、ネットでどうこうしようというのは行動力と自信のない卑怯者がすることだというイメージを抱いていた。
 ただ、時代は流れ、世界は変化していくのだ。
 いざ触れてみると、薄々感づいてはいたのだけれど、メディアが実用的になれば自ずと優秀な作品も集まり、横書きのまま出版される書籍に戸惑いはしたものの、縦か横かということが作品の本質に重大な影響を及ぼすこともないわけで、結果として活字離れのはげしい若者たちが本を買う流れが実際にできているのであれば、まったくうれしい状況ではあるのだ。
 だけどやっぱり、僕はしこしこ孤独を絞り出して、出版社の新人賞を通して世に出て行くのがまだまだまっとうな道だと思うし、ケータイに合わせて軽い文章を書くというのはどうかなと思います(作品の質のために意図する軽快な文体と、ケータイで読みやすいように安易な文章を書くのは大きく違うもんなあ)
 あとやっぱり、上で書いた才能ある彼もそうだったけど、アキバ臭がするのが多いんだよね。ジュニアノベルって言うんだっけ?なんかファンタジックなものが多い。そういう類を否定するわけじゃないけれど、ね。
 今回は氷山の一角に触れた程度で、全体像を捉えられてはいないのかもしれないのだけれど(そんな時間はないし)、今後の展開には期待できるメディアだと思います。なんにせよ、活字メディアが元気になるというのは好ましいことです。
 今日読んだ『ブルーハーツ』は軽快でさくさく進むので、テレビドラマやマンガ(岡崎京子を思い出した)で描いてもいいなと思ったのだけれど、でもやっぱり、活字だから表現できる切なさ、センテンスの連なりだけがもたらす感情というのはあって、これは小説でよかったんだ、と思い直しました。
 わかる人はわかると思うけど、心をぐらつかせる文章って、本当に紙面に文字が『立つ』んですよ。比喩でもなんでもなくて。

 そんなこんなでネットを浮遊していたら、フリーランスのライターのサイトをいくつか散策。ライターという職業の実情やフリーになるまでの体験談なんかが書かれてるんだけど、さすがにライターの書く文章は読みやすい。自分の表現したいことを書く小説家と違って、普段から物事を客観的に捉えて写実的に表現することに慣れているせいか、文字が立つことはなくても、非常にわかりやすくすらすら頭に入ってくる。
 てなことでライターという職業について、小説家志望としての関わり合いなんかを書こうと思ったのだけれど、面倒だしあまり実にならなそうなのでやめる。興味がある人はネットで調べましょう。物書きのリアルな生活に関しては参考になったかな。

 児童相談所の心理司が書いた『いじめ』に関するノンフィクションはなかなか衝撃的でしたね。内容は小説に昇華させるので書かないけれど、自分の過去を顧みて、そして三人の子の親として、いろいろと考えさせられました。ぼくはいじめっ子でもいじめられっ子でもなかったけれど、僕にいじめられたと思っている誰かもいるんだろうな、とか。

 そうそう、石垣島の不動産王ことレレ(中高時代からの友人)がクールなステッカーを郵送してくれました。ブログを覗いて僕が車用のステッカーを集めていることを知ったのでしょう。自分とこの不動産会社のステッカーですが、なかなかいいデザインです。スケートブランドみたい。
 お礼に宣伝させてもらいます。皆さん、石垣島移住の際にはぜひ『八重山住宅サービス』へ。リンク貼ってあるのでサイトへ飛んでみてください。スタッフブログがいいvibesです。レレのモーヤー(祝いの舞)が見られます。
 レレ、ありがとね。あとベイベーおめでとう。いい写真だ。これって自作?それともどっかに頼んだの?
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 来週の関東は湿っぽい天気のようですが、春も近いです。笑ってまいりましょう。ciao!

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2009/02/15

アメリカのリンゴの電話…2(無為な日々)。

Img_8587 いいですねえ、無為な日々…。
 ってわけでもないんだけれど、今日も仕事や執筆、堅苦しい表現の呪縛から解き放たれて、休日らしくリラックスしました。おかげさまで、家人も含めてみんなそろってとりあえず復調です。
 いやあ、病み上がりってのは無駄に元気だね。身体は鈍っているからなかなかついてこないんだけれど、心はやけに元気。そして庭に吹き荒れるは春一番。春を追い越して、早くも夏の気配すら感じて浮かれる僕と子どもたち。早く海行きたいねー、そーだねー。さっそく縁側に座布団を敷いて吾輩は猫である…。
 庭でお隣さん夫婦と談笑して、てきとーに家を掃除してからお出かけ。日常の買い物をしてから、時間が余ったので辻堂のオートバックスへ。ここはモーター系ステッカーの品揃えがなかなかよろしい。格安とは言えないけれど、まあそれなりにオーソドックスでクールなのが揃ってる。まだ車自体が来ていないので、幅とか曲線とか全体のバランスがわからないということで、今日はとりあえず五、六枚購入。あとは近所のサーフショップをてきとうにまわっていかすやつを探そう。
 でもなあ、ぶっちゃけ、現行のステップってステッカーチューンがもっとも似合わないデザインなんだよなあ…。DQNチューンがふさわしいというか…。ともあれ、新車だからといって甘やかさずに、ガンガンステッカー貼って、ドロドロに汚して、グイグイ走ってやろうと思ってます。ってか納車まだかよー!
Img_0003 てなもんで、余力があるので、ずっと書こうと思っていたiPhoneの話を少々…。
 iPhoneの魅力は、なんといっても、拡張性です。前にも書いたかもしれないけれど、とにかくサードパーティががんばってくれるから、毎日とてつもない数のアプリケーションが増え続けていく。そしてApple自体もヴァージョンアップさせてくるから、どんどん進化していくのです。
 なんて概要はともかくとして、今日ようやく、気になっていたネットラジオアプリ『FlyCast Mobile Broadcast Network』を本格的に使ってみたんだけれど、まさにこれこそキラーアプリ!とてつもないです。iPhoneでネットラジオを聴けるってだけのアプリなんだけど、世界の1000局以上のネットラジオを持ち運べるってのはスゴイですよ。iPod機能が必要ないんじゃないかと思えるくらい。あとSHOUTcastもね。
 中学生の頃、NYに住んでいる知人にラジオを録音したカセットテープを送ってもらって何度も何度も擦り切れるまで聞いていた頃を思い出すと、時代の変化に驚くばかりです。Hiphop、Jazz、BossaからCNNやESPNなんかのニュース、ブラジルやジャマイカの現地のプログラムまで、世界に流れ出ているメロディをすべてキャッチできると錯覚してしまうくらいの衝撃です。
 まあiTunesがあれば聞けるんだけれどね、それを持ち運べるというのはスゴいです。カーオーディオの音源はiPhone中心にするかCDを焼くかUSBメモリに焼くかいろいろ考えていたんだけど、ネットラジオが本命に躍り出てきました。
 まあ、邦楽しか聞かない人にはまったく関係ないし、家でゆっくりする時間がある人はPCで聞けばいいんだけれど、ともあれ、iPhoneを持っている人は無料なのですぐにダウンロードしましょう。MacかPCを持っている人はとりあえずiTunesで試してみましょうね。
Img_8590 ついでにケースのお話。アイウェアで有名なOakleyからクールなケースが出ていたので、AppleStoreで購入しました。Oakleyらしい思い切ったデザインで、装着してみると元々のiPhoneのデザインが完全に隠れてしまうんだけれど、僕のようなガテン系の仕事の人には頼もしい造りになってます。落としても大丈夫らしい。体積は倍くらいになるけどね。かなり気に入ってるんだけれど、休みの日とかは外して使ってます。なんだかんだ言って、そのままのデザインがシンプルでクールですから。
 最近のAppleは極限までシンプルなので、ステッカー妖怪に取り憑かれている僕でも、iMacもiPhoneも手を入れずに使ってます。あるいは僕が大人になったのか。
 けっこうバカソフトも入れたりして、ダウンロードしては消してを繰りかえしているけれど、残るアプリは残ります。FlycastとToyCamera、weathernews、To Do's、BB2C、1Password、産経新聞、i文庫、Virtual Pool、iChessは、消せませんね。是非お試しあれ。
 最後に一つだけ不満点。僕は家での無線LANにAirMacExpressを使っているんだけれど、これは本体に外部スピーカーを接続して、Macから無線で音楽を飛ばせるAirTunesという機能がある。つまり、我が家の二階の書斎にあるiMacのiTunesで音楽を流すと、一階のリビングにあるAirMacExに繋いだスピーカーからも音楽が流れるようになっているのだ。そしてそれをiPhoneのRemoteというアプリで遠隔操作することができる。それはかなり便利なように思えるのだけれど、iPhoneからiMacを操作してAirMacに飛ばすのなら、iPhoneから直接飛ばすほうが簡単だし電力の節約にもなるでしょう。それができないんだよねえ。もどかしい。
 まあでも、こうして書いてみると、なんともくだらないというか贅沢というか、このご時世にアホくさいこと言ってんなと我ながら思います。2ちゃんをロムって嗤っていた僕だけれど、あまり変わりはないか。
 ともあれ、そろそろ無為にも飽きてきたな…。i文庫で小林多喜二でも読みながら床につきましょうか。
 明日は暖かいけど、明後日からしばらくはまた本格的な真冬の寒さになるみたいですよ。気をつけて。ciao!
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2009/02/14

無為…(先生、おなかが痛いです)。

Photo 三日前の晩に、長女と次女がたてつづけに嘔吐しました。二人とも下痢を併発していたので、いろいろ調べてみるとどうやらウィルス性の急性胃腸らしいとのこと。とりあえず飲食を控え、脱水症状を起こさない程度に水分と糖分を補給しながら様子を見て、感染を防ぐために嘔吐物がかかったものを洗い、丹念に消毒して、万全の体制を整えた…、はずだったのだけれど…。
 昨日の朝、出社しようと歯を磨いていると、激烈な吐き気と便意に襲われました。
 洗濯、消毒をしたとはいえ、さすがにパジャマの上下に次女の嘔吐物を浴びて、泣きわめく娘の手で口内をいじられていた僕なので、しっかりと感染しました。烈しい吐き気に耐えながらトイレを往来し、会社を休んで昼前に病院へ行きました。ちなみに九ヶ月の次女は回復していて、僕と長女が診察を受けました。
 やはりウィルス性の胃腸炎。嘔吐下痢症というやつで、一般的には「おなかのかぜ」とか「はきくだし」とか言うやつですね。冬に乳幼児がかかりやすい病気で、ロタとかノロとかの飲食業に携わった人ならよく知っているであろうあのへんのウィルスが原因です。そういや何年か前にも家人が子どもから感染して過呼吸になって病院に担ぎ込んだことがあったね。
 応急処置や療法を書こうと思ったけれど面倒なのでやめる。ネットで調べてね。
 とりあえず対症療法しかないので、吐き気止めと下痢止めを三日分もらって帰宅。ぼくは症状がきついのですぐに坐薬をぶっ込む。人生初の坐薬。トイレに籠もって独りで声を漏らす。おううっ。
 しばくして薬が効いてきて軽口がきける程度まで回復。「三十三年もの間、一方通行でしか物を通していなかった器官が、唐突に異物を受け入れて、しかも逆行させるってのはとてつもない衝撃だよ。そりゃあ声も漏れるさ。そもそも男は女と違って肉体の内部に異物を受け入れること自体に…」
 とそこまで話したところで家人の冷たい視線に気がついたので、ふたたび沈黙しました。

 今日。激烈な吐き気はおさまったものの下痢はまだとまらない。加えてついに家人がダウン。普段は人一倍胃腸の弱い長男を除いた家族全員に感染し猛威をふるうウィルス野郎。
 僕は家に残って下の二人の子の面倒を見て、家人は一人で病院へ。
 だいぶ回復した僕はてきとうにありあわせの夕飯をこしらえて、みんなを寝かしてからたまった家事を片づける。
 昼間はせっかく家にいるのだから執筆を進めようとも考えたのだけれど、もちろんこんな身体じゃあ集中力がつづかない。本を読むのもままならず、所さんの雑誌「世田谷ベース」とか古屋実のマンガとかステップワゴンのカタログとか、肩のこらないものを眺めながら、無為の時間を過ごす。
「無為こそが過激」とはよく言ったもので、何にもならない時間てのは苦痛ですね。だから最近リラックスできないのかな。
 いつの頃からか、小説やマンガを読むのでも、映画やテレビを眺めるのでも、そこからなにかを学ばなければいけない=小説に活かさねばならないという強迫観念がつきまとうようになって、表現を心底から愉しむことができなくなってしまったような気がする。それと並行して、家(特に書斎)にいるときには、すべての行動が執筆に向かっていないと落ち着かないのだ。…。なんか説明が面倒になったので放り投げよう。
 あとWikiとかでAppleの歴史を調べたりしちゃった。けっこう知ってるつもりだったけど、勉強になったなあ。いいね、たまには無為。ってか、僕みたいなタイプの小説(がどんなものか誰もわからないだろうけれど)を志している人間は無為こそが大切だと思うけどね。
 Steve Jobsって人はおもしろいねー。スゲエ才能があって、エゴで、華があって。そーいやゲイツとの物語を映画化した作品あったよねえ。原作は小説だっけ?昔観た記憶があるんだけど、タイトル失念。誰か教えて。
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 新車用にステッカーを新たに集めてるんだけど、世田谷ベースステッカーが思いの外たくさん家にあってびっくり。逆に他のがどっかいっちゃった。誰か大判のクールなやつあまってたらちょうだいね。
 さてさて、降って湧いた五連休(残二日)。明日から有為な日々を過ごしましょうね。
 

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2009/02/08

冬の日曜日、汀にて…。

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 不況のあおりを喰らって、運送業界もかなり厳しいです。最近は仕事が少ないので、定時出社の定時帰宅です。半歩合制の会社なので収入には響くけれども、僕の場合、時間がもらえるのならそれはそれで結構。小説に頭をシフトしています。
 忙しくて執筆を休んでいた時期があったので、しばらく時間をおいてから原稿に触れることで、かなり客観的な視点を持つことができます。単純な文章のミスを容易に見つけられるし、全体像を俯瞰することもできます。自分の世界観にどっぷりと浸かっているときは、なかなか外から見られないですからね。そしてトータルで眺めてみて、いい流れできているんじゃないかと、手応えを感じています。
 ちなみにiPhoneの「i文庫」というアプリがかなり活躍しています。青空文庫(著作権の切れた書籍を無料で読める)を読める上に、任意のテキストファイルが読めるので、僕は外出先での原稿チェック用に使っています。これで三百五十円は安い。青空文庫の書籍(何千冊もあるのかな?)を古本屋で買い揃えるのを考えたら、ね、すごいでしょ。
 ただ、しっかり働いて身体を動かしていないせいか、体調は万全とは言えませんね、最近。タバコの量が増えたことの影響もあってか、ひどく疲れやすく、活力が湧かない。日常の些事がすべて面倒になって、結果として心の健康にも悪影響が出る。休息もほどほどに、人間はリズムが大切ですね。バランスと。

 執筆をメインに考えながらも、現実的な生活に追われる部分もあり、なかなかままならない昨今。休日は新車購入に伴う自動車保険の見直しだとか、金銭的な部分に思考を奪われています。
 それにしても、とてつもない不景気ですな。
 僕がこれまでに読んできたどの小説よりも興奮に充ちた、波瀾万丈な人生を送ってきた六十すぎの某先輩がしみじみと漏らしていました。
「今までにも、景気の波ってのは繰り返し訪れていたものだけれど、今ほど出口の見えない、光の差さない不況は経験したことがないな」と。
 そして僕自身も、「不景気」というものをここまで生活レベルで実感するのは初めてです。最近テレビで流れるニュースのほとんどが、よりリアルで身近に感じられるのは、その根底に経済社会があることを実感しているからなんだと思います。オバマの自動車産業に対する方向転換だとか、蔓延する大麻問題だとか、銀座の路上駐車問題や大規模な某組織的詐欺事件ですら、根底には、この不景気がくっきりと見えます。
 だからといって具体的にどうこう足掻くわけではないけれどね。静かに、根気強く、あらゆる状況に耐えて、生き抜いて、最終的な目標に向かって歩みを進めていく。今は、数メートル先も見えない猛吹雪の中を、ひたすら歯を食いしばって進む時期だから。いつかきっと、溢れんばかりの豊かな陽光が差すことをただ信じて…。
 なんて、面倒だからってこうやって抽象的に書いてみるとなんだかひどい状況に思えてしまうけれど、ね、実際はそうでもないんだよな、日常は。とくに生活レベルが下がるわけでもないし、実質的被害はほとんどないんだけれど、家族を養う身としては先に不安を抱いてしまうよ。
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 それにしても最近あたたかいね。冬の寒さってこんなもんだったっけ?
 今日は家族で久しぶりに海へ。近所のスーパーに入ってる美味しいパン屋さんで調理パンをたくさん買い込んで、ポットに熱いコーヒーを入れて、昼すぎに車で茅ヶ崎漁港へ。
 漁港の駐車場は満車に近いほどの混雑。砂浜では早くもBBQをやっている家族もいる。僕らもリアハッチを開け放って、海を眺めながらフィッシュサンドなんかを喰らって、ひさしぶりに一眼レフを持って砂浜を歩く。忘れていた潮風の香りを嗅いで、汀に居を構えていることを思い出しました。なんだかね、せっかくだもの、たまには海を眺めてみるもんですよ。

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 徒然なるままに思いついたことを連ねていけば、そういえば昨日、DVDで『イノセンス』を観ました。最新作『スカイクロラ』を観てないから何とも言えないけれど、押井守は少しベクトルを誤っているような気がしました。前作で作り上げた世界観に、より生身の、腐臭のする人間くささを持ち込んでいるようだけれど、その反面、映像で圧倒させてやろうという魂胆が見え隠れして、僕は興醒めしてしまった。
 映像に関して言えば、あれだけバックのCGを見事に作りあげておきながら、主人公バトウをはじめとする人物の造形が陳腐すぎる。そして世界観で言えば、文学的な科白の多用が、こけおどしに見えてしまう。
 インテリ層にバカにされようとも、確固たる世界観を確立させて、その中で自由気ままに表現を愉しむ宮崎駿に比べて、まだまだ若く青い印象だけが残ってしまう。
 世界観が重宝されるのは、バブルの時代だけですよ。心に波風が立たなければ「他人」の記憶には残らないし、後世にも残らない。まあでも、続編が作られたら観るけどね。観るだけの価値はあるけどね。
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 僕は最近、松本清張だとかの八十年代にドラマで流行った刑事物サスペンスが好きです。あと寅さんシリーズとか。映画少年だった頃は、寅さんだけは死んでも認めないって言ってたんだけどな。年をとったんだな、おいらも。
 年齢を重ねて、人生の場面に隠されたいろんな部分が見えるようになると、ああ、僕は頭が悪かったんだなあ、と心の底から実感する。そしてまた、安堵もする。そして、今こうして馬鹿なりに理解して、俯瞰できる世界の中で、それでも言いたいことを書いていこうと、あらためて思います。
 まあまあ、今日はそういうことで、「イノセンス」と同様に、最終的になんもまとまらないけれど、おやすみなさい。明日からまた、日常という舟がいきます。
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 トラックではチェーンスモーカーの僕だけれど、家では深夜に庭で一服するくらい。
 最近気がついたのだけれど、この一服はなかなか大切だ。点滅する街灯に照らされた我が家を眺めながら吸いこむ煙が肺をきゅっと締めつけて、ぼんやりと星空を眺めていると、ようやく日常から解放されて、人生を俯瞰できる。
 ああ、そうだ、僕にとって、僕ら家族にとって本当に大切なことはこういうことなんだ。その為に今、そして明日から僕がまずやるべきことはこういうことなんだ、という道標をくれる。紫煙と星空。
 忙しない日常はね、ホントに、確実に、あなたの大切な価値観を追いやっていくよ。
 どんなに日常が忙しなくとも、瞑想の時間は大切です。

 


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2009/01/25

Hop Step WGN!…。

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 ステップワゴン、契約してきましたよ、さっき。いやあ、人生初の新車購入、興奮しますねえ。
 今乗っているオンボロ軽バンの車検が八月で切れるということで、五人家族に適したミニバンを探しはじめて、いろんなメーカーの車種を調べているうちに、やっぱり僕はホンダ党らしいということに気がつきました。そこで当初は、茅ヶ崎の細い路地での運転、燃費などを考えて、今爆発的に売れているフリードにしようと思っていたんだけど、ディーラーで見積もりを出してもらうと、値引率がかなり違うためにステップワゴンとの価格差があまりない。それだったら広いほうがいいだろうと、ステップワゴンに決定しました。
 取り回しや燃費、顔を考えるとフリードだけど、やっぱり子どもたちのことを考えて居住性を優先させました。

 ちなみに値引きは結構がんばってもらいましたね。Gにフローリングと一番いいオーディオをつけて、他に細かいところをサービスしてもらって、五十万円引き。かなりいい買い物ができたんじゃないかと自画自賛しているところです。
 ぶっちゃけ今、ステップは買い時ですよ。今年中にフルモデルチェンジが予定されていて(昨日訪れたディーラーの営業は「あってもマイナーでしょう」と言ってたけど、契約したところの営業は「たぶん秋でしょう」と認めてた)、またフリードが爆発的に売れている反面、ステップはライバルのセレナやヴォクシーに押されている感があるから、値引率がもともと高い。だからこの決算期は絶好の機会です。モデルチェンジから四年が経っているから車両自体の不具合もほぼ完全に解消されているし、ローンで買う人は、ホンダファイナンスがミニバン限定低金利キャンペーンをやっているので、これを利用することでさらなる値引きの武器にもなります。
 ちなみに僕は、先週、会社の先輩の紹介の「他店とは一円まで戦いますよ」と宣言する近所の頼もしいディーラーで限界値引きを出してもらってから、昨日、別経営の他のホンダでそれより好条件の見積もりを出してもらい(ここが勝負所だったな)、今日、その条件を武器に持ち帰って最終的な限界値引きを出してもらって、契約しました。やっぱり競合は必須です。あとはハンコ前のゴリ押しですかね。

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 実は、つい先月くらいまでは、先代の二代目ステップワゴンの中古車を買うことに決まっていたんだけれど、いざ買う段になって急展開、現行モデルに決めました。先代のほうが室内が広いし、ポップな車体色も選べるし、サンルーフもあるし、シートアレンジも豊富だし、顔も間抜けな感じがcoolなんだけど、新車の安心感に負けましたよ。現行はぶっちゃけダサいものねえ。買っちゃったんだけどさ。
 こうやって現実と折り合いをつけて、車を買うんですねえ。もっと頑張って、好きな車に乗りたいのう。好きな車に乗れるとしたら、今はJEEPのWranglerかPatriotかなあ。

 営業さん曰く、次期モデルは新型オデッセイの顔になるんじゃないかということ。キープコンセプトなので居住性などはそう変わらないんじゃないかと言ってたけど、これだけセレナやヴォクシーに押されているのだから、次はたぶん先代モデルの形に戻して広い箱型にするんじゃないかと僕は睨んでいます。僕には関係のない話ですがね。
 ともあれ、納車が楽しみです。さすがの僕も新車だったら洗車するんだろうなあ。
 

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2009/01/10

書斎をリセットしてくるりを聞いたりして…(休日の記録)。

Img_0236 三連休の初日。朝はゆっくりたっぷり眠って、新年の大掃除。年末にきちんとできていなかったからね。家人が一階、僕が二階を担当して、綺麗に磨きあげました。 
 布団を干していつものように寝室の掃除をしてから、今日は書斎を重点的にやっつけました。
 iMacを拭きあげて、スパゲッティ状態になった電源コード類やら書籍類の埃を掃除機で吸い取って、ガラクタを整理して、床を雑巾で磨いて、山積した雑誌類の整理をして、ディスプレイしてある車のおもちゃとかブルースハープとかを磨いて、なぜかギターのチューニングをして、前にもらったトランペットのマウスピースを試したりして、手紙類、マニュアル類を整理して…と、まあとにかく目について気になったところを片っ端から片付けました。
 と言いたいんだけれど、書斎の東側の収納部分には手が届かなかったな。ホントはここに無駄なものがいっぱい詰まっているので整理したかったんだけどな。できたら明日頑張ってやっつけるつもりです。
 書斎掃除の常として、何冊もの書籍に足を引っ張られてだいぶ時間がかかりました。埃を拭きとろうと手に取った本をつい読みふけってしまう。本屋に行くと浮かれてしまうけれど、僕の部屋にはまだまだ読み返すべき貴重な本がいっぱいあるんだと頷きましたよ。読了してないのもあるしね。そーゆー本をまとめていくつかの山にして目につくところに積み上げたので、なかなか気持ちがいいです。
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 昼をだいぶすぎてから、みんなでお出かけ。食べたいものの希望がばらついたのでジャスコのフード街へ行って各々好きなものを食べる。
 ジャスコ内の本屋で立ち読み。今夏に購入予定のミニバンの雑誌とiPhone雑誌。iPhoneのjailbreak(脱獄)に興味があったんだけど、やっぱりやめたほうが無難そうだね。ただでさえ保証の薄いiPhoneだから、何かあったときに自己責任というのはリスキーすぎる。それに今はjailbreakしなくても充分すばらしいアプリが出ているものね。
 夕飯の買い物をして帰宅。昨日から本格的な冬の寒さだね。

 夜はみんなでカレーライスを食べて、僕は書斎でくるりを聞きながらiMacのバックアップ作業。
 最近トラックでくるりを聞くことが多いんだけれど、あらためてなんつうか、いいです…。
 もちろん長距離の旅情とか孤独感とか、トラック内での大音量とか、いろいろ関係しているとは思うんだけれど、なかなか心に響くじゃねえか…岸田くんよ。
 まだ整理できていなくて、言葉も発酵していないのでうまく言えないのだけれど、バランスがとれていて、ヤラレタって感じになります、最近は…。何年も前から聞いているのでどういう音かわかっているつもりだったのに、ひとつひとつに圧倒されちゃってます。
 くるりの、旋律と、言葉が、融合して、僕に、僕の人生を、俯瞰させてくれる。
 ブルーハーツに熱くなっていた頃を思い出しました。楽曲を聴いて、自分の存在や来し方、行き方にまで思慮をもたらす音楽に、人は惹かれるのですよね。表現というのはそういうもだし、心に響くというのはそういうことなのだけれど…。
 でもまあ、やっぱり、トラックの車窓を流れる情景というのがね、けっこう大きいです。明ける前の首都高湾岸線、ベイブリッジを抜けた先に、見たこともないほど巨大でまん丸の月が現れた瞬間、そのとき車内に流れていた『東京』が、ある完成された形になりました。あるいは西へ向かう夕方の箱根の下り、眼下に広がる街の無数の窓の明かりを見下ろしながら聞く『BABY I LOVE YOU』。関西からの帰り、渋滞した浜松のバイパスを疲れ切った脳でのろのろ走りながら聞く『男の子と女の子』。夜の西湘バイパスで漆黒の海面に広がる月明かりを眺めながら聞くマイルスのラッパ…。って、くるりじゃないか。ともあれ、疲弊しきって脳が「快」を求めはじめているときに、音が沁みます。

 ともあれ。明日は先週二回食べた平塚の花水ラオシャンへ行こうかと思います。その話はまた後日。ciao!
 

 

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2009/01/04

2009…。

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 おめでとうございます。今年もよろしくどうぞ。
 年末年始と、それなりに忙しなく、それなりにゆっくりと、とてもいい時間を過ごせました。暴飲暴食で胃はちょっと弱っているけれど、頭も身体もリフレッシュできて、とても自然に前向きになれています。正月ってのはね、無理やりにでも休まないとね。だんだんと動きたくてウズウズしてくるようじゃなきゃダメですよ。
Img_0143 大晦日は、年越し三十分前に、今にも眠りに落ちそうな長女を含めた子どもたち三人と共に厚着をして、近所の神社へ。お酒とおでんをもらって子どもたちに食べさせたり焚き火にあたっているうちにいきなりカウントダウン。ローカルの乾杯の和に入る。若者たちは気が狂ったかのようなテンションで携帯にあけおめを叫ぶ。茅ヶ崎も四年目になるので、神社にも知った顔がちらほらと。おめでとう。今年もよろしく。
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 元日は家から一歩も出ずにドゆっくり。二日はおいらの実家へ。普段は口にできない超一流を味わい、あらためて大仰に人生を考える有意義な正月の慣習。洗練された住居で、金と手間がかかった料理を、これまた一流の食器を使っていただくと、なるほどと膝を打つ。書からではわからない、実感の力…。茅ヶ崎の牧歌的で大衆的でほんわかとした価値の中でリラックスするのも悪くないけれど、洗練に身を置くと、なにやら熱い衝動が腹の底に湧きあがってくる。もっともっと欲張って、もっともっと精進せねばと…。
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 十月に納車されたばかりだという親父の愛車に乗っかって六本木界隈をドライブ。途轍もない快適性と途轍もない加速と途轍もないプライス…。うちの軽と同じ「自動車」という乗り物にカテゴライズされるものとはとても思えない存在感…。いわゆる高級車というものにはあまり興味を示さなかったおいらだけれど、ここまでスゴいともう圧倒されるばかり…。
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 家庭よりも仕事を優先させてきたように見える親父だけれど、三人の孫に囲まれて笑う姿は微笑ましい。埃をかぶっていたAIBOを出してきて孫たちを遊ばせ、しまいには、もう使わないから、と言って、AIBOを子どもにくれました。あーゆー東京のモダンな家には似合うけれど、茅ヶ崎の陽光に灼けた畳を歩くAIBOはちょっと不釣り合いだよねえ。子どもたちは大喜びだけれど。
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 今日は家族でお買い物。家電やらなにやらを買って、家人のこしらえた大根餅を食べて、くだらないテレビを眺めて、正月終了…。
 なんだかんだ言って、正月でも家人はあまり休めてない様子。もう一踏ん張り。子どもも含めて、力を合わせて笑っていきませう。
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 ともあれ今年も、どうぞヨロシコ。
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PHOTOS/iPhone/ToyCamera

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2008/12/30

年の瀬に…(トイデジはもういらない)。

Dt1  さてさて、気がついたら年の瀬ですよ。寒いですよ。忘年会ですよ。なんだかんだと忙しくて、正月もあっという間に過ぎてしまうだろうと容易に想像できますよ。なんにせよ、年末、ちょっとは浮かれてみましょうね。

 先週の土曜日は会社の納会。ってかまあ、飲み会。先輩方と居酒屋でどんちゃん騒ぎして、おねえちゃんのいる店で『Oh! クラウディア』を唄いあげて、我が家でちょっとだけ飲み直して、見事に宿酔い。
 月曜日は中高時代の友人たちとの毎年恒例の集まり。友人が営む広尾の某カフェにて。っていうか別に名前を出してもいいのかな。ねえ、Shinpei…。
 Daisakuのところに泊まって、さっき茅ヶ崎に帰ってきて、家族で年末の食料を買い出しに行って、TSUTAYAでDVDを借りて、帰宅してコーヒーとドーナッツで一休み…。iMacをキュキュッと磨きあげて、書斎の定位置で久しぶりにゆっくり落ちつく。
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 ところで、ついにトイデジ買いましたよ!…と、言いたいところなのだけれど、そうではなくてiPhoneのその名もToyCameraというアプリをゲットしました。これはおもしろい。トイカメラっぽいエフェクトを自動でかけてくれます。モノクロームだったりトンネルだったり色合いだったりの設定ができず、毎回ランダムなエフェクトなところがちと厄介だけれど(ヴァージョンアップで対応予定らしい)、それでも充分トイカメラの風合いを表現してくれます。これで230円だからね。トイデジを買うの辞めました。iPhoneで充分。今日なんて一眼レフを肩から提げながら、ずっとこれで写真撮ってたもん。
Img_0070 iPhone、使えば使うほどすごいですよ。とにかくアプリがたくさんある。無料アプリもかなりあるし、有料のものだってだいたいは二、三百円くらいだし。また今度詳述するけど(まだ引き延ばすか)、とにかく、OSがどんどんアップデートされ、アプリがどんどん増えていくので、機能がどんどん増えていくのだよ。マルチタッチは思いのほかスムーズだしね。
 メインで使っているいくつかのアプリをひとつひとつ説明したいところなのだけれど、またしても次回に譲ります。代わりに、iPhoneでてきとうに撮影した写真を何枚か…。
 ブログに書きたいことが山ほどあったんだけれどね、それも先延ばし…。今日はブリカマの塩焼きを食べようかね。納豆とね、味噌汁とね…。ciao!
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2008/12/12

アメリカのリンゴの電話…。

Dsc00516 仕事の関係でソフトバンクに鞍替えしたのを機に、iPhoneデビューしました。
 一足先にiPhoneを購入した友人知人が、mixiの日記やブログなんかにiPhoneの記事を書いているのを見るたびに「けっ!たかだか携帯電話に自己満足して誇張して書きやがって!俺はiPhone買っても絶対ブログには書かねえぞ!」と心の裡で叫んでいましたが、あれは完全なるやっかみでした。ごめんなさい。書きます。許してください。

 っていうか、かなりいいんですもの、iPhone…。発売当初のブームが沈静化してからは、負のニュースばかり目立っていたし、正直Apple製品はそれなりの期間を経て熟成するまでは実用に遠いというのを経験から悟っているので期待していなかったのだけれど、iPhoneはかなりの満足度です。
 
 なんていうか、携帯電話じゃないよね。iPodとも違う。Macintoshシリーズのひとつととらえていいと思うくらい。MacBookとPDAの中間くらいの位置づけかな。
  …と、詳細に至るまで徒然と書き連ねるつもりでしたが、疲労困憊により今日は断念…。
 ともあれ、おそらく皆さんが思っている以上にいい出来です。詳細は次回に期待せよ。ciao!

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2008/11/24

生きる…。

 家人の祖母が亡くなり、昨日お通夜に行ってきました。
 僕は何度かお会いしたくらいで、たいした会話を交わしたわけでもないのですが、お祖母ちゃんのおおらかな笑顔は非常に印象に残っています。都内にけっこうな土地と財産を持っていて、大きな家に住んでいて、書道の先生をしていたことがあって、子どもにはひたすら甘く何でも買ってあげて、いつも目を細めて笑っていて、夜は米を食べずにウイスキーで晩酌をするという、したたかで粋なおばあちゃんでした。

 じつは、昨日が僕にとって人生初めてのお通夜でした。僕はこれまでお葬式にも出席したことがありません。
 中学生の時に(唯一の)祖母が亡くなったときは、期末試験の最中だからという理由でしばらく祖母の死自体を知らされなかったし、母親が亡くなったのを知ったのは(ワケあって)死後数年たってから、一昨年くらいのことです。
 家人からお通夜に出席するという話を聞いて、僕は、昔の日本映画で見たような、大きな畳の間で、寿司を喰らいながら酔っぱらった親戚のおっちゃんたちに苦笑いしながら、立ち籠める線香の香りを嗅いで坊主の読経を聞き流すといったシーンを想像していたのだけれど、実際は都心の小ぎれいな斎場でやけに事務的でてきぱきとした進行のおねえさんに仕切られて終了してしまいました。忙しない世の中です。
 それでも、純白のクリーンでモダンな室内に不釣り合いなほど豪勢な建具や棺。絶妙なリズムで鳴らされる坊主の木魚とチーン。神経を穏やかにする抑揚の読経。仄かに鼻をつく線香の香り。そういった道具の複合が、短い時間であるにせよ、忙しない日常を忘れさせ、故人に思いを馳せ、そして明日からの自分の行方を考えさせる貴重な時間をもたらしてくれました。
 こういった宗教的な道具ってのいうのはすべて、日常の精神状態をあっちの世界に飛躍させるためのものなんですよね。仏教に限らず、キリスト教でもイスラム教でもヒンドゥー教でもなんでも、五感すべてに非日常の刺激を与えて、簡単に言えば「ラリる」ように持っていく。「悟り」を得る恍惚は「ラリる」それと同じことです。線香の香りに木魚のリズム、そこに読経と啜り泣き震える声が加わればガンジャくらいの効果はあります。
 たとえば冬のマンハッタン。深夜のダウンタウン。誰もいない礼拝堂の冷たい床に膝をついて、黒い肌の母親は一心不乱に「主の祈り」を唱える。何度も何度も、囁くように、時おり窓から差し込む車のヘッドライトに白い息を照らされながら、永遠に続くかのように、天にまします我らの父よ…と。
 あるいは護摩業。あるいはお百度参り。あるいは日に何度もメッカを向いてアラーに祈る。修行するぞ修行するぞ修行するぞという麻原某の祈りも、その単純な反復の苦痛が恍惚をもたらし、日常の些末な悩みを非日常に昇華させる。
 それは、無目的で退屈な日常の中、ちょっと近所をランニングしてみると、なんとなく何かを成し遂げたと思いこんでしまう感情に似ている。かつての中国の洗脳方策にも似ているし、セミナー式の集団詐欺にも似ている。抑圧からの解放。これはストーリーテリングにも有効です。ともあれ。

 僕に宗教観が薄いのは、お通夜、告別式というものをこれまでに経験してこなかったということにも一因があると思います。
 棺の戸を開け、故人の顔を直に見る。この映像がどれだけ人の心に残ることか。故人との付き合いが浅くとも、その死にゆく顔は、若い心に楔を打ちます。僕も実際、死に化粧を施されたお祖母ちゃんの顔を見た瞬間、僅かな記憶が眼前にリアルによみがえり、涙がぶわっと溢れてきました。ぶわっと溢れて、一筋落ちて、そしてすぐに止まり、日常が戻りました。
 意図的ではないにせよ、僕から「死」を遠ざけてきた父親に、そのときすこしだけ憎悪を抱きました。
 読経を終えた坊主が言いました。最大の供養は、故人を忘れないことです。そして、時間をかけて、心を持って、故人を想うことです。そのためには、言葉を持って、口に出して、故人に話しかけることです。話し続けることです、と。
 見るからに胡散臭そうな坊主でしたし、僕もすれた大人になってしまっているので、心の裡ではわかったようなことを言いやがってと悪態をついていましたが、成長の過程においてこういう坊主の説教を聞く機会があるとないとでは、その後が違うのではないかと思いました。

 そして冠婚葬祭の作法。僕はもちろん初めてでしたが、作法を知ってはいても身についていない若い人が何人かいました。狼狽を隠しきれずに、無様に終える人。作法がわからずとも気持ちを大切に、堂々と振る舞う人。学ぶところは、あらゆる場面にあります。

 昨晩は家人の実家に泊まらせてもらい、今日の告別式は辞退して、午前中に帰途につきました。今日中に仕事の買い物を済ませなければならなかったし、家に帰ればまた忙しない日常が待っています。
 先週から本格的に4tトラックに乗るようになって日常はかなり変わりましたし、いつまでも死を想ってもいられません。

 帰り際に、関西の道路地図を購入しようと立ち寄ったTSUTAYAで、黒澤明の「生きる」をレンタルしました。黒澤映画でいちばん好きな作品で、いちばん見返した作品のはずなのに、ストーリーをまったく思い出せず、なんだか不思議な気分で手に取りました。幸い明日も休みなので、これからゆっくり観ようと思います。
 余談ですが、最近4tに乗って忙しくなってから、とりあえず発信(執筆)に無理やり心を砕くのを辞めています。さすがに死にそうだから。
 その代わりに、受信は楽で愉しいから、本を読んだり映画を観たりしています。TSUTAYAの半額クーポンが出ているときは大量に借りてきます。だからといって、技術が進歩しているからといって、DVDをPCにコピーしたりしてはいけませんよ。最新のiMacを買ってMac The Ripperとかいうフリーソフトがあっても、コピーはダメですよ。好きな作品をレンタルしてコレクションしてはダメですよ。子どもに見せたいからって「となりのトトロ」をコピーしたら違法ですよ。
 そういう流れで、好きな作品を見返しているんだけど、北野武の「キッズ・リターン」が思いのほか良かったですね。純文学の短編にしたい感じです。シーンが端的で、無駄がなく、音楽と映像がバランス良くて、そしてひとつひとつの絵がじつに安っぽくて(リアルで)、いい。寺島進のファブリーズのCMが好きです。
 映画の話になると長引くから次回に譲ろうと考えつつ書きたいのが、最近見返した「The Shinning」。一言で言えば、洗練。舌を噛みそうだけれど、ソフィスティケイト。無駄なものが一つもない。シーンも科白もキャスティングも。ある程度の年齢になって心底から映画に集中できない日常を生きるようになると、こういう洗練された映画の日本刀のように研ぎ澄まされた輝きに気がつく。
 冒頭からの空撮シーン。ジャック・ニコルソン、妻、子ども、黒人の従業員、はてはホテルオーナーのキャスティングから、秒単位のすべてのシーン、カメラワーク、音響、音楽まで、もうなんていうか、あまりに完璧すぎて、感想なんてないほど…。ともあれ。
 

 話を戻しましょう。
 今、脳裏に鮮明によみがえるのは、棺の中のおばあちゃんのやすらかな死に顔と、焼香のお辞儀のあとに目に入った喪主である家人の父親の憔悴しきった表情です。その横に並ぶ親戚の方々のうつろな表情とともに、僕は、今こうして生かされていることに、心から感謝の気持ちを抱きました。
 そして、この、至極私的で無様ながら、普遍である「感謝」という気持ちをどうにか誰かに伝えたいと願い、その難しさに頭を抱え、だからこそ小説なんぞを書くのだなと、自戒とともに頷きました。
 そしてまた、日常という舟がゆく。

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