2009/07/04

砂丘にて。

Img_0685_2 近況です。
 過日。諸事情によって結婚のお祝いができていなかった大学時代の友人Kaeのところへ行ってきました。当時いっしょにつるんでいた盟友Shiniとともにひさしぶりに三人での再会(十年ぶりくらい?)。あの頃のように、おいしい焼鳥屋(@綱島)で生ビールをかっくらいながら愉しくアホみたいに笑いました。その後、Shiniとともに新婚のKaeの新居にお邪魔して、旦那様も加わって飲み直し。本当に懐かしく、愉しい時間でした。まあちゃん突然の来訪失礼しました。
 Kaeはあいかわらずビールをたくさん飲んで、よく笑っていたけれど(人間の最大の魅力はどれだけ笑っているかです)、その笑顔の一枚裏に、あの頃はなかった影を発見して、時の流れを実感しました。彼女もまた、他の多くの人がそうであるように、何度かの冷たく暗い「いやというほどの夜」をすごして来たのでしょう。そういう旧友が今、笑顔で生涯の伴侶と同じ道を歩きだしたということは本当に嬉しいことです。こういうときに何度も心の裡で頷いてしまうのだけれど、ホントに、友人の結婚というのは僕を勇気づけます
 
 過日。仕事で鳥取を訪れた折に、時間が余ったので鳥取砂丘へ行ってきました。我が国で唯一、砂漠にちかい閑寂を味わえるところだという認識のもとにわくわくして訪れたのですが、当初の感慨は微妙でした。
 『砂漠』でなく『砂丘』というように、敷地面積が予想をはるかに下回っていて、ああ、こんなもんなのか、というトホホ感がまずたちあらわれ、平日ということもあってかほとんど誰も利用しようとしないラクダや馬車のウマの寂しげな瞳がトホホ感を増大します。観光地なので平日といえどもちらほら人が歩いていて、それもトホホです。
 人がわんさかいれば観光気分になれるけれどそうではないし、人っ子一人いなければ白い空と黄色い砂の世界に一人佇む非現実的な世界を満喫できるのだけれどそうでもないし、風景も気分も中途半端なまま、裸足で砂の丘陵を登りました。
 で、頂で、息を呑んだ。ハハハハ、と力なく笑いがこぼれた。
 世界が唐突に姿を変える一瞬を、ひさしぶりに味わった。
 砂丘の入り口から眺めた景色は、遠近を確かめる対象物がないためにひどくあっけなく見えたけれども、実際にその砂丘を登ってみるとかなりの距離と傾斜があって、頂上に着く頃には息も絶え絶え。で、期待もせずに頂に上がると、眼前に広がるは広大な海。そして、一歩でもまちがえればすぐさま墜落していまいそうなほど急傾斜の砂浜。ありがとう。
Img_0703 なるほど、ありがとう。こいつあ、なかなかの絶景じゃないか。
 年齢を重ねると、静かに訪れる感慨のほうが深いことに気がつく。唐突なインパクトは、それほど深く刺さらない。砂丘頂上から眺めた光景は、そんなふうに静かに僕の記憶の一葉となった。
 お土産屋の観光バス駐車場に駐めていたトラックのところに戻ると、隣のバスからおっちゃんたちの酔客が集まってきて「おう、湘南ナンバーじゃねえか」「何時間かかるんだ?」「何泊するんだ?」「俺たちは浦和から来てんだ」などと話しかけてくる。てきとうに話を合わせて、作業ズボンに入り込んだ砂を払って、県道へ出る。夕方になっても淀みのない青空が、なぜか僕を元気づける。おセンチで恥ずかしいけれど、長距離の時はいつも思う。旅路の果てはいつも我が家。旅の孤独は、すこしだけ人を優しくしてくれますよ、ホントに。

 過日。盟友Daisaku&その妻Yurico&彼らの天使Ricoが来訪してくれました。Ricoはとっても可愛かったけれども、我が家の三兄妹にはかないません(そういうものです)。
 その折にDaisakuに昨今はまっている音楽を教えてもらったのだけれど、Jamie Cullumにはやられました。世界的にはJazzというジャンルで取り扱っているらしいけれども、彼はもう、完全にポップで、いい意味でも悪い意味でも安っぽくて、まさに僕好みです。
 至極簡単に誤解をfuckして言うと、まあJazzなんだけど、全体的なflowはNirvanaとかUKロックで、ピアノとヴォーカルはたしかに秀逸で、顔はイングランドのジェラードとかガスコインとかの伝統的な造形にもののけ姫の米良さんを混入させた感じです。
 まあでもなあ、僕の場合、何がどうであれ、声に艶さえあれば泣いてしまうのでね。彼のハスキー部分で射精しますけど。
 今後はもっとはっちゃけてJazzにとらわれずに飛んでほしいけれど、ピアノでいえばBen Foldsとかと境界を明確にしないとねえ。

 ふう。さて今日も本題に辿り着かなかったな。
 村上春樹が存在しない小説の世界を書きたかったのだけれど、それはまた後日。週末をバカにしないでね。笑ってね、いつもよりも。ciao!


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2009/06/14

再起動せよ。

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 MacやiPhoneを使っていて動作が遅くなってきたなと思ったら、再起動すればたいていは直る。それまでコンピュータにかかっていた重い負荷をいったん降ろしてあげて、身軽にさせてあげるのだ。そうすればふたたびサクサクと快調に動くようになる。
 人間にも同じことが言えるようだ。どこかでそれまでの負荷をリセットして再起動してあげないと、虹色のくるくるマーク(Mac OSにかぎった話だけど)がまわりつづけて、身動きができなくなる。

 僕は今日、茅ヶ崎の海でようやく再起動ができた気がする。ここ数日、あるいは数週間、くるくるマークが回りっぱなしで、なかなか前に進めていなかった。とくに明確な出来事があったわけではないのだけれど、体も心も重く、執筆も滞って、動きが鈍くて「生」の実感が乏しかった。沖からは素敵な波が押し寄せてくるのだけれど、必死にパドルをしても筋力が衰えていて置いていかれてしまうような、そんな感じだった。
 いろんなものが溜まっていたのだ、と思う。将来の大雑把なプランから、毎日の矮小な慣習まで、様々な「思考の種」が折り重なって、日常の底に澱みたいに蓄積していった。考えることが多すぎて、それらを消化する時間と体力が足りなかった。
 だけど僕ら人間は、Macのように簡単に再起動できるものではない。デスクトップ左上のアップルマークをクリックしてメニューバーから「再起動」を選ぶようにはいかない。言い換えれば、僕を含めた多くの人は、その「再起動」メニューを模索しながら毎日を生きていると言ってもいい。
 僕は何日か前から、視界の左上のところに再起動のメニューが見えていた。
「走ろう。海へ入ろう」
 やるべきことはわかっていた。頭んなかが濁っているのは、精神的な要因だけではなく、脳に繋がった身体全体が不調を来しているからだ。肉体を躍動させて、血流を促して、毒を排出させて、身体に勢いをつけよう。そうすれば、焦ることなくひとつひとつの思考をクリアしていけるはずだ。
 そうはわかってはいても、腐りはじめた肉体を躍動させるのはなかなか難しい。休息を求めていながら焦燥感に追われてゆっくり休めないというマイナスの循環から踏み出せない。「走ろう」と決めてから、今日実際にランニングシューズに足をつっこむまでには、かなりの時間がかかった。

 午後四時すぎ。あいにくの曇天。Speechの新しいアルバムを聴きながら、海への道を走りはじめる。ひさしぶりのランニング。今にも泣きだしそうな雲。サイクリングロードを行き交う大勢の人たち。足首と膝に鈍い痛みが浮かんでくる。体幹に滲みはじめた汗と、足の痛みが、だんだんと心と体を溶かしていくのがわかる。じわじわと、ゆっくりだけど。
 BBQの後片付けに追われる若者があふれたパークに着く頃には、鈍った両脚は鉛の棒のようになって、体中が火照って湯気が立ちのぼっていた。足は痛くて、目がくらむほどに暑い。だけど、気持ちがいい。
 もう、走れない。帰りは、痛む足を引きずって、donny hathawayを聴きながら、ゆっくりと砂浜を歩く。
 走ればいいってもんでもない。身体に鞭を打てば、心の曇りが晴れてすべてがうまくいくってわけではない。走りだすまでが、大切なのだ。子どもたちの相手をして、家人が抱えた家の仕事を手伝って、書斎で有意義な作業をして、ギターを触ったり映画を眺めたりして、僕はようやく走りはじめることができるのだ。ここが肝心なところなんだけれど、いざ詳細を説明しようとしたら、相当面倒だということにいま気がついたので放り出すことにします。

 身も蓋もない言い方をすれば、脳を活性化させましょうね、ということです。身体を動かすというのが、手軽で手っ取り早いんです。ただそれだけではいけない。勢いがついたところで、大切なことを思いだして、それをふたたび日常に置いていかないと意味がない。そうして忘れていた理想の生き方をふたたび歩み始めて「再起動」が終了する。で、しばらくしてまた濁る。動きが鈍くなる。再起動する。その繰り返しです、たぶん、人生ってのは。
 素敵な人生を歩んでいるように見える人ってのは、自分だけの再起動の方法を知っているか、くるくるマークに早く気がつける人だと思います。それがすべてではないけれど。
 僕は馬鹿で忘れっぽいので、さっきMacNote(というメモアプリ)に「大人なんだからきちんと理にかなったことを選ぼうよ」というタイトルのメモを追加して、くるくるマークが出ているときのサイン(僕の場合、飲酒喫煙の量が増えるとか、表現衝動が湧かないとか、疲れやすいとか諸々)と、再起動の方法を書いておきました。

 パークで、インサイドで申しわけ程度に割れる波にたむろするサーファーたちを眺めながら、しばらくいろんなことを考えました。身体を燃やして、現実的な些事を忘れて、ようやく人生の大切なことについて思慮を巡らすことができるのかもしれません。
 そしてまた、明日から日常という舟がいくのです。

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2009/06/07

物欲しき六月…(ヤフオクに身をひたして)。

 以前使っていた携帯電話二機種と、家人が持っていたルイ・ヴィトンをヤフオクで処分したところ、七万円弱になりました。家計にまわそうかとも考えたけれど、せっかくの泡銭なので、さっぱりと遣おうかなあと思ってます(家人のヴィトンの取り分はきちんと払いますけど)。

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 とりあえず購入予定は、ずっと欲しかったKarrimorのバックパック。carry moreと発音しましょう。イギリスのトップブランドですね。すこし前に流行りましたね。
 元来荷物の多いたちで、長距離の時なんかは着替えや弁当、飲料水など、けっこう荷物が増えるし、読みもしない本だとか筆記用具だとか食べもしないカロリーメイトだとか余計なものを持ち歩くんで、デイパックじゃ役不足なんですね。karrimorのridge、30Lか40Lで迷ってます。大は小を兼ねるか?

 もひとつ考えているのがノートパソコン。書斎のiMacはまだまだ絶好調だけれど、モバイルも欲しいところ。トラックでの執筆にも、リビングでのiTunesにも使いたい。理想はPowerBookG4 12inch。近年のMacノートで、サイズ、デザインともに最高のモデルです。
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 こいつをヤフオクでさがしているうちに、歴代のMacノートの面々をひさしぶりに見つけてなかなか楽しくなっちまいました。PowerBook2400とか、まだまだ現役で使っている人がけっこういるんですな。もちろんHDDを換装して、G3とかにして、OS Xを走らせて。シェル型の初期iBookも、あらためて見ると可愛い。筐体がでかいけど。
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 予算がかぎられているので、MacBookは買えないし、PowerBookG4も程度がいいのだとまだ高価だし、iBookだと(古いので)HDDだとかバッテリだとか後でもっと金がかかりそうだし、なかなかままならないところ。現実的には、根気よくオークションを睨みつづけて程度のいいPowerBookを見つけるか、現役引退したiBook(ハンペン)のHDDを換装して復活させるか(バッテリも買い直すことになるけど)のどちらかになりそう。最新機種はいらないもの。とりあえずOS Xで、iTunesとSafariとテキストエディタが使えれば充分。誰か使ってないのがあったらご一報を。商談しませう。
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 PB2400とかシェルiBookとかだと、ジャンクで数千円のやつがけっこう売られていて、そういうのをコレクションしたくもなります。機能美を愛するおいらだから、使うことができない物を集めるなんて愚行は許せないんだけど、なぜだか「古くて使えないMac」は可愛くてたまらん。書斎にあるMacintosh Classicのでっぷりとしたフェイスや垢抜けないキーボードが愛おしい。
 ClassicとかみたいにオールドMacのアンティーク加減もいいけど、僕にとっての初代MacintoshであるPowerMac5500/225みたいに年代が中途半端で、まだまだクラシカルとも言えなくて、ただダサいモデルがじつはいちばん可愛かったりする。引っ越しの時に邪魔で捨てちゃったけど、あれこそ取っておけばよかったなあ。
Photo
 そうそう、五年以上も触っていなかったFenderのSTRATOCASTERもヤフオクに出しちまおうと、丹念に掃除をしたんだけれど、ひさしぶりに弾いてみて、やっぱり売るのやめました。マジックリンで磨きあげたら新品みたいにピカピカになったし、エレキギターって、たのしー。で、同じく処分候補だったマーシャルのミニアンプも生き残り決定です。

 なかなか来ない夏がもどかしいせいか、物欲に取り憑かれている昨今です。きちんと現実を見ながら、堅実な先行投資をしてまいりましょう。ノートとペンがあれば執筆はできるけれど、ノートパソコンを持ち込んで、トラックが書斎になると考えると、涎が垂れてきますな。
 
 
 

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2009/05/24

花ひらけ…。

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 体調が芳しくない。五月病なのかな。疲れが溜まりやすく、活力が減退することが多い。
 仕事の合間には参考文献を読みこんだり、原稿を推敲したりしているのだけれど、前に進んでいる実感が湧かない。日常においてやるべきこととやりたいことをバランスよく考えて行動しているつもりでも、疲労は重く、気力が衰える。そういう時期なのかもしれないし、いろいろと溜まっているのかもしれない。
 下を向くことはない。ただ、いつものように、遠くの目標に向かって歩みを進めるだけだ。

 今日はひさしぶりにまとまった執筆ができた。20枚くらい。やっぱり枚数を稼ぐと、達成感がある。物語が進まなければ、どうしても実感は薄いものだ。
 小説を書くということは、雑巾を絞るのに似ている。長い人生で蓄えた水分を絞り出して、最後のぎりぎりのところで、ぎゅっと力を込めたときにぽたぽたとわずかながら垂れ落ちる水滴のなかに、僕の書きたい言葉が凝縮されている。
 そういう言葉っていうのは、書いている僕自身も気がついていなかった言葉であることが多い。僕の心の底にずっとありながらも、僕自身が知覚していなかった言葉。小説を書くという行為がなかったら、きっと死ぬまで気がつかなかった言葉。そういう言葉が文面に立ちあらわれて、そしてそこからまた新たな方向性が導き出されたとき、小説を書くということの真の歓びを味わうことができる。いや、これマジで。
 何をするにおいても、その物事の核心に触れるまでには、不毛とも思えるほどの時間と労苦が必要になるということを、実感として学んだ、五月の雨の日曜日でした。

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 たとえばサーフィン。波に乗るという単純なスポーツに多くの人が魅了されて、素敵な波を求めて仕事や住居を選ぶ人が後を絶たないのにはもちろん理由がある。だけどそれは知らない人に説明しても絶対にわからない。何度かサーフィンをやってみたくらいじゃわからない。地道にストイックに海に通いつづけて、海底の地形が見えてきて、奇跡みたいな波乗りをして、誰よりも高いところから世界を見わたしてはじめて、その恍惚に出会うことができる。そこまでの道程は、苦痛にしか思えないことの連続だ。
 何をするにしても、大切なのは「つづけること」だ。
 自己啓発ビジネス本みたいだけれど、成功の秘訣は二つしかない。「いつかやろうと考えている目標を、今やること」と「それを成功するまでつづける」ことだ。

 誤解を恐れずに言えば、本物は「死んでもいいくらいに気持ちがいい」のだ。
 死んでもいいくらいに、他に代わりがないくらいに気持ちがいいものだからこそ、人は己の人生を賭けることができる。
 酒を呑んだり、ガンジャを吸ったり、イヴェントで踊ったり、ゲームをしたり、最高のセックスをしたり、家族と笑ったり、そんなことよりも「死んでもいいくらいに気持ちがいい」ことに出会うと、こりゃあ死んでられないな、と最大の活力を得るものだ。
 長いこと小説(のようなもの)を書いてきて、僕がこういう恍惚に出会うようになったのはつい最近のことだ(若い頃は自分の文章に酔ってメンタルオナニーばかりしていたけれど)。あるいは書き始めてすぐに出会う人もいるだろうし、本物の天才はこういうことに恍惚など感じないのかもしれない。ともあれ、こういう瞬間があるということを実感として学べただけで、僕は小説を書いてきてよかったと切に思う。
 生きる術として成り立っていなくとも、あらゆる分野においてこういう恍惚を知っている人はたくさんいるんだな、と思うと、己の未熟さを噛みしめるのでした。
 あらためて幸福っていうのは、やっぱり隣の庭からは見えないし、預金通帳にあらわれるものでもない。
 ただ、人間が厄介なのは、そういう恍惚すら忘れてしまう瞬間があるということだ。あるいは諦めてしまう。心身が疲弊しきっているとき、人は水のように下へ下へ、楽なほうへと流れていく。死んでもいいくらいに気持ちがいいことに出会うためには、なかなかヘヴィな道のりが待っていると考えると、もういいや、と放り出してしまうこともある。僕は、そこが、道を究める者とそうでない者の境界のような気がします。ともあれ。

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 執筆の参考に、花について調べているうちに、興味が広がりました。ユリ科とキク科が奥深いですね。花にかぎらないけれど、同じ科でも、種によって様相やイメージがまったく違ってくる。僕はユリというと白い清楚な花のイメージを持っていたのだけれど、オニユリの色彩とかすごいものね。キク科も日本のキクから、マーガレット、ガーベラなど、分派は様々だ。
 海岸で見かける野生の花、ホームセンターで売られている色とりどりの花、隣家で育てられている小さな花、日常にこんなにもたくさんの花が咲いているということを、最近になって知りました。そしてそれらの花たちが、景色のなかでひときわ輝いて見えるようになってきた。こんな僕でも、それなりに年齢を重ねて、ようやく本当に美しいものが見えるようになってきたのかな、なんて思いました。わからないけど。ともあれ。
 マグノリアのお香がいい感じです。あいかわらず家人には苦労をかけています。いつも本当にありがとう。琴がちょっとお熱です。明日は大阪だ。もう寝よう。おいらも家族もあなたもみんな、がんばって花ひらけ。ciao!

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2009/05/17

写真で…。

書きたいことはいろいろ溜まっているのだけれど、時間と余力がないので写真で。
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家人手作りのバースデイ・ケーキ。琴ちゃんおめでとう!

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リサイクルショップで買った花ちゃんのVANZ。

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三月で四歳になった花ちゃん。

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琴ちゃんの後ろ姿。

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ケンカもするけど仲良しの兄妹。

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十五日で一歳になった琴ちゃん。

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ケーキを食べてご満悦の花ちゃん。

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漁港で催された某イヴェント。

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漁港で転がる琴ちゃん。

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漁港でぐい飲みする花ちゃん。

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漁港の酒盛り。

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漁港でお船を眺める花ちゃん。

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琴ちゃんが大好きなうさちゃん。

camera : iPhone/ToyCamera

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2009/05/04

忘れられしもの…。

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 五月一日金曜日。今日からGW。子どもたちはそれぞれ小学校と保育園に行っているので、何年かぶりに家人と二人の時間。午前中は銀行へ行って、昼に平塚の花水ラオシャンへ。ここの餃子はタネがすこし甘めなんだけど、酸っぱい湯麺にそれがすごく合う。シンプルなメニュー構成だからこその絶妙な味付け。あいかわらずの混雑で、あいかわらず美味い。
 午後は家庭訪問。庭先でギターを弾いているところへ先生がいらっしゃったので、そのまま庭でお話。やる気に溢れた好感の持てる女の先生。返事と挨拶ができていなかったら容赦なくひっぱたいてください、と僕。午後は近所でお買い物。お花のお香をたくさん買って帰りました。百合とポピーとマグノリア。

 五月二日土曜日。会社の皆さんと我が家でBBQ。午前中にスーパーで買い出しをして、いつもの七輪でいつもの焼き鳥。おいらが下ごしらえをするつもりだったのだけれど、けっきょく家人がやってくれました。ありがとう。ネギマにニンニクマ、レバー、砂肝、ヤゲン軟骨に牛カルビ、エビ、サザエ、どれも美味でした。しこたま飲んでそのままカラオケ突入。ひさしぶりにガッツリ飲んで、楽しい休日でした。
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 五月三日日曜日。家族みんなでドライブがてら新居探し。まだまだ先の話なんだけど、理想の物件を求めてじっくり探していこうと。
 僕ら夫婦は、古くて広い昔ながらの家を探していて、海さえ近ければ場所にはこだわらないのだけれど、茅ヶ崎あたりは都内からの移住者が増えてなかなか理想的な物件がない。古くて大きな一軒家は潰されて、コンパクトでモダンな家が三棟くらい建てられて分譲で売られる感じ。逆に鎌倉や葉山方面のすこし山側には、それなりのがあったりなかったり。とりあえずは土地の空気を肌で感じてみようと、鎌倉の極楽寺近辺を散策。
 由比ヶ浜まではすぐだし、森の空気は新鮮だし、とてつもないほどの自然なんだけど、やっぱり利便性にはちと欠ける。場所を選ばない仕事をしている子どものいない夫婦なんかにはいいだろうけれど、茅ヶ崎とは比べようもない。あらためて考えてみると、茅ヶ崎ってのはホントに住みやすいね。大手の量販店から教育施設からなんでも近隣にあって(平塚もすぐだから)、それで自然も豊富で、近所には子どももたくさんいて、総合的には子育てにかなりいいもの。よほど素敵な物件がなければ極楽寺は厳しいかな。裕福な人はいいかもしれないけれど。
 帰りに長谷のUpo宅へ。ちょうど新婚旅行先のハワイから帰ってきたところで疲れているところを、夫婦そろって快く迎えてくれてありがとう。Upoの言うとおり、鎌倉駅から徒歩圏内はなかなか相場が高いね。極楽寺はすこし距離があるので割安か。
 なにはともあれ、鎌倉近辺はGW渋滞がひどかった。
 帰って、昨日のBBQで余った豚バラブロックを厚めにスライスしてロゼに焼いて、ワサビ醤油で食べました。バカウマ。
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 五月四日月曜日。家仕事。家人は大家族の大量の洗濯物。僕はBBQの後片付けとか部屋掃除。昼にガーリックバターライスを食べてから家人と次女は昼寝。庭で走りまわる子どもたちを眺めながら僕はギターを弾いて、ひさしぶりにオカリナを吹く。感傷的な音色も、技術が伴わず台無し。昔はもっと綺麗に吹けたのになあ。ギターも同様に。
 夕方、家事を終わらせてちょっとお出かけ。帰ってきて鶏肉とキノコと高菜と韓国海苔のパスタを食べて、現在書斎にて二十時三十分。明日はShini宅訪問予定。
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 GWも折り返し。仕事も執筆も忘れてホントにリラックスしてます。天気がよくてよかった。明日からは下り坂らしいけど。
 しばらくMacに触っていなかったせいか、生活が原始的というか、心の時間の流れ方がゆっくりになって、気持ちがいい日々でした。やっぱりデジタルというのは人間の身体には不自然なものなのだね。
 風を感じて、潮の匂いを嗅いで、花を眺めて、ギターを奏でて、愛する者たちの笑い声を聞く。なかなか贅沢じゃないですか。

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 日付は前後して、過日、Kawamuが茅ヶ崎にやってきました。こいつの出現はいつだって唐突です。
 まだ僕らが二十代前半だった頃、イギリスから帰ってきて唐突に僕の目黒のアパートに現れて二ヶ月ほど居候をして、ちょっと警察の厄介になって唐突に姿を消し、しばらくして唐突に顔を出して「ニュージーランドへ行く」とだけ言って去り、スペインに住んだり(それはもっと以前だったか?)、ともあれ世界を放浪し、今はオーストラリアの波を相手に遊んでいるそうです。
 帰国した際には、現地で知り合った日本人をたよっていろいろトリップを繰りかえしているようで、茅ヶ崎にも何人か知り合いがいるんだそうで。過日に偶然東京で催されたスケートボードのイヴェントに顔を出したところKunjiroを知っている奴を見つけて、僕の電話番号を手に入れたとか。てか、Kunjiro元気か?これ見てんのかな?
 オーストラリアで友だちになったYoppyさんが茅ヶ崎でSandBarというバーをやっていて、そこでひさしぶりに酒を酌み交わしたんだけど、なんつうか、刺激をもらいましたね。
 ホントに、人生というのはいろんな形がある。いつの間にか忘れていたけれど、正解なんてないよね、どこにも。三人の子どもを育てながら、いつの間にか忘れていた価値を、奴は思いださせてくれました。こーゆーのは当事者でないと月並みでアホくさい話になるから詳しくは書かないけれど、僕は若かりし頃の素敵な人生の歩き方を思いだした。
 ただ漠然と歩いていたんじゃ、幸せになんかなれない。先行く道が不明でも、よくわからなくても、信じて走っていかないと。
 思想的、哲学的にもいろいろ考えさせられたけど、彼に再会してシンプルに感じたのは「主体性とテンション」の大切さ。日常のすべての瞬間にテンションをあげて生きるのは疲れるけれど、疲れ切ってベッドに倒れこんで眠る日常も悪くない。そうやってすべての瞬間に死にものぐるいで生きることは、心にも体にも、そして自分にも自分の周りの人間にもいい。僕は一生懸命生きているつもりだったけれど、まだまだ余力があるなと感じました。Kawamuに会うと、いつも生命力や人間力といったものを考えさせられます。僕はいっしょにつるんでいた頃よりずっと生命力が失われた気がする。
 小説や仕事、家族のために頑張るところも大事だけれど、その狭間にある時間に、いかに笑うかってことも、同じくらい大事だって思いだしました。崇高でなくてもいい、くだらなくてもいい、バカにされてもいい、笑ったもん勝ちです。ウルフルズの「ええねん」です。

 ネットで松本人志と北野武の笑いの違いに関するコラムを読みました。僕はもともと両人とも好きだったけれど、小説を書くようになって、無意識にインテリにかぶれるようになってからは、松ちゃんの知的な笑いに惹かれるようになっていた。だけど、たけしの「おもしろいより、くだらない」という笑いも素敵で、くだらないことがもたらしてくれる空気もまたある。
 そもそも僕は知的なタイプではないものな。どちからといえば、たけしみたいに複合的な要素で天賦の才を補うほうだと思う。自己分析の開陳はみっともないけれどね。

 ともあれ、素敵な季節を前に、前向きでやる気の出る再会を果たして、若かりし頃のテンションを取り戻した感じです。
 五月から九月まで、短い間だけど、ハーフパンツの暑い季節がやってきました。冬の間に縮こまった心身をのびのびと躍動させるために、テンション高くまいろうかと思います。
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2009/04/11

23℃を越えたら。

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 先週はほとんど仕事がなかったので、トラックに籠もって資料を読みこんだり、執筆を進めたり。以前は、外出先での執筆にはノートパソコンがないと、ATOKがないと、広辞苑がないと、などと思っていたけれど、筆が乗ってくれば、紙とペンだけで充分なんだな。

 今日は土曜日出勤。朝三時半に起きて、昨日積んだ荷物を成田空港の物流センターへ。海外出荷の荷物は木箱に梱包されているので荷扱いが楽でいい。しかも正午には帰ってこれて、一日分の手当てと早朝手当てがつくので、かなりおいしい仕事。気温は二十五度を越え、Reggaeが空気に馴染む季節。
 ちなみに、ようやく戸塚の原宿交差点の地下トンネルが(上りのみ)開通し、多少はスムーズになった。あのへんは桜木が豊かで、陽の光のもとで舞い散る花弁の道を走るのは気持ちがよかった。
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 昼すぎに帰宅。木曜日から職場復帰した家人は疲労困憊の様子。三児の母には休日も休日に非ず。今朝も早くから起きて、長男を眼科につれていったようで。昨晩は長女と次女をそれぞれ内科と皮膚科につれていっていました。
 僕は仕事が少なくて五時には帰宅できるので、長男と協力して家事を手伝うようにしているのだけれど、まだまだ足りないようですな。今は「小説家としての僕」に偏りすぎているかもしれない。バランスよくいきましょう。

 午後二時。長男は友人宅へ遊びに行き、家人と長女、次女は昼寝をするというので、僕は独りの時間。納車以降あまり乗れていない新車を運転したい欲求と、すこしでも執筆を進めたいという気持ちでしばし葛藤が生じるが、車で海へいって執筆すればいいじゃないか、という天啓を得て、愛用のリクライニングアームチェアを積んで出立。
 陽気がいいせいか漁港の駐車場はほぼ満車で、早くもBBQに興じる家族もあり。どうにか海に近い場所に車を駐めて、リアハッチを開けてひさしぶりの「汀の書斎」。原稿をおさらいしてから、ノートに書きなぐる。奇しくもこのビーチは、いま執筆中の作品の冒頭シーンのロケーション。イメージがリアルになり、小一時間にかなり展開が開ける。
 しばらくして、朝が早かったせいか睡魔に襲われる。そのまま横になって、iPhoneでAmy Winehouseを聴きながらしばしのまどろみ。スピーカーを繋がなくても、それなりに聴けるもんですね。
 明日は午前中ゆっくりして、午後から今日の原稿をまとめよう。いいペースだ。
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 ずっと書いているとおり、最近は音楽が身近にあって心地いいです。ほとんどテレビを観ないので、いっそのこと音だけにしようと、十年近く前に買ったsonyのCDラジカセをリビングに設置。FMヨコハマをメインに、焼いたCDを流したりしてます。iPhoneをLINE接続したりして。
 それにしても、早く「iPhoneからRemoteでMacのiTunesを経由してAirTunesに飛ばすんじゃなくて、直接iPhoneからAirTunesに音を飛ばせるiPhone App」を、誰かつくってくれえええええ!ともあれ。

 それにしても、Amy Winehouseは別格ですねえ。彼女の奇行がネットのニュースでもよく報じられるけど、歌はスゲエ。声がスゲエ。艶がスゲエ。真似できません。女版MJです。
 Adeleもなかなかです。雰囲気も声も艶もかなりのものだけど、僕はAmyと同じ時期に聴きはじめたので、すこし印象が薄くなるかな。Corinne Bailey Raeなんて、アコースティックの弾き語りとかあって、かなり僕好みの音なのに、AmyとAdeleのせいですこし霞んでます。まあでも、好きです。
 Franz Ferdinandはポップですねえ。かなりいいです。
 John Legendは、最初のアルバムからあまり変わっていないかなあって感じを受けた。悪くいえば、以前よりも気障ったらしくて気持ち悪いR&B。どうしてアメリカ人てのは、だんだんと品がなくなっていくのかなあ?EminemとかFergieとか。ともあれEvoleverのジャケットはダサい。
 Radioheadはトラックで聴くにはちとつらい。Rockというには音が深いから。ヘッドフォンで大音量で聴きたいですね。
 Q-Tipはさすが。これこそCool。だけど、日常であまり聴きたいと思う時間が今のところない。降りそそぐ陽光のしたではtraditionalなreggaeを聴きたくなるし、日が落ちてくれば、Corinneのやさしい歌声に包まれたくなる。
 他力本願だけど、誰か、Speechの最近のアルバムを僕にください。ヨロシコ。Arrested Developmentも持ってないんです。今でも、あの(HipHopっぼくないメロディアスな)感じが好きなんです。買うお金はないんです。
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 そうそう、iTunesのGeniusもなかなか侮れませんね。音楽の歓びを思い出させてくれた。
 中高生のころ、テーマを自分で考えてこしらえたオリジナルの編集テープを聴く感動を、手軽に味あわせてくれます。ベースとなる曲を設定すれば、あとはそれにリンクする曲を自分のライブラリから勝手に選んでくれる。たとえば、Corinneの"Like a star"をベースに
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こういうのができあがる。デジタルが、心に沁みる瞬間です。

 なにはともあれ、気温が二十三度を越えたら、それはもう夏と呼ぶのです。幼子を抱えた家庭でない限りは、すぐさま衣替えをして、Tシャツハーフパンツですごしましょう。そろそろ海にはいるかな。ciao!

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2009/04/06

四月五日日曜日…(タイトルが思いつかない)。

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 こんばんみ。今日も寝る前の息抜きブログ。
 今日もきっちり十枚。日曜日にしては少ない量。推敲したらいつものように半分以下になっちまう。だけど、進めばそれでいい。やらないよりはマシ。←最近の口癖。

 週末の記録。
 土曜日。チェダーチーズトーストを食べて、ちゃちゃっと掃除をして、お弁当をこしらえて(家人が)、茅ヶ崎里山公園へ。僕は久しぶりに新車を運転。愉しい!
 芝生の丘でおにぎりを食べて、長い滑り台をすべったりサッカーをしたり。気がつけば時間は過ぎていって、夕方に帰宅。ひさしぶりに身体を動かして気持ちがよかった。
 そういえばiPhoneのパケ放題フルがキャンペーンで今月から安くなったので、その申請をしにソフトバンクへ行ってきました。iPhoneユーザーは五月までに店頭で申請しましょう。持ってない人はまだ買わないで、おそらく夏にiPhoneの新機種が出るのでそれまで待ちましょうね。どちらにしろOSは新しくなります。
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 今日。昨晩は夜更かしをしたので十時起床。日曜日は書斎に籠もるのだけれど、どうしても車で出かけたい欲求と葛藤。悩んだ末に一時間だけお出かけ。独りで出立。お昼は焼きそばなので、ちょっと遠くの八百屋まで出向いてキャベツと豚肉を購入。そのまま会社へ行って洗車。念入りに洗って、拭きあげて、いつものスタンドで室内も掃除して帰宅。
 焼きそばを食べて午後から執筆。のつもりが、ベイベーが起きてしまう。あいにく家人と他の子どもたちは買い物へ出かけている。執筆どころではないので寝室であやしながらぼくも昼寝。夕方からふたたびMacに向かう。新しい章の重要なシーンだけれど、スムーズに展開していい感じ。原稿および執筆メモ、プロットなどをiPhoneにコピーして作業終了。ようやくビールを開けてこれを書いています。
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 最近、MalcolmやShiniに提供してもらっていろんな音楽を聴いています。お気に入りはCorinne Bailey Rae、Amy Winehouse、Adeleなんかのメジャーどころの歌姫たち。さすがですなあ。Corinneは歌もいいけど、可愛いね。あとはRadioheadをまとめて聴いたり、Franz Ferdinandとか気になっていたけど手を出していなかったのを聴いてます。History Of Trojan Recordsとかの古いReggaeコンピもいいです。あと相変わらずJohn Legend。
 ゆっくり書きたいところだけどね、時間がねえ。
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 暖かいねえ。早く海入りたいねえ。また。ciao!
2


 

 

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2009/04/04

三人の僕…。

 ふい〜、チカレタ。
 ようやく週末です。物流の末端で全国を走りまわるトラック運転手という職業故に、不況のあおりをどてっぱらで受け止めているので、最近は仕事が少ないのだけれど、それでもまあいろいろとやることはあるわけで、一週間が終わるとほっとします。
 とりあえず長距離が少ないので、定時に帰宅してからは執筆に時間を割けているのでいい流れではある。現実的に収入が減少しているのがきついけれどもね。
 四月一日から長女と次女が保育園に通いはじめ、来週からは家人も職場復帰するので家の中が慌ただしい。会社員としての僕、父としての僕、小説家(志望)としての僕の「三人の僕」をバランスよく使い分けて、効率よく前に進んでいきたいもんです。やっぱりねえ、大切なのは「自分が動いている、前に進んでいるという実感」です。その速度は問題じゃない。歩みは遅くとも、昨日よりも前に進んでいるという実感がないと、人は何かに逃げてしまいます。

 午後五時すぎに帰宅してから、八時までは「父としての僕」の時間。風呂を洗ったり、洗濯物を畳んだり、皿洗いをしたり、子守をしたり、微々たるものではあるけれど、家人と子どもたちのためにできることをやります。てきとうにでなく、きちんと。
 八時からは「小説家としての僕」の時間。書斎に籠もって執筆。テーマやプロット、キャラクタを煮詰めるのは別の時間を用意して、とにかく書きます。どうせ推敲して削ってしまうのだから、文章の精確さだとかは気にせずに、つまずかないようにして書きまくります。そういうふうに書けば、寝るまでに十枚くらいは書けます。まあこれが最終的には二、三枚になってしまうんだけれど。
 だけど、僕の場合とにもかくにも書かないと進まないんです。プロットなんかを濃密にするのも大切だけれど、そればかりに集中しているとダメです。社会人は時間がないですからね。
 筆が走りだすと眠気も飛んでいくんだけれど、日付が変わる前には終わりにします。ビールを一本飲んで、音楽を聴いたりネットを眺めたりして、早めに床につきます。明日の「会社員としての僕」の時間のために。
 この「三人の僕」のバランスが一つでも崩れると、すべてが破綻するということをようやく学びました。日々是勉強。吾以外皆師也。
 基本的に仕事がないときは会社の事務所で待機しているのだけれど、そういう時間ももったいないので、最近は車庫(少し離れた場所にある)へ行ってトラックの中で本を読んだり原稿をチェックするようにしています。あるいはそこで仮眠をとって夜の執筆に備える。
 とにかく、あらゆる時間を執筆に向けたものに変える。仕事中は町の様相を脳裏で描写する。帰宅時にはすこし遠回りをしてロケハンをする。できることはたくさんある。

 そうやって目的を持って日常を暮らすと、すべては好転しはじめます。「はじめの一歩」ってのは本当に大切。ともあれ。

 テレビでベッキーの密着ドキュメントを見ました。ちゃんとテレビを見たのは久しぶりです。
 ベッキーの、危ういけれどまっすぐで前向きな生き方は、すんなりと僕の心に沁みました。もし今の僕が、前に進んでいるという実感をもてずにいたとしたら、ゴキブリホイホイの中で蠢くゴキブリのごとくもがいていたとしたら、彼女の頑固さや弱さ、それらが導いたあの生き方を肯定することはできなかったように思います。ともあれ。

 経済情勢を筆頭に、世を憂う会話ばかりが目立つ昨今です。我が社にも、茅ヶ崎の町にも、不安が立ち籠めています。だけどさ、三十数年生きてようやく実感しているけれどさ、僕がこれまでに見てきた社会的、経済的に成功している人たちってのはさ、単純に、そうでない人たちよりも一生懸命に、たくさん働いているよ。
 才能だ、知能だ、知識だ、環境だ、とかじゃなくて、僕やあなたが寝ている間に働いているってことです。できることはホントはたくさんあるのに、既成の、「普通」という生き方にしがみついて、けっきょく問題を他者のせいにしている。そういう人は這い上がれないし、抽んでることができない。ホント、シンプルに「一生懸命」考えるか考えないか、やるかやらないか、だけなんです。
 執筆後のブログなんで抽象的かつ説教くさくなっちゃうけれど、他人の悪口や文句を言っている自分に気がついたら、ヤバイと思ってください。いつも言うことだけれど、悪いのはすべて自分です。「釘を踏んで怪我さえしていなければこの山を登れたのに…」というのは敗者の弁です。「釘を踏んだ俺が悪い」んです。あなたの会社が悪いんじゃなくて、そんな会社にいるあなたが悪いんです。ともあれ。

 明日から本格的に春の陽気が訪れるようです。土曜日は「父としての僕」の日なので、家事を手伝って、みんなで公園にでも行こうかと思います。日曜日は書斎に籠もって。
 以下、メール代わりに掲示板。ciao!

 >>Daisaku&Yurico 
 近々、ベイベーを拝みに参上します。ヨロシコ。

 >>Shini&Tomoco
 こちらも近々、ベイベーを拝みに参上します。スゴ録ありがとうございます。助かります。ヨロシコ。

 >>KEN2
 時間がとれずメールできずゴメンチャイ。ぶっちゃけ、君のことはあまり心配していません。君が着実に前に進んでいるのが僕にはわかるから。

 >>Kae
 気を遣ってもらってありがとう。どうにかお祝いしにいけるよう努めます。おめでとう。

 >>Malcolm
 例のやつ、かなりいいです。ありがとう。僕は王道のR&Bが好きだったんだなと気がつきました。

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2009/03/27

冬のかたみに…。

Img_9148 なんだかんだと忙しくて更新が滞りました。取り急ぎの近況報告。
 まずは過日。中学高校時代からの友人で鎌倉在住(実家は逗子)のUpoの結婚披露宴へ行ってまいりました。本当は家族揃って鶴岡八幡宮での挙式から行かせてもらう予定でしたが、前日になって長男がインフルエンザを発症したためキャンセル。葉山の海を望むシックな式場で執り行われた披露宴から僕だけ参加。アットホームで素敵な宴でした。
 それにしてもここは料理が抜群だった。これまでに僕が行かせてもらった結婚式の中では最高のフレンチでしたね。メニュー構成、味、彩りと盛りつけ、すべてにおいて感服しました。こんなに美味しいんだったらビールなんか飲まなけりゃよかった。ごちそうさま。たしかアフィーテ葉山というところです。
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 数年前に僕が湘南に移住してから交流が復活したUpoとは、あそこに毛が生えはじめた頃からの付き合いで、バスケ部で同じコートを走りまわっていたこともあるんだけど、嫁さんとはほとんど初対面。器量はもちろんのこと、穏やかで優しそうな雰囲気で素敵な方でした。ホントに、Upoにはもったいない。大事にしろよ。お幸せに。100anni!!!
 二次会は鎌倉、若宮大路沿いのアンミラーレフィレンツェ。たしか葉山庵が出したイタリアンで、ここも料理は美味しかった。二次会の常で忙しなく同窓会の様相。Shini、CDありがとね。Corinneはやっぱり素敵ね。

Img_8944 日付が前後するけど、三月十六日は長女の誕生日でした。ついこの前産まれて、その直後に茅ヶ崎に移住したと思ったのに、もう四歳です。時の流れの早さにびっくりです。あんなに小さかったベイベーが、今やべらべらと巧みに日本語を駆使して、すこしこましゃくれてきてもいます。誕生日おめでとう。もう本当に、僕は君たちが健康で、ご飯をばくばく食べて、ダンボを観て笑ってくれるだけで、それを見ているだけで、涙が出るほど嬉しいです。ほどほどにやんちゃに、元気に、これからも育ってください。おめでとう。

「みなさんに明日がくることは奇跡です。 これを知ってるだけで、日常は幸せなことだらけで溢れています」

 「余命一ヶ月の花嫁」として映画化されたある女性の最後の日記の言葉だそうです。映画はどうか知らないけれど、あのテレビのドキュメンタリの彼女の笑顔を見た後に、この言葉は深く心に突き刺さりました。所さん曰く「生きてるだけでまるもうけ」。「生きるということに命をかけてみたい」とは甲本ヒロト。
 抽象的になってきましたね。さあ、この抽象を日常に沈めるためには、今、何ができますか。明日のために。自分のために。ともあれ。
 鶴が台団地のいつもの魚屋で刺身を買って手巻き寿司にして、ピカチュウのケーキでささやかながらお祝いをしました。こういうお祝いっていうのは大切ですね。日常の退屈な営為の中、誕生日やお祭り、記念日にクリスマス、バレンタインデーだってなんだっていいから、人々が同じ方向を見て祝って笑うというのはいいことです。イヴェントは、なければ無理やりにでも作りましょう。
 我が社の長老(勝手に呼ばせていただく)が「お祭りなんてのは他に愉しむものがなかった大昔の慣習だよ」と冗談めかして言っていましたが、それは裏を返せば、やっぱり何か脳を活性化させるイヴェントがなければ、人は生きていけないということです。酒を飲んでも、ギャンブルをしても、ゲームに狂ってもいいけど、なるべく、人と関わっていきましょうよ、と、若輩者は思うのです。もちろん、一人静かに心を落ち着ける時間はもっと大切ですけど。

Im20090324as1h2401n2403200913_2 さてさて、終わりましたね、WBC。僕らにとっては最高の形で。決勝戦を観に行ったMalcolm、マジでうらやましい!あの雰囲気を味わえるだけでねえ…、ズルイ!
 影ながら応援していたドミニカ共和国が早々に姿を消してからは、韓国の投打の強さばかりが目立ち、監督が原でイチローが絶不調ということであまり期待していなかったんだけど、やりましたねJAPAN。そしていろいろあるけれど、やっぱり、イチローです。
 僕は神も仏もジンクスも運命も基本的には日常の外に置いているけれど、人間力というのは信じています。その人の力が引き寄せる機会と、そこで力を発揮できる才能。あの決勝点を叩きだしたイチローの打席はまさに、彼自身の力だと思います。「ここぞというときにしか打たなかった無冠の帝王」の解説・清原が「やっぱりイチローくんにはこういう打席がまわってくるんです」と言ったように、ゲームはいつのまにかイチローに向かって流れを変え、なぜか韓国はイチローと真っ向勝負をして、ドライブシュートのような弾道の痛烈なヒットがセンターを抜け、歴史がつくられた。
 ふつうあそこでイチローと勝負はしませんよ。いくら不調とはいえ。そういうのも運も技術も才能もすべてひっくるめて、あれがスターなんですなあ。天晴れ。

 唐突に話は変わりますが、世知辛い世の中ですな、昨今。
 大不況の影響も加えて、心の問題が大きくなっているのを実感します。旧友に会うたびに、知人の話を聞くたびに、心を病んでいる誰かの話に行き当たります。酒や薬に逃げる者(あるいは心ない医者によっていつの間にか薬漬けにされる者)、周りの人たちのおかげで前を向く者、自ら最期を選ぶ者。そして自分は大丈夫だと思い込みながらも、少しずつ心に闇を広げている者。
 僕は今、自分の家族という至極小さな単位に対してしか幸福を願うことができない矮小な人間だから、何もできないけれど、小説の世界では、みんなを応援しています。
 とにかく、人と関わってください。多少エゴを出しても、主体的に、できたら月に一度は気の置けない友人と語らってください。無理やりに誘ってでも、誰かと触れあってください。人と関わることがいちばん辛く感じても、人と関わりつづけることこそが、生きるということで、人の間と書いて人間ということなのですから。ホントにともあれ。

 さてと、MalcolmとShiniのおかげで最近Coolな音楽に包まれていることを書くつもりだったのだけれど、そこまで辿り着かなかったな。照準の曖昧なメッセージばかり浮かんでくるわい。我ながら鬱陶しい。
 ともあれ、春が来ますね。うちはね、縁側がいいんですよ。ciao!
 

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2009/03/08

納車ドライブ…。

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 土曜日、ようやく新車が納車されました。やっぱり嬉しいもんですね、ピカピカの新車は。
 さっそくチャイルドシートを取り付けて納車ドライブへ。今日は有料道路を使わずにいけるとこまで行こうということで、とりあえず出立。R134を西に向かって一号線へ。県道72から255に入って246へ。このまえ雪に埋もれた山北、小山を通って山中湖を一周して箱根の旧道を使って午後八時過ぎに帰宅。
 途中の道の駅で持参したおにぎりを食べた以外はほとんど走りっぱなしだったけれど、快適な居住性と性能のおかげで疲れることもなく、とても楽しめました。子どもたちは案の定疲れて眠ってしまったけれど、後ろに横になって寝られるので安心でした。ホントは普段車を使う家人に運転してもらうつもりだったんだけれど、ほとんど僕が運転してしまったな。しょうがないよねえ…。
Img_8869 日曜日。朝から車いじり。シートをフラットにしたりラゲッジスペースを最大にしたり、一通りシートアレンジを試してから、荷室に荷物を積む。三列目を出していてもうまくやればけっこう積める。考えた末、せっかくフローリングフロアにしたのだから二列目と三列目は土禁にする。これで子どもたちは部屋と同じ用に暴れてくつろげる。
 ああでもないこうでもないと小一時間考えて、ステッカーを貼る。今回は仮貼りして位置決めをしたのでなかなかうまくいったかな。なんにせよ、派手にガキっぽくならないように注意して、大人になった僕。そうでもないか。
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 左フロントドアに数枚をメインに、右フロントドアはワンポイント程度に、後部も少しだけにしてシンプルにまとめました。後ろはもう少し増やしてもいいかなとは思うけど。あとはレレのYJSをどこかにうまいこと入れるくらいかな。
 昼に家人特製「鶏皮水菜ゴマらーめん」を食べてからお出かけ。郵便局、図書館、スーパー、オートバックスへ。洗車セットやらAUXケーブルやらなにやら…。帰りに寄ったリサイクルショップで可愛い子供用の三段ベッドを発見。買うか否かで今夜は家族会議。
 ともあれ、現代の車に喜びつつ驚いています。カーオーディオもすげえな。MP3とかAACのデータCDも聞けるんだねえ。これだったら別にiPod繋いだりUSBメモリ差したりしなくてもいいじゃんねえ。
 数十年前のオンボロ軽から最新車に乗り換えで興奮冷めやらないんだけれど、今日のところはこの辺で。なんだかんだ疲れたし、明日は朝早い。車で通勤したいところだけれどチャリ。
 また。ciao!
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2009/02/22

八重山住宅サービス…(休日の記録)。

Img_0403 金曜日。風邪気味で喉が痛くて疲れが溜まっていたようで、夕飯を食べてビールを一本飲んだらいつの間にか下のソファで寝てしまう。

 土曜日。風は冷たいがお日様が気持ちいい。午前中は家のお掃除。お昼は、ゴマたっぷりの酢飯に焼いた鯖をほぐして入れてキュウリとにんじんの浅漬けと混ぜた丼。絶品。
 午後は家族で市立図書館へ。僕が図書館で調べ物をしている間にみんなはスーパーへお買い物。
 今書いている作品の参考になる文献を借りる。いじめ、ACの本から、野草、トラック、気象学、炭火料理の本までいろいろ。子どもたちもポケモンの本やら絵本やら。図書館は本当に役に立つ。ライターの人なんかは質のいい図書館の近くに居をかまえるっていうものね。
 家に戻って資料を整理、読みこんで、夜はナスとキノコのトマトソーススパゲティを食べてビールを飲んで、テレビでスターウォーズエピソード3を観る。そういえば3だけ観ていなかった。エピソード1と2はぶっちゃけおもしろくなかったけれど、4に繋がる重要な物語ということで本作はなかなかおもしろかった。人間ドラマがあるしね。マスターヨーダがかっちょいい。影響を受けて、以前から気になっていたライトセーバーのiPhoneアプリをゲット。バカですねえ。
 ひさしぶりに家人と遅くまで酒を酌み交わす。めずらしく夫婦で小説の話などを…。

 日曜日。ゆっくり寝倒して十時起床。昼は、チェダーチーズとサニーレタスと目玉焼きとベーコンのトーストサンド。みんなの大好物。今度はアヴォカドサンドにしよう。
 家族でピクニックの予定だったのだけれど、僕は執筆を進めたいのでドタキャン。みんなは平塚市総合公園へ。この公園はかなりいいね。小川やプール、アスレチックに小さな動物園もあって、広くて便利そう。僕も時間を作って今度はいっしょに行きたいの。

 今日は筆を休めて、図書館で借りてきた本を含めた資料整理と、ネットで情報収集の続き。昨今流行しているネット、ケータイ小説を調べて、オンラインでいくつか読んでみる。オンライン投稿小説を集めたサイトがいくつもあって、けっこうたくさんの作品が掲載されている。昔の同人誌のような役割か。ともあれ、はっきり言ってほとんどがクズ同然。陶酔してうっとりと書きあげているオナニー小説ばかり。しかし、いるもんですねえ、逸材が。同じ物書き志望なので、ここで名前は出さないけれど、ちょっと手を加えればすぐにでも出版できそうな作品を載せている人がいました。その人の作品を三つくらい斜め読みしてみたんだけれど、どれもことごとく秀逸で、参りましたって感じ。ネットなんかに載せてないで、さっさと新人賞に送りなさいって言ってやりたいです。
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 その後、図書館で資料以外に唯一借りた小説『ブルーハーツ』を読む。もちろんタイトルが気になったからなんだけど、これも元々はケータイ小説だということで、参考までに。読み始めると、軽快で読みやすい文章で、気がついたら読了してしまう。表題のブルーハーツのエピソードも少し出てくるんだけれど(クロマニヨンズも)、基本的にはブルーハーツ=憂鬱としての意味でのタイトルらしい。様々な境遇の登場人物が抱く憂鬱をさらりと描いた連作短編集。憂鬱なのに何故か読後感は爽やかで、女性が好みそうな気持ちのいい小説。

 最近書籍化されることも多くなったオンライン小説だけど、僕はどちらかというと否定的に見ていた。まずやっぱり横書きというのが許せなかったし、書籍というものがあるのにケータイやPCという新しいメディアを使うのがなんだか媚びているようで嫌だったし、まともな物書きはきちんと新人賞を通して上に登っていくもので、ネットでどうこうしようというのは行動力と自信のない卑怯者がすることだというイメージを抱いていた。
 ただ、時代は流れ、世界は変化していくのだ。
 いざ触れてみると、薄々感づいてはいたのだけれど、メディアが実用的になれば自ずと優秀な作品も集まり、横書きのまま出版される書籍に戸惑いはしたものの、縦か横かということが作品の本質に重大な影響を及ぼすこともないわけで、結果として活字離れのはげしい若者たちが本を買う流れが実際にできているのであれば、まったくうれしい状況ではあるのだ。
 だけどやっぱり、僕はしこしこ孤独を絞り出して、出版社の新人賞を通して世に出て行くのがまだまだまっとうな道だと思うし、ケータイに合わせて軽い文章を書くというのはどうかなと思います(作品の質のために意図する軽快な文体と、ケータイで読みやすいように安易な文章を書くのは大きく違うもんなあ)
 あとやっぱり、上で書いた才能ある彼もそうだったけど、アキバ臭がするのが多いんだよね。ジュニアノベルって言うんだっけ?なんかファンタジックなものが多い。そういう類を否定するわけじゃないけれど、ね。
 今回は氷山の一角に触れた程度で、全体像を捉えられてはいないのかもしれないのだけれど(そんな時間はないし)、今後の展開には期待できるメディアだと思います。なんにせよ、活字メディアが元気になるというのは好ましいことです。
 今日読んだ『ブルーハーツ』は軽快でさくさく進むので、テレビドラマやマンガ(岡崎京子を思い出した)で描いてもいいなと思ったのだけれど、でもやっぱり、活字だから表現できる切なさ、センテンスの連なりだけがもたらす感情というのはあって、これは小説でよかったんだ、と思い直しました。
 わかる人はわかると思うけど、心をぐらつかせる文章って、本当に紙面に文字が『立つ』んですよ。比喩でもなんでもなくて。

 そんなこんなでネットを浮遊していたら、フリーランスのライターのサイトをいくつか散策。ライターという職業の実情やフリーになるまでの体験談なんかが書かれてるんだけど、さすがにライターの書く文章は読みやすい。自分の表現したいことを書く小説家と違って、普段から物事を客観的に捉えて写実的に表現することに慣れているせいか、文字が立つことはなくても、非常にわかりやすくすらすら頭に入ってくる。
 てなことでライターという職業について、小説家志望としての関わり合いなんかを書こうと思ったのだけれど、面倒だしあまり実にならなそうなのでやめる。興味がある人はネットで調べましょう。物書きのリアルな生活に関しては参考になったかな。

 児童相談所の心理司が書いた『いじめ』に関するノンフィクションはなかなか衝撃的でしたね。内容は小説に昇華させるので書かないけれど、自分の過去を顧みて、そして三人の子の親として、いろいろと考えさせられました。ぼくはいじめっ子でもいじめられっ子でもなかったけれど、僕にいじめられたと思っている誰かもいるんだろうな、とか。

 そうそう、石垣島の不動産王ことレレ(中高時代からの友人)がクールなステッカーを郵送してくれました。ブログを覗いて僕が車用のステッカーを集めていることを知ったのでしょう。自分とこの不動産会社のステッカーですが、なかなかいいデザインです。スケートブランドみたい。
 お礼に宣伝させてもらいます。皆さん、石垣島移住の際にはぜひ『八重山住宅サービス』へ。リンク貼ってあるのでサイトへ飛んでみてください。スタッフブログがいいvibesです。レレのモーヤー(祝いの舞)が見られます。
 レレ、ありがとね。あとベイベーおめでとう。いい写真だ。これって自作?それともどっかに頼んだの?
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 来週の関東は湿っぽい天気のようですが、春も近いです。笑ってまいりましょう。ciao!

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2009/02/15

アメリカのリンゴの電話…2(無為な日々)。

Img_8587 いいですねえ、無為な日々…。
 ってわけでもないんだけれど、今日も仕事や執筆、堅苦しい表現の呪縛から解き放たれて、休日らしくリラックスしました。おかげさまで、家人も含めてみんなそろってとりあえず復調です。
 いやあ、病み上がりってのは無駄に元気だね。身体は鈍っているからなかなかついてこないんだけれど、心はやけに元気。そして庭に吹き荒れるは春一番。春を追い越して、早くも夏の気配すら感じて浮かれる僕と子どもたち。早く海行きたいねー、そーだねー。さっそく縁側に座布団を敷いて吾輩は猫である…。
 庭でお隣さん夫婦と談笑して、てきとーに家を掃除してからお出かけ。日常の買い物をしてから、時間が余ったので辻堂のオートバックスへ。ここはモーター系ステッカーの品揃えがなかなかよろしい。格安とは言えないけれど、まあそれなりにオーソドックスでクールなのが揃ってる。まだ車自体が来ていないので、幅とか曲線とか全体のバランスがわからないということで、今日はとりあえず五、六枚購入。あとは近所のサーフショップをてきとうにまわっていかすやつを探そう。
 でもなあ、ぶっちゃけ、現行のステップってステッカーチューンがもっとも似合わないデザインなんだよなあ…。DQNチューンがふさわしいというか…。ともあれ、新車だからといって甘やかさずに、ガンガンステッカー貼って、ドロドロに汚して、グイグイ走ってやろうと思ってます。ってか納車まだかよー!
Img_0003 てなもんで、余力があるので、ずっと書こうと思っていたiPhoneの話を少々…。
 iPhoneの魅力は、なんといっても、拡張性です。前にも書いたかもしれないけれど、とにかくサードパーティががんばってくれるから、毎日とてつもない数のアプリケーションが増え続けていく。そしてApple自体もヴァージョンアップさせてくるから、どんどん進化していくのです。
 なんて概要はともかくとして、今日ようやく、気になっていたネットラジオアプリ『FlyCast Mobile Broadcast Network』を本格的に使ってみたんだけれど、まさにこれこそキラーアプリ!とてつもないです。iPhoneでネットラジオを聴けるってだけのアプリなんだけど、世界の1000局以上のネットラジオを持ち運べるってのはスゴイですよ。iPod機能が必要ないんじゃないかと思えるくらい。あとSHOUTcastもね。
 中学生の頃、NYに住んでいる知人にラジオを録音したカセットテープを送ってもらって何度も何度も擦り切れるまで聞いていた頃を思い出すと、時代の変化に驚くばかりです。Hiphop、Jazz、BossaからCNNやESPNなんかのニュース、ブラジルやジャマイカの現地のプログラムまで、世界に流れ出ているメロディをすべてキャッチできると錯覚してしまうくらいの衝撃です。
 まあiTunesがあれば聞けるんだけれどね、それを持ち運べるというのはスゴいです。カーオーディオの音源はiPhone中心にするかCDを焼くかUSBメモリに焼くかいろいろ考えていたんだけど、ネットラジオが本命に躍り出てきました。
 まあ、邦楽しか聞かない人にはまったく関係ないし、家でゆっくりする時間がある人はPCで聞けばいいんだけれど、ともあれ、iPhoneを持っている人は無料なのですぐにダウンロードしましょう。MacかPCを持っている人はとりあえずiTunesで試してみましょうね。
Img_8590 ついでにケースのお話。アイウェアで有名なOakleyからクールなケースが出ていたので、AppleStoreで購入しました。Oakleyらしい思い切ったデザインで、装着してみると元々のiPhoneのデザインが完全に隠れてしまうんだけれど、僕のようなガテン系の仕事の人には頼もしい造りになってます。落としても大丈夫らしい。体積は倍くらいになるけどね。かなり気に入ってるんだけれど、休みの日とかは外して使ってます。なんだかんだ言って、そのままのデザインがシンプルでクールですから。
 最近のAppleは極限までシンプルなので、ステッカー妖怪に取り憑かれている僕でも、iMacもiPhoneも手を入れずに使ってます。あるいは僕が大人になったのか。
 けっこうバカソフトも入れたりして、ダウンロードしては消してを繰りかえしているけれど、残るアプリは残ります。FlycastとToyCamera、weathernews、To Do's、BB2C、1Password、産経新聞、i文庫、Virtual Pool、iChessは、消せませんね。是非お試しあれ。
 最後に一つだけ不満点。僕は家での無線LANにAirMacExpressを使っているんだけれど、これは本体に外部スピーカーを接続して、Macから無線で音楽を飛ばせるAirTunesという機能がある。つまり、我が家の二階の書斎にあるiMacのiTunesで音楽を流すと、一階のリビングにあるAirMacExに繋いだスピーカーからも音楽が流れるようになっているのだ。そしてそれをiPhoneのRemoteというアプリで遠隔操作することができる。それはかなり便利なように思えるのだけれど、iPhoneからiMacを操作してAirMacに飛ばすのなら、iPhoneから直接飛ばすほうが簡単だし電力の節約にもなるでしょう。それができないんだよねえ。もどかしい。
 まあでも、こうして書いてみると、なんともくだらないというか贅沢というか、このご時世にアホくさいこと言ってんなと我ながら思います。2ちゃんをロムって嗤っていた僕だけれど、あまり変わりはないか。
 ともあれ、そろそろ無為にも飽きてきたな…。i文庫で小林多喜二でも読みながら床につきましょうか。
 明日は暖かいけど、明後日からしばらくはまた本格的な真冬の寒さになるみたいですよ。気をつけて。ciao!
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2009/02/14

無為…(先生、おなかが痛いです)。

Photo 三日前の晩に、長女と次女がたてつづけに嘔吐しました。二人とも下痢を併発していたので、いろいろ調べてみるとどうやらウィルス性の急性胃腸らしいとのこと。とりあえず飲食を控え、脱水症状を起こさない程度に水分と糖分を補給しながら様子を見て、感染を防ぐために嘔吐物がかかったものを洗い、丹念に消毒して、万全の体制を整えた…、はずだったのだけれど…。
 昨日の朝、出社しようと歯を磨いていると、激烈な吐き気と便意に襲われました。
 洗濯、消毒をしたとはいえ、さすがにパジャマの上下に次女の嘔吐物を浴びて、泣きわめく娘の手で口内をいじられていた僕なので、しっかりと感染しました。烈しい吐き気に耐えながらトイレを往来し、会社を休んで昼前に病院へ行きました。ちなみに九ヶ月の次女は回復していて、僕と長女が診察を受けました。
 やはりウィルス性の胃腸炎。嘔吐下痢症というやつで、一般的には「おなかのかぜ」とか「はきくだし」とか言うやつですね。冬に乳幼児がかかりやすい病気で、ロタとかノロとかの飲食業に携わった人ならよく知っているであろうあのへんのウィルスが原因です。そういや何年か前にも家人が子どもから感染して過呼吸になって病院に担ぎ込んだことがあったね。
 応急処置や療法を書こうと思ったけれど面倒なのでやめる。ネットで調べてね。
 とりあえず対症療法しかないので、吐き気止めと下痢止めを三日分もらって帰宅。ぼくは症状がきついのですぐに坐薬をぶっ込む。人生初の坐薬。トイレに籠もって独りで声を漏らす。おううっ。
 しばくして薬が効いてきて軽口がきける程度まで回復。「三十三年もの間、一方通行でしか物を通していなかった器官が、唐突に異物を受け入れて、しかも逆行させるってのはとてつもない衝撃だよ。そりゃあ声も漏れるさ。そもそも男は女と違って肉体の内部に異物を受け入れること自体に…」
 とそこまで話したところで家人の冷たい視線に気がついたので、ふたたび沈黙しました。

 今日。激烈な吐き気はおさまったものの下痢はまだとまらない。加えてついに家人がダウン。普段は人一倍胃腸の弱い長男を除いた家族全員に感染し猛威をふるうウィルス野郎。
 僕は家に残って下の二人の子の面倒を見て、家人は一人で病院へ。
 だいぶ回復した僕はてきとうにありあわせの夕飯をこしらえて、みんなを寝かしてからたまった家事を片づける。
 昼間はせっかく家にいるのだから執筆を進めようとも考えたのだけれど、もちろんこんな身体じゃあ集中力がつづかない。本を読むのもままならず、所さんの雑誌「世田谷ベース」とか古屋実のマンガとかステップワゴンのカタログとか、肩のこらないものを眺めながら、無為の時間を過ごす。
「無為こそが過激」とはよく言ったもので、何にもならない時間てのは苦痛ですね。だから最近リラックスできないのかな。
 いつの頃からか、小説やマンガを読むのでも、映画やテレビを眺めるのでも、そこからなにかを学ばなければいけない=小説に活かさねばならないという強迫観念がつきまとうようになって、表現を心底から愉しむことができなくなってしまったような気がする。それと並行して、家(特に書斎)にいるときには、すべての行動が執筆に向かっていないと落ち着かないのだ。…。なんか説明が面倒になったので放り投げよう。
 あとWikiとかでAppleの歴史を調べたりしちゃった。けっこう知ってるつもりだったけど、勉強になったなあ。いいね、たまには無為。ってか、僕みたいなタイプの小説(がどんなものか誰もわからないだろうけれど)を志している人間は無為こそが大切だと思うけどね。
 Steve Jobsって人はおもしろいねー。スゲエ才能があって、エゴで、華があって。そーいやゲイツとの物語を映画化した作品あったよねえ。原作は小説だっけ?昔観た記憶があるんだけど、タイトル失念。誰か教えて。
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 新車用にステッカーを新たに集めてるんだけど、世田谷ベースステッカーが思いの外たくさん家にあってびっくり。逆に他のがどっかいっちゃった。誰か大判のクールなやつあまってたらちょうだいね。
 さてさて、降って湧いた五連休(残二日)。明日から有為な日々を過ごしましょうね。
 

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2009/02/08

冬の日曜日、汀にて…。

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 不況のあおりを喰らって、運送業界もかなり厳しいです。最近は仕事が少ないので、定時出社の定時帰宅です。半歩合制の会社なので収入には響くけれども、僕の場合、時間がもらえるのならそれはそれで結構。小説に頭をシフトしています。
 忙しくて執筆を休んでいた時期があったので、しばらく時間をおいてから原稿に触れることで、かなり客観的な視点を持つことができます。単純な文章のミスを容易に見つけられるし、全体像を俯瞰することもできます。自分の世界観にどっぷりと浸かっているときは、なかなか外から見られないですからね。そしてトータルで眺めてみて、いい流れできているんじゃないかと、手応えを感じています。
 ちなみにiPhoneの「i文庫」というアプリがかなり活躍しています。青空文庫(著作権の切れた書籍を無料で読める)を読める上に、任意のテキストファイルが読めるので、僕は外出先での原稿チェック用に使っています。これで三百五十円は安い。青空文庫の書籍(何千冊もあるのかな?)を古本屋で買い揃えるのを考えたら、ね、すごいでしょ。
 ただ、しっかり働いて身体を動かしていないせいか、体調は万全とは言えませんね、最近。タバコの量が増えたことの影響もあってか、ひどく疲れやすく、活力が湧かない。日常の些事がすべて面倒になって、結果として心の健康にも悪影響が出る。休息もほどほどに、人間はリズムが大切ですね。バランスと。

 執筆をメインに考えながらも、現実的な生活に追われる部分もあり、なかなかままならない昨今。休日は新車購入に伴う自動車保険の見直しだとか、金銭的な部分に思考を奪われています。
 それにしても、とてつもない不景気ですな。
 僕がこれまでに読んできたどの小説よりも興奮に充ちた、波瀾万丈な人生を送ってきた六十すぎの某先輩がしみじみと漏らしていました。
「今までにも、景気の波ってのは繰り返し訪れていたものだけれど、今ほど出口の見えない、光の差さない不況は経験したことがないな」と。
 そして僕自身も、「不景気」というものをここまで生活レベルで実感するのは初めてです。最近テレビで流れるニュースのほとんどが、よりリアルで身近に感じられるのは、その根底に経済社会があることを実感しているからなんだと思います。オバマの自動車産業に対する方向転換だとか、蔓延する大麻問題だとか、銀座の路上駐車問題や大規模な某組織的詐欺事件ですら、根底には、この不景気がくっきりと見えます。
 だからといって具体的にどうこう足掻くわけではないけれどね。静かに、根気強く、あらゆる状況に耐えて、生き抜いて、最終的な目標に向かって歩みを進めていく。今は、数メートル先も見えない猛吹雪の中を、ひたすら歯を食いしばって進む時期だから。いつかきっと、溢れんばかりの豊かな陽光が差すことをただ信じて…。
 なんて、面倒だからってこうやって抽象的に書いてみるとなんだかひどい状況に思えてしまうけれど、ね、実際はそうでもないんだよな、日常は。とくに生活レベルが下がるわけでもないし、実質的被害はほとんどないんだけれど、家族を養う身としては先に不安を抱いてしまうよ。
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 それにしても最近あたたかいね。冬の寒さってこんなもんだったっけ?
 今日は家族で久しぶりに海へ。近所のスーパーに入ってる美味しいパン屋さんで調理パンをたくさん買い込んで、ポットに熱いコーヒーを入れて、昼すぎに車で茅ヶ崎漁港へ。
 漁港の駐車場は満車に近いほどの混雑。砂浜では早くもBBQをやっている家族もいる。僕らもリアハッチを開け放って、海を眺めながらフィッシュサンドなんかを喰らって、ひさしぶりに一眼レフを持って砂浜を歩く。忘れていた潮風の香りを嗅いで、汀に居を構えていることを思い出しました。なんだかね、せっかくだもの、たまには海を眺めてみるもんですよ。

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 徒然なるままに思いついたことを連ねていけば、そういえば昨日、DVDで『イノセンス』を観ました。最新作『スカイクロラ』を観てないから何とも言えないけれど、押井守は少しベクトルを誤っているような気がしました。前作で作り上げた世界観に、より生身の、腐臭のする人間くささを持ち込んでいるようだけれど、その反面、映像で圧倒させてやろうという魂胆が見え隠れして、僕は興醒めしてしまった。
 映像に関して言えば、あれだけバックのCGを見事に作りあげておきながら、主人公バトウをはじめとする人物の造形が陳腐すぎる。そして世界観で言えば、文学的な科白の多用が、こけおどしに見えてしまう。
 インテリ層にバカにされようとも、確固たる世界観を確立させて、その中で自由気ままに表現を愉しむ宮崎駿に比べて、まだまだ若く青い印象だけが残ってしまう。
 世界観が重宝されるのは、バブルの時代だけですよ。心に波風が立たなければ「他人」の記憶には残らないし、後世にも残らない。まあでも、続編が作られたら観るけどね。観るだけの価値はあるけどね。
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 僕は最近、松本清張だとかの八十年代にドラマで流行った刑事物サスペンスが好きです。あと寅さんシリーズとか。映画少年だった頃は、寅さんだけは死んでも認めないって言ってたんだけどな。年をとったんだな、おいらも。
 年齢を重ねて、人生の場面に隠されたいろんな部分が見えるようになると、ああ、僕は頭が悪かったんだなあ、と心の底から実感する。そしてまた、安堵もする。そして、今こうして馬鹿なりに理解して、俯瞰できる世界の中で、それでも言いたいことを書いていこうと、あらためて思います。
 まあまあ、今日はそういうことで、「イノセンス」と同様に、最終的になんもまとまらないけれど、おやすみなさい。明日からまた、日常という舟がいきます。
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 トラックではチェーンスモーカーの僕だけれど、家では深夜に庭で一服するくらい。
 最近気がついたのだけれど、この一服はなかなか大切だ。点滅する街灯に照らされた我が家を眺めながら吸いこむ煙が肺をきゅっと締めつけて、ぼんやりと星空を眺めていると、ようやく日常から解放されて、人生を俯瞰できる。
 ああ、そうだ、僕にとって、僕ら家族にとって本当に大切なことはこういうことなんだ。その為に今、そして明日から僕がまずやるべきことはこういうことなんだ、という道標をくれる。紫煙と星空。
 忙しない日常はね、ホントに、確実に、あなたの大切な価値観を追いやっていくよ。
 どんなに日常が忙しなくとも、瞑想の時間は大切です。

 


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2009/01/25

Hop Step WGN!…。

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 ステップワゴン、契約してきましたよ、さっき。いやあ、人生初の新車購入、興奮しますねえ。
 今乗っているオンボロ軽バンの車検が八月で切れるということで、五人家族に適したミニバンを探しはじめて、いろんなメーカーの車種を調べているうちに、やっぱり僕はホンダ党らしいということに気がつきました。そこで当初は、茅ヶ崎の細い路地での運転、燃費などを考えて、今爆発的に売れているフリードにしようと思っていたんだけど、ディーラーで見積もりを出してもらうと、値引率がかなり違うためにステップワゴンとの価格差があまりない。それだったら広いほうがいいだろうと、ステップワゴンに決定しました。
 取り回しや燃費、顔を考えるとフリードだけど、やっぱり子どもたちのことを考えて居住性を優先させました。

 ちなみに値引きは結構がんばってもらいましたね。Gにフローリングと一番いいオーディオをつけて、他に細かいところをサービスしてもらって、五十万円引き。かなりいい買い物ができたんじゃないかと自画自賛しているところです。
 ぶっちゃけ今、ステップは買い時ですよ。今年中にフルモデルチェンジが予定されていて(昨日訪れたディーラーの営業は「あってもマイナーでしょう」と言ってたけど、契約したところの営業は「たぶん秋でしょう」と認めてた)、またフリードが爆発的に売れている反面、ステップはライバルのセレナやヴォクシーに押されている感があるから、値引率がもともと高い。だからこの決算期は絶好の機会です。モデルチェンジから四年が経っているから車両自体の不具合もほぼ完全に解消されているし、ローンで買う人は、ホンダファイナンスがミニバン限定低金利キャンペーンをやっているので、これを利用することでさらなる値引きの武器にもなります。
 ちなみに僕は、先週、会社の先輩の紹介の「他店とは一円まで戦いますよ」と宣言する近所の頼もしいディーラーで限界値引きを出してもらってから、昨日、別経営の他のホンダでそれより好条件の見積もりを出してもらい(ここが勝負所だったな)、今日、その条件を武器に持ち帰って最終的な限界値引きを出してもらって、契約しました。やっぱり競合は必須です。あとはハンコ前のゴリ押しですかね。

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 実は、つい先月くらいまでは、先代の二代目ステップワゴンの中古車を買うことに決まっていたんだけれど、いざ買う段になって急展開、現行モデルに決めました。先代のほうが室内が広いし、ポップな車体色も選べるし、サンルーフもあるし、シートアレンジも豊富だし、顔も間抜けな感じがcoolなんだけど、新車の安心感に負けましたよ。現行はぶっちゃけダサいものねえ。買っちゃったんだけどさ。
 こうやって現実と折り合いをつけて、車を買うんですねえ。もっと頑張って、好きな車に乗りたいのう。好きな車に乗れるとしたら、今はJEEPのWranglerかPatriotかなあ。

 営業さん曰く、次期モデルは新型オデッセイの顔になるんじゃないかということ。キープコンセプトなので居住性などはそう変わらないんじゃないかと言ってたけど、これだけセレナやヴォクシーに押されているのだから、次はたぶん先代モデルの形に戻して広い箱型にするんじゃないかと僕は睨んでいます。僕には関係のない話ですがね。
 ともあれ、納車が楽しみです。さすがの僕も新車だったら洗車するんだろうなあ。
 

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2009/01/10

書斎をリセットしてくるりを聞いたりして…(休日の記録)。

Img_0236 三連休の初日。朝はゆっくりたっぷり眠って、新年の大掃除。年末にきちんとできていなかったからね。家人が一階、僕が二階を担当して、綺麗に磨きあげました。 
 布団を干していつものように寝室の掃除をしてから、今日は書斎を重点的にやっつけました。
 iMacを拭きあげて、スパゲッティ状態になった電源コード類やら書籍類の埃を掃除機で吸い取って、ガラクタを整理して、床を雑巾で磨いて、山積した雑誌類の整理をして、ディスプレイしてある車のおもちゃとかブルースハープとかを磨いて、なぜかギターのチューニングをして、前にもらったトランペットのマウスピースを試したりして、手紙類、マニュアル類を整理して…と、まあとにかく目について気になったところを片っ端から片付けました。
 と言いたいんだけれど、書斎の東側の収納部分には手が届かなかったな。ホントはここに無駄なものがいっぱい詰まっているので整理したかったんだけどな。できたら明日頑張ってやっつけるつもりです。
 書斎掃除の常として、何冊もの書籍に足を引っ張られてだいぶ時間がかかりました。埃を拭きとろうと手に取った本をつい読みふけってしまう。本屋に行くと浮かれてしまうけれど、僕の部屋にはまだまだ読み返すべき貴重な本がいっぱいあるんだと頷きましたよ。読了してないのもあるしね。そーゆー本をまとめていくつかの山にして目につくところに積み上げたので、なかなか気持ちがいいです。
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 昼をだいぶすぎてから、みんなでお出かけ。食べたいものの希望がばらついたのでジャスコのフード街へ行って各々好きなものを食べる。
 ジャスコ内の本屋で立ち読み。今夏に購入予定のミニバンの雑誌とiPhone雑誌。iPhoneのjailbreak(脱獄)に興味があったんだけど、やっぱりやめたほうが無難そうだね。ただでさえ保証の薄いiPhoneだから、何かあったときに自己責任というのはリスキーすぎる。それに今はjailbreakしなくても充分すばらしいアプリが出ているものね。
 夕飯の買い物をして帰宅。昨日から本格的な冬の寒さだね。

 夜はみんなでカレーライスを食べて、僕は書斎でくるりを聞きながらiMacのバックアップ作業。
 最近トラックでくるりを聞くことが多いんだけれど、あらためてなんつうか、いいです…。
 もちろん長距離の旅情とか孤独感とか、トラック内での大音量とか、いろいろ関係しているとは思うんだけれど、なかなか心に響くじゃねえか…岸田くんよ。
 まだ整理できていなくて、言葉も発酵していないのでうまく言えないのだけれど、バランスがとれていて、ヤラレタって感じになります、最近は…。何年も前から聞いているのでどういう音かわかっているつもりだったのに、ひとつひとつに圧倒されちゃってます。
 くるりの、旋律と、言葉が、融合して、僕に、僕の人生を、俯瞰させてくれる。
 ブルーハーツに熱くなっていた頃を思い出しました。楽曲を聴いて、自分の存在や来し方、行き方にまで思慮をもたらす音楽に、人は惹かれるのですよね。表現というのはそういうもだし、心に響くというのはそういうことなのだけれど…。
 でもまあ、やっぱり、トラックの車窓を流れる情景というのがね、けっこう大きいです。明ける前の首都高湾岸線、ベイブリッジを抜けた先に、見たこともないほど巨大でまん丸の月が現れた瞬間、そのとき車内に流れていた『東京』が、ある完成された形になりました。あるいは西へ向かう夕方の箱根の下り、眼下に広がる街の無数の窓の明かりを見下ろしながら聞く『BABY I LOVE YOU』。関西からの帰り、渋滞した浜松のバイパスを疲れ切った脳でのろのろ走りながら聞く『男の子と女の子』。夜の西湘バイパスで漆黒の海面に広がる月明かりを眺めながら聞くマイルスのラッパ…。って、くるりじゃないか。ともあれ、疲弊しきって脳が「快」を求めはじめているときに、音が沁みます。

 ともあれ。明日は先週二回食べた平塚の花水ラオシャンへ行こうかと思います。その話はまた後日。ciao!
 

 

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2009/01/04

2009…。

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 おめでとうございます。今年もよろしくどうぞ。
 年末年始と、それなりに忙しなく、それなりにゆっくりと、とてもいい時間を過ごせました。暴飲暴食で胃はちょっと弱っているけれど、頭も身体もリフレッシュできて、とても自然に前向きになれています。正月ってのはね、無理やりにでも休まないとね。だんだんと動きたくてウズウズしてくるようじゃなきゃダメですよ。
Img_0143 大晦日は、年越し三十分前に、今にも眠りに落ちそうな長女を含めた子どもたち三人と共に厚着をして、近所の神社へ。お酒とおでんをもらって子どもたちに食べさせたり焚き火にあたっているうちにいきなりカウントダウン。ローカルの乾杯の和に入る。若者たちは気が狂ったかのようなテンションで携帯にあけおめを叫ぶ。茅ヶ崎も四年目になるので、神社にも知った顔がちらほらと。おめでとう。今年もよろしく。
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 元日は家から一歩も出ずにドゆっくり。二日はおいらの実家へ。普段は口にできない超一流を味わい、あらためて大仰に人生を考える有意義な正月の慣習。洗練された住居で、金と手間がかかった料理を、これまた一流の食器を使っていただくと、なるほどと膝を打つ。書からではわからない、実感の力…。茅ヶ崎の牧歌的で大衆的でほんわかとした価値の中でリラックスするのも悪くないけれど、洗練に身を置くと、なにやら熱い衝動が腹の底に湧きあがってくる。もっともっと欲張って、もっともっと精進せねばと…。
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 十月に納車されたばかりだという親父の愛車に乗っかって六本木界隈をドライブ。途轍もない快適性と途轍もない加速と途轍もないプライス…。うちの軽と同じ「自動車」という乗り物にカテゴライズされるものとはとても思えない存在感…。いわゆる高級車というものにはあまり興味を示さなかったおいらだけれど、ここまでスゴいともう圧倒されるばかり…。
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 家庭よりも仕事を優先させてきたように見える親父だけれど、三人の孫に囲まれて笑う姿は微笑ましい。埃をかぶっていたAIBOを出してきて孫たちを遊ばせ、しまいには、もう使わないから、と言って、AIBOを子どもにくれました。あーゆー東京のモダンな家には似合うけれど、茅ヶ崎の陽光に灼けた畳を歩くAIBOはちょっと不釣り合いだよねえ。子どもたちは大喜びだけれど。
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 今日は家族でお買い物。家電やらなにやらを買って、家人のこしらえた大根餅を食べて、くだらないテレビを眺めて、正月終了…。
 なんだかんだ言って、正月でも家人はあまり休めてない様子。もう一踏ん張り。子どもも含めて、力を合わせて笑っていきませう。
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 ともあれ今年も、どうぞヨロシコ。
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PHOTOS/iPhone/ToyCamera

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2008/12/30

年の瀬に…(トイデジはもういらない)。

Dt1  さてさて、気がついたら年の瀬ですよ。寒いですよ。忘年会ですよ。なんだかんだと忙しくて、正月もあっという間に過ぎてしまうだろうと容易に想像できますよ。なんにせよ、年末、ちょっとは浮かれてみましょうね。

 先週の土曜日は会社の納会。ってかまあ、飲み会。先輩方と居酒屋でどんちゃん騒ぎして、おねえちゃんのいる店で『Oh! クラウディア』を唄いあげて、我が家でちょっとだけ飲み直して、見事に宿酔い。
 月曜日は中高時代の友人たちとの毎年恒例の集まり。友人が営む広尾の某カフェにて。っていうか別に名前を出してもいいのかな。ねえ、Shinpei…。
 Daisakuのところに泊まって、さっき茅ヶ崎に帰ってきて、家族で年末の食料を買い出しに行って、TSUTAYAでDVDを借りて、帰宅してコーヒーとドーナッツで一休み…。iMacをキュキュッと磨きあげて、書斎の定位置で久しぶりにゆっくり落ちつく。
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 ところで、ついにトイデジ買いましたよ!…と、言いたいところなのだけれど、そうではなくてiPhoneのその名もToyCameraというアプリをゲットしました。これはおもしろい。トイカメラっぽいエフェクトを自動でかけてくれます。モノクロームだったりトンネルだったり色合いだったりの設定ができず、毎回ランダムなエフェクトなところがちと厄介だけれど(ヴァージョンアップで対応予定らしい)、それでも充分トイカメラの風合いを表現してくれます。これで230円だからね。トイデジを買うの辞めました。iPhoneで充分。今日なんて一眼レフを肩から提げながら、ずっとこれで写真撮ってたもん。
Img_0070 iPhone、使えば使うほどすごいですよ。とにかくアプリがたくさんある。無料アプリもかなりあるし、有料のものだってだいたいは二、三百円くらいだし。また今度詳述するけど(まだ引き延ばすか)、とにかく、OSがどんどんアップデートされ、アプリがどんどん増えていくので、機能がどんどん増えていくのだよ。マルチタッチは思いのほかスムーズだしね。
 メインで使っているいくつかのアプリをひとつひとつ説明したいところなのだけれど、またしても次回に譲ります。代わりに、iPhoneでてきとうに撮影した写真を何枚か…。
 ブログに書きたいことが山ほどあったんだけれどね、それも先延ばし…。今日はブリカマの塩焼きを食べようかね。納豆とね、味噌汁とね…。ciao!
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2008/12/12

アメリカのリンゴの電話…。

Dsc00516 仕事の関係でソフトバンクに鞍替えしたのを機に、iPhoneデビューしました。
 一足先にiPhoneを購入した友人知人が、mixiの日記やブログなんかにiPhoneの記事を書いているのを見るたびに「けっ!たかだか携帯電話に自己満足して誇張して書きやがって!俺はiPhone買っても絶対ブログには書かねえぞ!」と心の裡で叫んでいましたが、あれは完全なるやっかみでした。ごめんなさい。書きます。許してください。

 っていうか、かなりいいんですもの、iPhone…。発売当初のブームが沈静化してからは、負のニュースばかり目立っていたし、正直Apple製品はそれなりの期間を経て熟成するまでは実用に遠いというのを経験から悟っているので期待していなかったのだけれど、iPhoneはかなりの満足度です。
 
 なんていうか、携帯電話じゃないよね。iPodとも違う。Macintoshシリーズのひとつととらえていいと思うくらい。MacBookとPDAの中間くらいの位置づけかな。
  …と、詳細に至るまで徒然と書き連ねるつもりでしたが、疲労困憊により今日は断念…。
 ともあれ、おそらく皆さんが思っている以上にいい出来です。詳細は次回に期待せよ。ciao!

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2008/11/24

生きる…。

 家人の祖母が亡くなり、昨日お通夜に行ってきました。
 僕は何度かお会いしたくらいで、たいした会話を交わしたわけでもないのですが、お祖母ちゃんのおおらかな笑顔は非常に印象に残っています。都内にけっこうな土地と財産を持っていて、大きな家に住んでいて、書道の先生をしていたことがあって、子どもにはひたすら甘く何でも買ってあげて、いつも目を細めて笑っていて、夜は米を食べずにウイスキーで晩酌をするという、したたかで粋なおばあちゃんでした。

 じつは、昨日が僕にとって人生初めてのお通夜でした。僕はこれまでお葬式にも出席したことがありません。
 中学生の時に(唯一の)祖母が亡くなったときは、期末試験の最中だからという理由でしばらく祖母の死自体を知らされなかったし、母親が亡くなったのを知ったのは(ワケあって)死後数年たってから、一昨年くらいのことです。
 家人からお通夜に出席するという話を聞いて、僕は、昔の日本映画で見たような、大きな畳の間で、寿司を喰らいながら酔っぱらった親戚のおっちゃんたちに苦笑いしながら、立ち籠める線香の香りを嗅いで坊主の読経を聞き流すといったシーンを想像していたのだけれど、実際は都心の小ぎれいな斎場でやけに事務的でてきぱきとした進行のおねえさんに仕切られて終了してしまいました。忙しない世の中です。
 それでも、純白のクリーンでモダンな室内に不釣り合いなほど豪勢な建具や棺。絶妙なリズムで鳴らされる坊主の木魚とチーン。神経を穏やかにする抑揚の読経。仄かに鼻をつく線香の香り。そういった道具の複合が、短い時間であるにせよ、忙しない日常を忘れさせ、故人に思いを馳せ、そして明日からの自分の行方を考えさせる貴重な時間をもたらしてくれました。
 こういった宗教的な道具ってのいうのはすべて、日常の精神状態をあっちの世界に飛躍させるためのものなんですよね。仏教に限らず、キリスト教でもイスラム教でもヒンドゥー教でもなんでも、五感すべてに非日常の刺激を与えて、簡単に言えば「ラリる」ように持っていく。「悟り」を得る恍惚は「ラリる」それと同じことです。線香の香りに木魚のリズム、そこに読経と啜り泣き震える声が加わればガンジャくらいの効果はあります。
 たとえば冬のマンハッタン。深夜のダウンタウン。誰もいない礼拝堂の冷たい床に膝をついて、黒い肌の母親は一心不乱に「主の祈り」を唱える。何度も何度も、囁くように、時おり窓から差し込む車のヘッドライトに白い息を照らされながら、永遠に続くかのように、天にまします我らの父よ…と。
 あるいは護摩業。あるいはお百度参り。あるいは日に何度もメッカを向いてアラーに祈る。修行するぞ修行するぞ修行するぞという麻原某の祈りも、その単純な反復の苦痛が恍惚をもたらし、日常の些末な悩みを非日常に昇華させる。
 それは、無目的で退屈な日常の中、ちょっと近所をランニングしてみると、なんとなく何かを成し遂げたと思いこんでしまう感情に似ている。かつての中国の洗脳方策にも似ているし、セミナー式の集団詐欺にも似ている。抑圧からの解放。これはストーリーテリングにも有効です。ともあれ。

 僕に宗教観が薄いのは、お通夜、告別式というものをこれまでに経験してこなかったということにも一因があると思います。
 棺の戸を開け、故人の顔を直に見る。この映像がどれだけ人の心に残ることか。故人との付き合いが浅くとも、その死にゆく顔は、若い心に楔を打ちます。僕も実際、死に化粧を施されたお祖母ちゃんの顔を見た瞬間、僅かな記憶が眼前にリアルによみがえり、涙がぶわっと溢れてきました。ぶわっと溢れて、一筋落ちて、そしてすぐに止まり、日常が戻りました。
 意図的ではないにせよ、僕から「死」を遠ざけてきた父親に、そのときすこしだけ憎悪を抱きました。
 読経を終えた坊主が言いました。最大の供養は、故人を忘れないことです。そして、時間をかけて、心を持って、故人を想うことです。そのためには、言葉を持って、口に出して、故人に話しかけることです。話し続けることです、と。
 見るからに胡散臭そうな坊主でしたし、僕もすれた大人になってしまっているので、心の裡ではわかったようなことを言いやがってと悪態をついていましたが、成長の過程においてこういう坊主の説教を聞く機会があるとないとでは、その後が違うのではないかと思いました。

 そして冠婚葬祭の作法。僕はもちろん初めてでしたが、作法を知ってはいても身についていない若い人が何人かいました。狼狽を隠しきれずに、無様に終える人。作法がわからずとも気持ちを大切に、堂々と振る舞う人。学ぶところは、あらゆる場面にあります。

 昨晩は家人の実家に泊まらせてもらい、今日の告別式は辞退して、午前中に帰途につきました。今日中に仕事の買い物を済ませなければならなかったし、家に帰ればまた忙しない日常が待っています。
 先週から本格的に4tトラックに乗るようになって日常はかなり変わりましたし、いつまでも死を想ってもいられません。

 帰り際に、関西の道路地図を購入しようと立ち寄ったTSUTAYAで、黒澤明の「生きる」をレンタルしました。黒澤映画でいちばん好きな作品で、いちばん見返した作品のはずなのに、ストーリーをまったく思い出せず、なんだか不思議な気分で手に取りました。幸い明日も休みなので、これからゆっくり観ようと思います。
 余談ですが、最近4tに乗って忙しくなってから、とりあえず発信(執筆)に無理やり心を砕くのを辞めています。さすがに死にそうだから。
 その代わりに、受信は楽で愉しいから、本を読んだり映画を観たりしています。TSUTAYAの半額クーポンが出ているときは大量に借りてきます。だからといって、技術が進歩しているからといって、DVDをPCにコピーしたりしてはいけませんよ。最新のiMacを買ってMac The Ripperとかいうフリーソフトがあっても、コピーはダメですよ。好きな作品をレンタルしてコレクションしてはダメですよ。子どもに見せたいからって「となりのトトロ」をコピーしたら違法ですよ。
 そういう流れで、好きな作品を見返しているんだけど、北野武の「キッズ・リターン」が思いのほか良かったですね。純文学の短編にしたい感じです。シーンが端的で、無駄がなく、音楽と映像がバランス良くて、そしてひとつひとつの絵がじつに安っぽくて(リアルで)、いい。寺島進のファブリーズのCMが好きです。
 映画の話になると長引くから次回に譲ろうと考えつつ書きたいのが、最近見返した「The Shinning」。一言で言えば、洗練。舌を噛みそうだけれど、ソフィスティケイト。無駄なものが一つもない。シーンも科白もキャスティングも。ある程度の年齢になって心底から映画に集中できない日常を生きるようになると、こういう洗練された映画の日本刀のように研ぎ澄まされた輝きに気がつく。
 冒頭からの空撮シーン。ジャック・ニコルソン、妻、子ども、黒人の従業員、はてはホテルオーナーのキャスティングから、秒単位のすべてのシーン、カメラワーク、音響、音楽まで、もうなんていうか、あまりに完璧すぎて、感想なんてないほど…。ともあれ。
 

 話を戻しましょう。
 今、脳裏に鮮明によみがえるのは、棺の中のおばあちゃんのやすらかな死に顔と、焼香のお辞儀のあとに目に入った喪主である家人の父親の憔悴しきった表情です。その横に並ぶ親戚の方々のうつろな表情とともに、僕は、今こうして生かされていることに、心から感謝の気持ちを抱きました。
 そして、この、至極私的で無様ながら、普遍である「感謝」という気持ちをどうにか誰かに伝えたいと願い、その難しさに頭を抱え、だからこそ小説なんぞを書くのだなと、自戒とともに頷きました。
 そしてまた、日常という舟がゆく。

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2008/11/06

七国山病院までは大人の足でも三時間はかかる…。

 ♪となりのトットロ〜、トット〜ロ〜♪トットロ〜、トット〜ロ〜♪
 ど〜も〜、脳天気で〜す。
 人生は闇夜を漠然と歩いているようなもので(ⓒ花村)、ままならないことばかりだけれど、頭んなかはいつでもお天気でいたいですね。べつに飲んでませんよ。
 なかなか小説を書く時間がとれないのだけれど、文章を書くという芸事は継続しなければ意味がないので、ここに駄日記を書き散らします。そんで寝ます。

 過日。三歳の長女が切望するので『となりのトトロ』をレンタルしてきました。これまでも何度か見たことがあったのだけれど、居間や書斎で子どもたちに見せているうちに僕も家人も見入ってしまった。
 人の親、しかも三児の父ともなると、自然に以前とは違った見方をしているね。しっかり者のサツキを抱きしめて褒めてあげたくなるし、メイちゃんのワガママを笑って許してあげたくなる。
 大人はノスタルジーと子ども心を刺激され、子どもはファンタジーに酔う。よくできた作品です。画面を眺める子どもたちの瞳の輝きったら、途轍もない。瞳をキラキラさせて、とろけるような笑顔でけたけたと笑う子どもたちを見ていると、感服します。誰がなんと言おうとも、子どもたちにこんな笑顔をもたらす宮崎駿は、もうそれだけでエライのです。
 子ども騙しは簡単じゃないですよ。それに子どもは騙されて成長していくのです。ジブリに騙され、ロックに騙され、小説に騙され…。誰の話だ。

 押井守が宮崎駿を批判するような発言をしたことがあったけれど、僕は宮崎駿の懐古主義は嫌いじゃないけどなあ。そして古き良き男の子の姿も。村上春樹も言っている「かっこいい男の子の条件」を満たしたキャラクタがいろんな作品に出てくる。トトロのカンタ、もののけ姫のアシタカ、ラピュタのパズー、耳をすませばの彼もそうだし、カリオストロの銭形警部も括っていいでしょう。つらいことをぐっと堪えて笑う、古き日本の素敵な男の子たちを、自分の子どもたちにも見せてやりたくなります。

「七国山病院までは大人の足でも三時間はかかる」のだそうですが、冒頭のシーンではお父さんと三人で自転車で行ってました。時間がゆっくり流れています。昭和三十年代の設定らしいですが、あくせくと時間に追われる現代からは考えられないスロウライフです。そんなシーンを見て家人が呟きました。
「どうして今はこんなに忙しい世の中なのかな」
 たしかにそうだ。古き良き日本女性代表に選出されそうなほど昭和な家人の科白が響きました。
 世の中は遅すぎるエコブームだけれど、僕らはもう自分たちの力だけでは、地球に優しいスロウライフを選択することはできない。
 環境のために自動車を捨ててしまいたくても、自動車がなければ間に合わないことが多すぎる。ITなんかに頼らないで視線を合わせたコミュニケーションを取りたいけれど、そんな情報量ではまわりに出し抜かれてしまう。多少貧乏しても仕事より家庭を優先させたいと思っても、金がなければ始まらない。近所には顔を合わせてもプイッとそっぽを向いてしまうお母さんがいるし、隣の町では子どもが殺されている。どこへ行っても、変わらない。
「楽園なんてどこにもなかったよ。あるとすれば、それは過去か未来のどちらかにだ」
 とどこかで誰かが言っていた。ともあれ。

 予想はしていたけれど、いざ決まるとなかなか歴史的ですね、オバマ次期大統領。うちの会社のブルーカラー丸出しの汚い事務所で、懲役を繰りかえし波瀾万丈なヤクザ者人生を送った六十すぎの先輩がオバマ氏のニュースを見てしみじみと言った「時代も変わったもんだよなあ」という科白が、しばらく重く部屋に漂っていました。同じ科白でも、時代を見てきた人が言うと深みが違う。まだまだ修行が必要だなと、自らを戒めました。
 やっぱりアメリカってのはすごい国だね。良くも悪くも。そして英語の音は美しい。当選後のスピーチなんて映画みたいでした。国民大騒ぎで泣いちゃってる。
 彼が大統領になったって世界は変わらないけれど、日本と違って国自体の方向性には期待できると思う。政治に関してはあまり言うことはないけれど、僕も何故だかすこし心が熱くなった。若い頃、僅かながらも人種差別問題(特にアメリカにおける黒人差別)をかじったことを思い出したのだろうか。今ふと見上げたら、頭上の壁にキング牧師のポスターが貼ってあるのに気がついた。このポスターの彼は何故こちらに視線をよこさずに、左斜め下を見やっているのだろう。
 ついでに部屋を見渡すと、貼ってあるポスターはマイルスにボブ・マーリーにコルトレーンにスパイク・リー、黒人ばっかだ。好みというよりポスターのデザインで選んでいるから偶然なんだけどね。

 さて、まとまらないけど終わり。時間が来たから終わり。しっかり寝てしっかり働く。
 あれね、やる気でないときはね、身体を休めるといいよ。知ってる?でも休めない?そうだよね。世知辛いね。ciao!


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2008/10/24

あるいは皆殺しのメロディ…。

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 十年ぶりくらいに、クラシックギターの弦を張り替えた。クリアで素敵な音がする。でも昔弾けた曲が全然弾けなくて意気消沈。芸事は継続せねばね。アルハンブラは遠い…。

 Mステにクロマニヨンズが出てたね。生ヒロトとマーシーに感激。核は変わっていないけれど、やっぱり老いの匂いが出ている。マーシーまだあのレスポールなんだね。二人とも相変わらず可愛い。音楽を心から愉しむロック小僧は、皺が増えても十四歳のままだ。

 新しいiMacやiTunesが使いやすいせいもあってか、今までより音楽を聴く機会が格段に増えた。プレーヤーに入れて車(トラック)で聞く機会も多いので、必然的に「流して聴く音楽」を選ぶことが多くなった。前面に出る曲のメッセージ性よりも、空気感。どちらも執筆には邪魔なので、小説を書くときはThe Sounds of Silence。
 仕事中、長距離の旅情に取りこまれているときに、ひさしぶりにThe Blue Heartsのファーストを聞いて、目頭が熱くなった。比喩でもなんでもなくて、本当に泣きそうになる。あの当時に、このアルバムを聴いて熱く心を揺さぶられた若者の興奮の何分の一かを、三十路になってようやくリアルに感じた気がする。
 ブルーハーツほどの存在って、他にあるんだろうか。犯罪が少年にとっての浅はかな逃げ道となっている今こそ、ブルーハーツみたいな象徴があればよかったのに…と、僕は今、浅はかに思う。

「いつか会えるよ 同じ気持ちで爆発しそうな仲間ときっと会えるよ」
「そしてナイフを持って立ってた」
「世の中に冷たくされて ひとりぼっちで泣いた夜」
「誰もがポケットの中に 孤独を隠し持っている」
「君のこと笑う奴は トーフにぶつかって死んじまえ」

 という、ひねりもなんもないストレートな言葉を、ずたぼろの格好をして、目をひん剥いてシャウトしてくれる誰かが、少年を襲う危うい夜の闇を遠ざけてくれるんじゃないだろうか。孤独を喰らって成長する心の闇の怪物は、ブルーハーツによって浄化されてきたんじゃないだろうか。青臭いと笑われるかもしれないけれど…。
 僕はどちらかというとヒロト派だったけれど、今聞くとマーシーの曲のバランス感覚に惹かれることが多い。教室に佇む自分とアパルトヘイト。草野球と人生。カレーうどんと哀しみ。日常と普遍…。いつも言うことだけれど、二人が出逢ったことが奇跡で、そこからすべては決まっていた。ともあれ。

 前述したように、流して聞くことが多いので、最近はボサノヴァやジャズが多い。あと前からだけど、シナトラの大袈裟な感じがお気に入り。歌は艶ですねえ。S・タイラーやミック、永ちゃんとかもそうだけど、歌唱力より色気です。小説においても、文章力よりも艶、リズム、というのはある。軽く稚拙な表現でも、リズムがよければ読者は読まされてしまう。心地よくなる。石田衣良とかまさにそう。ウマイ。商売人。体言止め。楽。
 だからこそ、書きこみまくる花村とか、クールでドライな文章に途轍もない深みを含有させる春樹は抽んでていて、僕のような人間は口を開けて見上げて笑うしかない。
 あとはDONAVON FRANKENREITERとかの海音と、可愛いAvril Lavigneとかかな、最近は。
 そーそー、KEN2、中村一義とAIR、持ってたらあるだけ貸してね。

 ところで。4tトラックに乗るようになって、小説に割く時間がかなり減ってしまった。寝るか走るかという状況が続くので、表現に頭を向ける時間がない。ぶっちゃけ来春の新人賞は諦めようかと思っている。無理やり間に合わせるよりは、納得いくまで吟味推敲したほうがいいでしょうと言うことで。時間が余ったら次作を書けばいい。まずは生活安定。まだまだこれからだ。

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2008/10/12

秋の午後、白い空、赤子を抱きながら…(休日の記録)。

316806c6dvl_ss400_ カレンダー通りの三連休だけれど、心身ともに疲弊しているので、執筆は休んでゆっくりすごすことに…。

 昨日はたっぷり寝くさってから家族でお買い物へ。ニトリでホットカーペットカバーを買ってから、Fujiスーパーの駐車場で例のメンチカツとおにぎりを食べて、TSUTAYAでCDを借りて、AVEでいろいろ買って帰宅。
 子どもたちとメンチを食べてわいわい騒ぎながら買い物をしているだけで、まさに小確幸(小さいけれど確かな幸せ(C)村上春樹)。愉しい休日の午後です。

 どこかで偶然見かけたPearl Jamのジャケットが印象に残っていたのでレンタルしてみる。懐かしいのでいつの間にか紛失したファーストも借りる。いやあ、いいねえ、相変わらず。良い意味で変わってない、Pearl Jam…。
 iTunesに取り込もうとしたら、ヴァージョン8が出ていたのでアップデートする。geniusとビジュアライザ、グリッド表示が新しくなっていて、すげえ使いやすい。ついでにアートワーク(ジャケット画像)をネットから落としているうちに、ライブラリ内に忘れていた曲をたくさん発見して、しばらく聞き入ってしまう。あらためて、くるりがいいね。
 夜はみんなでうどんを食って「フラガール」を観て寝る。

 今日は家族サービス。僕が家でベイベーの子守をして、家人は上の子二人を連れてお出かけ。川崎のDaisaku&Yurico邸へ。
 慣れない子守をしながらのんびり家事をこなそうと思っていた僕だけれど、0歳児の面倒を見るということがこんなにもハードだとは認識しておらず、かなりクタクタに。それでも部屋を磨き上げて、洗濯物を畳んで、風呂を掃除して、洗い物を片付けた。←あれ?かなりがんばったつもりだったけど、僕がやったのってこれだけ?
 家人は毎日、これらに加えて、あと二人の子どもの世話、昼・夕食の用意、日用品の買い物などの雑事まで、まだまだたくさんのことをこなしているのだから頭が下がる。マジきっついよ、主婦!
 そんな僕を尻目にF1中継を眺めながらにったりと笑うベイベー。可愛くってしょうがない。

 現在時刻午後七時過ぎ。そろそろベイベーが起きそうだけれど、そろそろみんなも帰ってくるだろう。
 明日は夜から愛知へ出発。昼間はのんびりしよう。
Img_7967 ※PEARL JAMのジャケ。色とグラデーションと構図の勝利。シンプルな秀作。
※隣の子と四人で…。

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2008/10/10

南へ…。

 ふい〜、チカレタ…。
 今週は仕事で鹿児島へ行ってきました。九州初上陸。まだまだ未熟者だけど、僕も長距離トラック運転手になってきたって感じだなあ…。

 月曜日の午後に荷物を積み込み、そのまま出立。今回は先輩のAさんと二台で行くことに。
 Aさんは産まれながらの茅ヶ崎ローカルで、もろに僕が住んでいる地域出身。浜降祭を主に、あちこちのお祭りで御輿を担ぐ祭りのプロで(右肩には赤子の頭ほどの瘤がある)、身体がでかくてイカツイ風貌でぶっきらぼうで、絵に描いたような荒くれトラック野郎のようだけど、ホントはすごく優しくて、芸能界と女性タレントに異常に詳しいという側面を持つ粋な漢です。
 そんなAさんの大型のケツを追っかけて、ひたすら走る。東名、伊勢湾、東名阪、新名神、名神、中国、山陽と、高速道路をハシゴして、初日はどうにか岡山県は吉備SAまで…、午後十一時過ぎに到着。
 四トン以上のトラックにはベッドがついているので、車中泊はけっこう快適。キャビンはけっこう広いし、ベテランの先輩たちはだいたいテレビをつけているので、ちょっとした部屋といった様相。

 火曜日。七時起床。八時出立。途中、広島県の宮島SAに寄ってブランチ。SAの展望台から瀬戸内海と厳島神社の鳥居を眺める。あいにくの濃霧ではっきりとは見えなかったけれど、島が入り組んだ地形と牡蠣の養殖のイカダに嘆息…。いつもながら、壮大な風景が心に波風を立てるのは何故なんでしょう。ただそこにあるだけなのに…。
 腹を満たして早々に出立。そのまま鹿児島まで走る予定だったのだけれど、Aさんが前触れもなく山口県は下関の関門橋手前、壇ノ浦SAに入り、慌てて僕も後を追う。
 Aさんはトラックを降りて僕のところまでくると「朝してなかったからウンコしてくるわ。おまえは関門橋でも見てろ」と言い捨ててさっさとトイレへ。ぶっきらぼうな言いぐさだけれど、九州初上陸にはしゃぐ僕にしばしの旅情を味あわせてくれようという粋な演出…。僕も無粋なことは言わずに黙って頷き、関門橋と海峡の荘厳なる風景を眺め、海風にしばし酔う。
 そんでもって九州上陸。関門橋はあっという間。SAから本線に入る加速で先輩に置いて行かれないように慣れないシフトチェンジに集中しているうちに、気がついたら橋の半ば…、いつの間にか九州上陸…。
 知人の実家がある久留米インターを通過。田園風景と街の喧噪を眺めていると、心にぢんと沁みるものがある。鹿児島で育った知人のことも思い出して、感慨にふける。僕はこの仕事を始めて日本全国の各地をまわるようになって、他人の望郷の念みたいなものを感じることがよくある。「あいつ(あの人)は、ここで十代を過ごし、笑って泣いて、傷ついて成長して、今こうして僕の人生に関わっているのだなあ」などと、後で思い返すとひどく気恥ずかしいほどの感傷にひたってしまう。
 中島らもの「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」というエッセイを思い出した。僕が感じるような過去に対する淡いセンチメンタリズムを、気障にならないように笑いを交えて書いた、とても素敵なエッセイだった。このエッセイを読んでいた頃の若い自分を思い返して、ふたたび涙腺が緩んだ。道は続く。旅は長い。妄想と追憶の羽はどこまでも羽ばたく。
 九州に入って三時間弱走り、目的地のインターからひとつ手前で降りて、国道三号線で燃料補給&シャワー。しばらく下を走ってスーパーで買い物。刺身とか焼き鳥とか夕飯を買って、目的地から一分ほどの公園に到着。先輩のトラックでテレビを見て飲みながら夕飯をやっつける。談笑しつつも、普段は見れないAさんの影を垣間見る。みんないろんなものを背負っている。Aさんのことじゃないけれど、人はみんな、傷を抱えて、その傷を隠して、だけど自分でも気がつかないうちにその傷の痛みを外に訴えている。自分のトラックに戻って、くすぶるエンジン音を聞きながらしばらく物思いにふける。

 水曜日。七時起床。八時出立。目的地の工場で荷物を下ろし、帰り荷を待つ。Aさんは月に何度もここを訪れていて働いている人たちとも顔見知りなので、みんなに紹介してもらう。
 なかなか荷物が仕上がらなくて、けっきょく積込が終わったのは午後七時。Aさんは翌日に神戸で下ろす荷物を夕方には積み終えていたのだけれど、初めての僕のために最後まで待ってくれた。翌日に関西行きというのは結構ハードで、積んだらすぐにでも出立したいところをAさんは最後まで待ってくれました。ありがとうございます。
 どうにか積み込み終えて、Aさんの容赦のない速度の運転に必死についていって、インター手前の温泉(スーパー銭湯みたいな)で汗を流して、ふたたび忙しなく出立。
 零時過ぎに山口県のSAに到着。で、就寝。

 木曜日。八時起床。朝一に神戸でおろすAさんは五時には出立しているので、ここからは一人に。
 僕が積んだ帰り荷は金曜日着の愛知行きなので余裕があるため、ゆっくり出立。滋賀県のSAで昼飯を食って、栗東インターで高速を降り、そこからは一般道で愛知まで。
 鹿児島まで行って調子に乗っていた僕だけれど、実際は四トンに乗るようになってまだ日が浅く、狭い一般道では緊張しきりの運転で、しかも初めての地域だったので、神経をすり減らしながらもどうにか目的地近辺のコンビニに到着。それにしてもこの仕事を始めてから、駐車場の広いコンビニが輝いて見えるね。用事がなくても駐まりたくなっちゃうもの。
 四泊目はさすがに心に響いた。身体も疲れているけど、精神的に参ってくる。昨日まではAさんがいたけれど、唐突の完全なる孤独は、疲労を倍加させる。長旅だからと持ってきた小説も読む気がしないし、加筆できるかもしれないと持ってきた原稿なんて存在すら忘れていた。自ら選んだ孤独と、与えられた孤独はまったく異なるものだと実感。旅の疲労のせいか午後十時前に就寝。

 金曜日。七時起床。たくさん眠ったはずなのに寝起きが悪い。睡眠は時間ではなく質が重要だと実感。今日中に茅ヶ崎に帰って積込があるので、急いで愛知県内の二件の荷下ろしをして、早々に高速で帰途へ。途中、足柄SAで遅い昼食を取ってから茅ヶ崎へ。
 午後三時に積込に入るが、立て込んでいてけっきょく終わったのは午後六時。急いで帰宅。

 当たり前の展開だけれど、我が家って、最高。
 家人も子どもたちも、一目惚れをした瞬間のように輝いて見える。頬が緩んだその笑顔が、なによりも眩しく感じられる。
 ただ、僕は長旅を終えて感傷的になっているけれど、家で待っている家族としてはとくに感慨があるわけでもなく、普段と変わりない感じでしたけどね。

 旅先から何度か家人に電話をしたのだけれど、育児に追われて忙しい様子でほとんど話せず。帰るまで気になっていたのだけれど、やっぱり家を守るのも大変だよね。
 上の二人の子だけだったらなんとかなるだろうけど、生まれたてのベイベーはどうしても生後一年は大変だし、未だ夢を追う旦那は子ども三人を裕福に養うほどの経済力を持っていないし、家人が追う負荷は途轍もないものだろうと思います。
 僕は好きこのんで子どもをたくさんこさえて、その上で小説を書いて、南へ旅したりしているけれど、その港となる家庭を守る家人は本当に大変だと思うよ。
 ひさしぶりの我が家は、本当に暖かくて、幸せを感じました。
 嗚呼、本当に、幸せっていうのは、このヌクモリのことなんだなあ…と。だからこそ、もっと幸せになるために、南へ行くのもいいけれど、僕は良いものを書かなくては…。

 

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2008/09/23

秋の夜長に小説談義…。

Img_7850 夜は虫が姦しいですね。気づけば秋です。季節の移ろいはいつもこんな感じです。
 仕事が終わってから寝るまでの数時間と休日は、書斎に籠もってしこしこ小説を書いています。もっと早くから本気で書き始めればよかったと思う反面、今だからこそこういう物が書けるのだと頷いてもいます。
 ああ、それにしてもブログだと推敲を考えずにてきとーに書けて愉しーなー。駄文ごめんなさいね。吐露ですよ。抽象ですよ。

 それにしても、あらためてITはすごいね。今更だけど、この時代、ある程度の小説だったら誰にでもでっちあげてしまえるんじゃないかというほどの情報量だ。僕はMacに広辞苑を入れているのだけれど、これはATOKの入力時に勝手に表示してくれるので、わざわざ語句を調べる必要がない。コマンド入力で、類義語一覧も瞬時に表示してくれる。使いこなす要領は必要だけど、今や語彙の量なんてITで補えるのだよ。わからないことはウィキペディア。知らない場所はGoogle map。黒いところは2チャンネル。僕もその恩恵をいただいているとはいえ、恐ろしや恐ろしや。
 そして、きちんと詳細なプロットをたてて、文学賞の傾向を調べて、オナニーでない「他者に読んでいただく文章」を書くようになって、小説を書く難しさと自分の力量をまざまざと見せつけられている。
 仕事の合間を縫って、僕はだいたい一ヶ月に百枚くらい書くのだけれど、推敲を重ねると、けっきょく半分の量になってしまう。そうやって削って削って、ようやく人並みの文章になる。無意識のうちに、一人称の私小説じみた純文学(のようなもの)ばかり書いてきた僕にとって、具体的でテンポのいいエンタメを書くのはなかなかヘヴィなのだ。まあ、それでもさすがに時間をかけて完成させた原稿は、費やした努力を別にしても、なかなか納得のいく出来になる。
 だけど、時間がない。来春の新人賞締め切り期日から逆算して、今のペースだととても間に合わない。四百枚で完結するプロットを立てていても、そこまでいかない。また、今の流れで書き進めていくと、物語の核となる部分に達するまでに三百枚は使ってしまう。枚数が足りない。ここへきて人称をどうするか悩みはじめている。鍵となる人物が必要なく思えてきて、登場させないことにしようかと思うのだけれど、そうすると初めから設定を変えなくてはならなくなる。何ヶ月か前の推敲前の原稿を読んだら、こっちの雑多な文章のほうが今の活字離れの激しい時世には受け入れられるんじゃないかとか、既存の作家の影響を受けすぎているんじゃないかとか、科白が少ないんじゃないかとか、そもそも僕に小説なんて書けるのだろうかとか、いろんな不安が湧いて出てくることもある。
 そういうときは、下へ降りて行って、しばらく子どもと遊んで、家人の手伝いをしたりして、気を取り直してからふたたびMacに向かう。そしてとにかく書く。書く。書く。
 執筆の大半を占めるのは、削る作業だね。これまでに読んだ書物からの知識、友人知人に取材して得た情報、日常生活の中で得たインスピレーション、同じ流れを感じる表現者からパクった方法論とネタ、実際に体験した経験。そういった膨大な量の蓄えのうちのほんのちょびっとの部分が、自分の作品の実となる。そしてまた、そこからも無駄な物をそぎ落としていく。
 僕らが読んでいる世の中の小説はどれも、とてつもないエネルギーの中で産み出されているのだ。
 執筆の参考に、現代の流行作家の作品を読み返すことがあるのだけれど、享楽としてではなく、同じ表現者としての立場で読むと、その完成度に身体が震えてしまう。僕がせせら笑って批評していた作家が、これほどまでに素晴らしい小説を書いていたのかと、馬鹿者はようやく気づくのである。
 と同時に、希望と勇気もいただく。とくにデビュー作においては、当然だけれど、どの作家も拙い文章を書いている。完成度ではないのだ。もちろん水準以上の文章力と構成力は必要だけれど、核はそこじゃない。作者が本当に表したい物があるかどうかと、それに対する熱情だ。知識や文章力、経験においては僕以上の人間はそこらへんに掃いて捨てるほどいるだろうけども、けっきょくは「書き上げられるかどうか」にかかっている。
 まあでも、そういう話とは別に抽んでている人もいるけどね。公募ガイドに載っているちんけな地方の文学賞の受賞作品とかで、十代の女の子が、笑っちゃうくらい優れた文章を書いたりしている。
 ともあれ…、今はただ書くのみ。
 ただ、気持ちのいい秋晴れの休日に、庭で遊ぶ子どもたちの声を聞かないようにして書斎に籠もるのはなかなかしんどいねえ。育児と家事に追われて憔悴した家人を見るのも切ない。
 根気よく僕の取材に応じてくれた皆様、ありがとうございます。せっかくいただいた情報が作品上で具体的に描かれていない場合があるかもしれませんが、目に見えないところで実になっていることをご了承くだされ。知って学んで、あえて書かない、というのも大切なのです。取材に関しては今後ともよろしくどうぞ。
 プロでない人間がこういう文章を書くのは恥ずかしいなあと思いつつ、誰かとこういう談義をしたいなあと願いつつ、そろそろ4tトラックデビューだなあと緊張しつつ、毎日元気でうるさい三人の子どもの成長を喜びつつ、今宵も、おやすみなさい。窓を開けよう。ciao!
 

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2008/09/05

mozaiq…。

Ryuwallpaper1600
 わかるかな?見てのとおり、モザイクです。わかりにくい人は、モニタから離れて眼を細めてみて。まだちょっと太っている頃のおいらの書斎でのポートレイトです。with PhotoBooth.
 今はこんな画像が、サイトで簡単に作れてしまうんだね。
 PCが進化したこの時代にAndy Warholとかが生きていたら、どんなことをやったんだろうね。PCは使わないかもね、逆に。
 このサイト→mozaiq http://mozaiq.org/で、好きな画像を選択して、goをクリックするだけ。512KB以下に縮小してからね。

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2008/08/02

夏の夜に取り急いで最近のことを…。

Img_7514 愉しい週末二連休。昨日は平塚、今日は茅ヶ崎で花火大会がありました。
 うまい具合に両方の花火大会を二階の窓から見ることができるので、昨日は西、今日は東を向いて、優雅にビールを飲みながら家族五人で眺めました。
 週末以外は酒を飲まなくなったせいもあってか、夕方の風に吹かれながら飲むビールは格別です。もちろん花火のおかげもあるだろうけど。我が家は風の抜けがいいので(台風の時期は大変)エアコンは必要ないくらい。
 
Img_7515
 ともあれ。相変わらず新しいMacの設定に追われています。ぶっちゃけ執筆も滞っていますがまあしょうがないでしょ、しばらくは。それにしても新しいiMacは眩しすぎだよ。Shadesで輝度を50%くらいに抑えてちょうどいいくらい。それとやっぱり慣れてくると映りこみが気になるなあ。特に書類なんかの平坦な表示の際は…。ガラス取っちゃおうか。
 HDDがいかれてご臨終だと思っていた旧iBookだけど、どうにか動くようなのでデータを移行してからOSを再インストールしてまた使ってます。一階リビング、庭でのネットサーフィン、iTunes、外出先での執筆をメインに考えて、要らないアプリは捨てちゃって、シェイプアップされてサクサク動いていい感じ。
そういやおいらも順調にシェイプアップされて減量を始めてから7kg痩せましたよ。目標はあと6kg。
 さっきATOK2008formac(広辞苑)も購入し、なくしたと思っていたATOK15(iBookの)のロムも見つかり、そろそろ環境設定も終わりそう。メモリを増設するつもりだったけど、なんだか今のところ(動画も使わないし)大丈夫そう。
 それにしてもおいらの場合は、今回のiMacとLeopardで、ようやくiTunesやiPhotoが実用レベルになった感があるよ。音楽を聴きながらの作業や、一眼レフの写真を扱うにはiBookは非力すぎた。今になってあらためてMacの一つ一つのアプリを堪能してます。PhotoBoothが意外と使えるんだな。映画"Smoke"でブルックリンのタバコ屋の親父がやってたような写真が撮れる(説明は面倒だからしない)。あとYouTubeね。今まではストリーミング再生がクソすぎて観なかったんだけど、iMacにしてからおかげで寝不足だ。ちなみに全盛期のマイク・タイソンをひさしぶりに見たけど、あのスピードは怪物だね。間違いなくあの時点では世界最強だった。ヒョードルでも捕まえられん。

 ともあれ。明日は朝から子供たちと海へ行ってきます。長男は新しく買ってもらったイルカ(の浮き袋)を抱いて布団に入りました。みんな毎日笑って泣いてすくすく大きくなっています。パパもがんばらねば。
 早く寝ればいいのになぜかとりいそぎ近況報告。八月も始まったばかり。まだまだ夏だ。
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2008/07/21

PhotoAlbums…。

 ブログにフォトアルバムのっけてみました。サイドバーの「マイフォト」から見てください。
 いちおーパスワード保護してあるので、見たい人はメールください。ciao!
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夏の午後がゆっくり過ぎていきます。こんにちは。

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 久々の更新です。便りがないのはいい便りと申しまして、なかなかに充実した日常を送っていました。こんなブログでも待ってくださっている方がたくさんいらっしゃるようで、嬉しいかぎりです。近況報告と参ります。
 前回も書いたとおり、五月に三人目のベイベーが産まれたことで忙しない日常を送っていましたが、何はさておき、とにかく今は執筆が絶好調です。書くのが愉しくてしょうがないという感じ。まあこうなったのには、年齢なりの経験や仕事の流れなど、いろいろな要素があるわけだけど、ようやくこの歳になって書く上ですごく大切な何かをつかんだ感じです(それが何であるかは恥ずかしいので書きません)。およそ十年ほど前から小説家を志して足掻いてきた僕ですが、ホントこの十年間僕はいったい何をやってきたのだろうという感じ…。何も見えていなかったし、何もわかっていなかった。改めてそう確信するくらいに、今は快調に筆が進んでいます。
 だけど言うまでもなくこの十年間は決して無駄だったわけではありません。僕のような才能のない人間が小説という手段で自分を表すことができるようになるには、これくらいの準備期間が必要だったんじゃないでしょうか。
 ともあれ、長距離仕事の際には運転しながら構成を煮詰めたりキャラを練り直したりして、家に帰ってそれらを具体的な物語に溶け込ませ、どうしても執筆一辺倒になってしまいブログにまで手がまわりませんでした。

 久しぶりに継続的に執筆をするようになって、集中力を持続させるための体力があまりにもないことを痛感して、本格的な減量を始めました。
 ダイエットというのは、人それぞれ自分の生活様式にあった方法を選択しないと続かないものだけど、僕は最もシンプルで効果的だと思われる「適度な運動と食事節制」をすることにしました。
 まず、自分のBMIやら適正体重、一日の平均的な運動量などを算出して、目標体重に向けて一日に摂取するべきカロリーを割り出します。
 それに基づいただいたいの僕の一日の食事メニューは、朝はトースト一枚とコーヒー。昼は愛妻弁当(子供の小ぶりなスヌーピーの弁当箱で)、夜は多種多様に何でも食べるけど白米は食べない。蕎麦、パスタ、ヤキソバなど麺類は好きなので食べる。生野菜をボウルに一杯くらい食べる(これをやるとドレッシングに凝るようになる)。おかずは基本的に魚と野菜が中心で、必然的に和食が多くなる。肉もたまに、それなりに食べる。大切なのは腹八分目。だけど好物は、動けなくなるくらいまでちゃんと食べる。これも大切。
 ゆっくり時間をかけて控えめな味付けの手の込んだ食事に集中するようになると、酒を飲まなくなる。どうして僕はこんなにおいしい料理といっしょにビールなんていう苦いもんを飲んでいたのだろう、と。しかも炭酸!
 だから最近は酒もほとんど飲みません。友人が来たときとか、週末の夕方くらい。誰かも言っていたけど「酔っぱらってすごすには、人生はあまりにも貴重すぎる」
 運動は特別なことはやっていないが、自力通勤をするようにしている。雨が降ろうが槍が降ろうが徒歩かチャリ。車やバイクは絶対に使わない。あとは時間があるときに海辺を散歩しながら小説の構想を練るくらい。
 これだけで効果テキメン僕イケメン…、一ヶ月で四キロ痩せ、その後も順調に減っています。次にあなたに会うときには、エスパー伊藤くらいまで痩せてテニスラケットをくぐるかもしれません。
 僕のこのダイエットを行うのに特別なものは何もいりませんが、料理がうまくて夫を立てる献身的な家人が一人必要になります。メタボを気にされている方は、まず素敵な嫁を見つけましょう。あるいは身を焦がす恋をすれば、痩せるかもしれませんが。

 人生何か一つが好転すると連鎖するようで、最近は体調はいいし執筆ははかどる。飯はうまいし家族は笑う。季節は夏。波はなくとも海に出て、ジリジリとお日様に灼かれていると、パパママ僕を産んでくれてありがとうなんていう殊勝な気持ちになります。

 しかし人生そういいことばかりではありません。トラブルもまた連鎖します。そんなときはアントニオ猪木が言うように、塊になった厄介ごとを一つ一つ解きほぐして冷静に対処していけばいいのです。大切なのはトラブルが重なったときにへこたれない強い心とくじけそうなときに寄りかかることのできる家族や友人を持っておくことです。
 過日。まず車がぶっ壊れました。知り合いの車屋さんに格安で修理してもらい、とりあえず走るようにはなったのですが、あちこちガタがきているので来年の車検前に新車を購入することにしました。
 つづいて、家人が首を寝違えてダウン。寝違えというのは、僕が思っていたよりもずっとヘヴィで、家人は起き上がることもままならず三日間ほとんど動けない状態でした。かつてジャイアンツ時代の清原が寝違えて試合を欠場したことがあり、「根性ねえなあ」と嗤っていた僕だけれど、実際はそーとー痛いらしいね。
 寝違えの主な原因はもちろん寝るときの姿勢なんだけど、他に起きているときに長時間同じ体勢をとりつづけていたりだとか、ストレスによって寝ているときも筋肉が緊張しつづけていたりすることなどが要因となるらしい。
 たしかに昼夜問わず産まれたばかりのベイベーを含む三人の子供と僕の世話をする家人にはそーとーの負担がかかっているのだろうな。「ひたすら寡黙にがんばりすぎちゃう症候群」の家人をセーブし、休ませてあげることも僕のつとめであると反省。
Storage_bigimac20080429
 時を同じくして、今度はMacがぶっ壊れた。休日に調子良く執筆をしていると、いきなりHDDがグワングワンと唸りだし、ついにはフリーズ。考えてみたら、およそ十年間も僕の手荒な扱いに耐えてきたiBook。大往生といっていいでしょう。今まで本当にありがとう。よくがんばりました。
 それでも、HDDを交換しようか、あるいはヤフオクで二万円〜五万円くらいで取り引きされているPowerBookG4(これの12inchが歴代PowerBookのなかでいちばんcoolなんじゃないだろうか)でも買おうかと思ったが、メインマシンが中古というのも心許ないので、最新のinteliMac(20inch最下位モデル)を購入した。
 いやあ、さすがに十年前のマシンから最新機種に乗り換えるのは興奮するね。スペックだけとってみても、iBookの700MHz/20GB/384MBからiMacは2.4GHz/250GB/1G(4Gに増設予定)だもの。OSもPantherからTigerをすっ飛ばしてLeopardへ。前のPower Mac5500/225からiBookへの移行のときにもそーとー興奮したけれど、今回はそれ以上だな。
 今はLeopardを堪能しながらデータ移行をしたり設定に追われているところです。
 しかし20inchってのはデカイな。ぼくはグレア液晶は嫌いじゃないけど、ネットでみんなが言うようにたしかに液晶が明るすぎる。Shadesという輝度調整のフリーウェアを使わないと目が痛くなっちゃうね。外出用にノートも欲しいね。

 なかなかヘヴィな日々もあったけれど、結果を見ればきちんと前を向いていていいflowがきているようです。また。ciao!

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2008/05/18

日溜まりに身をひたして…。

Img_7117 五月十五日午後四時三十六分、三千二百七十八キログラムの女の子を授かった。我が家に五人目の家族が産まれた。

 ぼくは一週間の休暇をもらい、家人が入院しているあいだ家で子どもたちの面倒を見ることになった。
 慣れていないせいもあるだろうが、主婦業は想像以上にハードだった。休日に家の掃除を手伝って夕飯をこしらえるのとはわけが違う。きちんと時間とお金の計算をして、無駄が出ないように自分で物事を判断して決めていく。掃除と洗い物と洗濯は永遠に終わらない。生きるというのは、永遠の後かたづけだ。
 だけど自分以外の誰かのために継続的に心身を使うということには学ぶべきことがたくさんある。ぼくのような愚かな人間は、こういった日常の平凡な営為のなかに哲学を見つけていく。そして素敵なものが見えてくる。無駄なものが見えてくる。
 土日は長男が家にいるのでだいぶ楽になる。長男が長女の面倒を見てくれるので家事は効率よくはかどるし、人が多いと笑いも増える。
 今日は素晴らしき日曜日だった。
 八時半に起きて、ゆっくり時間をかけてトーストをかじりコーヒーを飲む。洗い物をして洗濯物を干して家人にメールを書く。お隣さん家族と庭で談笑し、子どもたちを遊ばせる。ぼくは潮風でサビだらけになった自転車をばらして砂ヤスリと薬剤でサビを取り除き、黒のスプレーを吹いてから元通りに組み直す。掌の脂と陽光で溶けたグリップを取り外して、新しいグリップを取り付ける。
 お昼になって、お隣の奥さんが焼きそばをこしらえてくれたので、みんなで庭でそれを食べる。ベーコンとニンニクとバターの旨味が絶妙なさっぱりとした醤油味の焼きそば。
 子どもたちは庭に敷いたゴザの上で遊ぶ。ぼくは自転車の整備をつづける。
Img_7118 午後三時。錆びついて動きが鈍くなったリクライニングアームチェアに油をくれて、寝っ転がる。缶ビールを開ける。日溜まりに身をひたして、小説を読む。子どもたちがひっきりなしに話しかけてきて、物語に集中できない。苦笑いして空を見あげる。カート・ヴォネガットの言葉を思い出す。「今こそが、幸福だ」

 報せを聞いたときには、さしたる興奮はなかった。三人目ということもあってか、安堵と歓びが静かに湧きあがっただけだ。
 病院に駆けつけて赤子を抱いたとき、ぼくは不思議なくらい冷静だったけれど、じんわりと涙が溢れてきた。産まれてきてくれて、ありがとう。
 家人と長男と長女がとなりで笑っている。君たちのために、ぼくは死にものぐるいで働くよ。そう思った。
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2008/05/05

こどもの日に…(休日の記録)。

Dsc00350
 昨日は朝七時に起きて釣りに行った。午後二時までにぼくが釣ったのは、キスが一匹と、シシャモみたいに小さなイシモチが一匹だけだった。ぼくのすぐ隣で糸を垂れていた先輩は十匹近い大きなイシモチを釣った。そのほとんどをぼくがもらった。家に帰ると長男の友達が遊びに来ていて、その子のお母さんもいたのでイシモチを半分くらいさしあげた。もちろんぼくが釣ったことにした。
 イシモチは煮付けかフライ、唐揚げにしてあんかけがいいという話だったけれど、庭で七輪を出して焼いてみた。うちの丸い七輪にはイシモチが大きすぎたのでBBQグリルで焼いた。先輩の言うとおり磯臭さと独特のクセがあって塩焼きはまあまあだった。家人が焼きおにぎりとキノコのホイル焼きと豚肉を用意してくれた。夜はまだ少し肌寒かったけれど、家族で外で食べるごはんは格別だった。いつものように子どもたちが喜んでくれた。
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 今日も七時に起きた。シャワーを浴びて、昨夜のBBQの後かたづけをして、洗濯機を回して、キッチンとリビングと階段に掃除機をかけて雑巾がけをした頃、家族が起きてきた。空は白い雲が淡く覆っていたけれど、気持ちのいい朝だった。早起きが愉しい季節になってきた。
 納豆とシジミの味噌汁と白飯を食べて、部屋の中に洗濯物を干してから家族で車で出かけた。
 今回はベビーベッドはいらないだろう、と夫婦で話していたのだけれど、直前になってやはり必要だということになり、いろいろ吟味してみようと港北のIKEAへ向かった。GWなのでそれなりに混雑していたけれど、ゆっくり買い物できないほどではなかった。
 けっきょく数種類あったベビーベッドはすべて売り切れにより納品待ちということで、他に工具セットと事務用のハサミとレードルのセットとキッチンタイマーを買った。以前にIKEAのカフェで食べたミートボールのレシピが載っている本があったので立ち読みした。ブラウンのソースの正体はクリームと牛肉のブイヨンと醤油だった。コケモモのジャムが添えられていた。ミートボールをきちんとこしらえれば美味しくなりそうだった。
 家に帰ってからベッドについてをお隣さんに相談すると、以前にアメリカ製のベビーベッドをもらったのだけれど使わないでしまってあるということでそれを借りてみることにした。スチールの枠に布地とネットが張られたタイプのアメリカらしい簡易的軽量のベッドで、使い勝手が良さそうだった。組立がやや複雑なのでサイトからマニュアルをダウンロードしてプリントアウトした。
 夕飯はIKEAの中華鍋でニラレバ炒めをこしらえた。家庭のコンロの火力では限界があり、しゃきしゃき野菜の完璧なニラレバ炒めとはならなかったけれど、手間を惜しまなければ向上の余地がありそうだった。肉の下味と火加減は悪くなかった。みんな美味しいと言って食べてくれた。
 大きく膨らんで張ったお腹をささえる家人が難儀そうだ。そろそろ産まれるんじゃないかと言っている。
 明日は晴れるらしい。子どもたちと海に行こうか。

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2008/05/03

春に…(休日の記録)。

 平日よりも一時間半遅く、午前八時半に起きた。ぼく以外の家族はそのすこし前に起きていて、ちょうど朝食を食べているところだった。ぼくもそこに加わった。昨日の残りの麻婆豆腐と納豆、ナメコの味噌汁に白飯、チェダーチーズのマカロニをすこし食べた。
 朝食の後かたづけをして、キッチンとリビングに掃除機をかけ、フローリングワイパーで磨いた。箒で階段の埃を階下に落として廊下にも掃除機をかけ、磨いた。二階の寝室で子どもたちを遊ばせて、家人と書斎で雑貨の整理をした。ゴミ袋に三つくらいのゴミが出て、午後二時をすぎてみんなで車で出かけた。
 近所でチキンフィレオサンドを食べてホームセンターへ行き、欧米式のホールセールで安い食料品を買いだめして家に帰った。
 夕方になり、すこしだけ寝室の整理をして、書斎の壁にボディ・ボードをくくりつけて、買ってきたイナダとアジを捌いて刺身にして、シラスと大根のサラダと茄子とピーマンの味噌炒めといっしょに食べた。美味しかった。
 二本目の缶ビールを開け、庭の縁台で煙草を吸う。何年か前に買ったビギナー用のサーフィン雑誌を眺める。Appleのサイトで次に購入するMacintoshを調べる。最近撮った写真を家族に見せる。もう一度庭に出て煙草を吸う。もう夜でもだいぶ暖かい。もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
 読みかけの小説を持って布団に入る。明日は朝から釣りに行く。
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2008/04/28

ありがとさんの心でもって…。

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 最近またちょいと太りました。仕事や家事に追われて充分に躯をいじめられていないというのもあるけれども、なにしろごはんが美味しくて、ついつい食べすぎてしまう…。今日は久しぶりにきちんと走れたし、暖かくなってきたのでこれからはガンガン躯を動かすつもりだけど…。ともあれ食べ物のお話…。

 身重の家人が仕事を辞めて家事に専念するようになってから、毎晩手の込んだ美味しい料理をこしらえてくれるので、おいらや子どもたちは犬のようにバクバク喰らってます。
 そして最近は、家人を手伝っておいらもちょくちょく夕飯をこしらえるのだけれど、あらためて料理が愉しい(過日IKEAでcoolな中華鍋を購入してまた愉しい)。
 仕事として料理に携わっていた頃は諸々の重圧もあり、どうしても愉しむという風には考えられなかったのだけれど、自分がこしらえたものを食べて人が喜んでくれるというのはとても幸せだなあと最近切に思います。
 基本的にシンプルな料理が好きです。手間をかけずにさっとこしらえることができるもの…。肉野菜炒めとかパスタとか…。ささっと手早くつくるのだけれど、ひとつひとつの工程には手を抜かない。これが料理を美味しくする最大の条件です。
 簡単な肉野菜炒めをこしらえるにしても、肉の火の通し方から野菜を入れる順番、その火加減、塩加減、切り方、というひとつひとつの些細な工程をきちんと(論理的に正確に)やるだけで、出来上がりには天と地ほどの差が出ます。和食を見ればわかることだけれど、シンプルな料理ほどそういう些細なことが大切になってくる。
 この前は金目鯛の切り身が安く手に入ったので、ポワレにして、バターとレモンの軽いソースで食べてみました。すごくシンプルな料理なんだけど、ポワレを完璧にして、ソースをさらっと仕上げられたので、とても美味しくできました。
 前にいたレストランでHシェフに教えていただいたことはたくさんあるけれど、技術よりもこういう手間というか心の込め方が、けっきょく最終的に美味しさに繋がるのだなあと最近あらためて気づきました。シェフ、いろいろと、本当にありがとうございました。

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 ところで最近美味しかったのは、近所の肉屋のメンチカツ。ネットで知った茅ヶ崎の旭屋という肉屋なんだけど、ここのメンチカツは、あの吉祥寺のサトウと同じメンチカツなんだ。ここのせがれがサトウで修行された方だそうで、実家に戻って黒毛和牛を使ったまったく同じメンチカツをつくっているんだって…。まあ簡単に言えば、日本で一番(ひいては世界で一番)美味しいメンチカツだということだよね。
 ぼくは個人的に、花村の「吉祥寺幸荘物語」という小説でこのサトウのメンチカツについての記述を読んで以来、いつか喰ってやろうと涎を垂らして生きてきたので、茅ヶ崎(しかもかなり近所)で同じ味を味わえると知ってかなり興奮しました。
 もちろん最高に美味かった。かぶりつくとジュわっと溢れ出る肉汁にざっくりとした歯ごたえのタマネギ、そしてなにより牛肉の甘さ…、なるほどごめんなさい、いや、ありがとう、ともあれ、参りました、という感じ…。あらためて書くまでもないけれど、揚げたてが至高です。
 ちなみに近所でもけっこう知らない人がいるのでいちおう書いておくと、鶴峯のFujiスーパーのお隣さんです。平日は午後二時には売り切れてしまいます。午前十時過ぎにいくと、その日一発目の揚げたてが食べられます。

 あと最近気に入っているのが、長距離(主に四日市)の帰りに、静岡の潮見坂の道の駅で食べる昼飯。ガラス棚にずらっと並んだお総菜から自分で選んで食べる昔ながらの大衆食堂のスタイルなんだけど、ここは魚が旨い。だいたいいつも四、五品ある魚から一品選び、他に小鉢を一品(おからか納豆が多い)、そしてアサリ汁にごはん。ここの真ん前で採れるアサリがこれでもかというくらいたくさん入った汁は言うまでもなく絶品で、満腹になった後は強い海風に吹かれながら外の足湯に浸かって光の海を眺める。
 ちなみにこの前食べたのは上の写真の大イワシの丸干し。脂たっぷりのイワシを頭から尻尾までバリバリ喰らって大満足。皿に脂が滲むくらい良質の身がついてて至福の味でしたよ。
 で、道の駅内の地野菜売場で安くて美味しい野菜類をたくさん買ってトラックで一眠りして帰途につく。おかげで最近は西方面の長距離が楽しみです。

 思い起こせば、街のお好み焼き屋、大衆居酒屋、焼鳥屋から始まって、カルミネ・コッツォリーノ氏の流れを汲むイタリアンで働いたり、フレンチの王道を全うするHシェフに師事したりと、それなりにいろいろと料理を学んできましたが、それらをふまえて最近実感するのは
「食べ物が美味しいって、素晴らしいことです」(C)村上春樹
という本当にシンプルなこと…。
 フレンチだろうがB級グルメだろうが、重きものを背負った生活の中に美味しいものがあり、それを幸せだと素直に感じられるということは、本当に素晴らしい。

 過日。テレビドラマ「おせん」を観た。漫画が原作と言うこともあり無理のある設定だったけれど、天才・蒼井優が素敵に女将を演じていた。料理人が忘れがちな想いを思い出させてくれる作品だった。何より大切なのは、食べた人が喜んでくれること…。
 蒼井優が番宣で「とにかく観た人が『美味しそう』と思ってくれれば嬉しいです」と言っていた。美味しそうだったねえ、たしかに。
 そのおせんさんがごはんを食べるときに言う言葉が素敵だったので、我が家の言葉にした。
「ありがとさんの心でもって、いただきます」

 毎日、心と身体に美味しい食べ物を存分に味わって笑えるように、ともあれ一生懸命がんばっていきまっしょい。ciao!
※旭屋のメンチカツの写真はネットで見つけて勝手に転載しました。ごめんなさい。

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2008/04/22

素釣人…(休日の記録)。

Dsc00335 このまえの日曜日、会社の先輩と釣りに行ってきた。
 最近の休日は家事や家の整理に明け暮れていたのだけれど、ついに念願の海釣りデビュー。ウェットスーツがなくて今のところ夏以外には波乗りできないおいらなので、以前から釣りをやりたかったのよねえ。
 心優しき先輩に、使わなくなった投げ竿とリールとラインと釣りバケツをいただいて、前日に一緒に釣具屋へ行ってしかけや餌など最低限のものを買って、日曜日の朝をむかえた。
 先輩は午前七時前にはパークのテトラのところに行っていると言っていたのだけれど、おいらはのんびり起きてしまい、サーフボードのチャリ棒に竿やバケツを装着して海に到着したのは午前九時前…。
 れいによって完全に素人なので(いつでも素人ってのは素敵だ。ワクワクする)、しかけやおもりの付け方から、リールの巻き方、餌の付け方、投げ方までみっちり教えてもらう。
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 鬼門だったのは餌…。ジャリメと呼ばれるミミズの赤ちゃんみたいな気色の悪い虫餌を針に刺して、針の湾曲に沿ってその体の中を貫通させて適当な長さで引きちぎるのだけれど、元気よくウネウネと動き暴れるのが気持ち悪くてなかなかうまくいかなかった。幼い頃から慣れている人は平気なんだろうけど、なかなかに抵抗があり、しばらく情けなくも腰が引けていました。
 どうにか独りで餌をつけて投げれるようになったものの、釣りというのはそう甘くはなくて、もちろん簡単には釣れません。正確には、最初の一投目にまさにビギナーズラックというのが訪れて可愛いキスを揚げたのだけれど、素人のあまり針から外す前に海にポチャンしてしまいました。先輩には「キャッチアンドリリースですよ!」と強がったのだけれど、けっきょく釣れたのはその一匹だけ…。あとはヒイラギという外道(みんな捨てちゃうけれど、じつは美味らしい)のちっこいのとメゴチの赤ちゃん、そして保安官のバッジ(ヒトデ)がいくつも増えていくだけ…。まあデビュー戦にふさわしい釣果だったんじゃないでしょうか。
 先輩は30cm近い見事なキスを釣ってましたねえ。刺身で喰ったらしいです。

 はじめてということで、まだまだ最高に愉しい!とまでは至っていませんが(波乗りも最初はつまらなかった)、なかなか健全で素敵な趣味になりそうです。ヒイラギとヒトデだけでも、家に持って帰ったら子どもたちは喜んでくれたし、そのうち子どもたちとも行けるだろうし、何より朝から気持ちのいい海で釣りをして昼飯を喰らってたまにビールを呑んで、それだけで気持ちがいい。
 波があれば波乗り…、なければ釣り…。GWも海浸りになりそうだな。
Dsc00340 いずれはhilotoが言うようにカヤックで烏帽子岩まで行って釣りをしたいね。
 次こそでかいキスを釣るぞ。そんでそのうちイシモチ。そしたら次は黒鯛だ!
 と、まだまだ現実を知らない素人は盛りあがるのでした。それにしても思ったより日焼けして顔が痛い。また来週。笑って笑って。ciao!


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2008/04/08

春がきた…。

20080408141812 さてさて、気がついてみれば、早いものでこのブログを書きはじめてから三年以上が経っている。
 この三年のあいだに、ぼくはいくつか職を替え、二人目の子どもを授かり、汀に移り住んで、自動車とサーフボードと一眼レフを買った。
 またこの三年のあいだに、ぼくは壊れていたsonyの黄色いCDラジカセを修理して、いくらかの本を読み、いくらかの映画を観た。何人かの友人の結婚式に出席し、何人かの離婚の話を聞いた。
 またこの三年のあいだに、家人は自動車免許を取得してぼくより湘南の道に詳しくなり、長男は茅ヶ崎の小学校に入学して今年で三年生になり、三歳になった長女は「犬のおまわりさん」を最後まで歌えるようになった。
 そしてまたこの三年のあいだに、何人かの人がぼくの人生に足を踏み入れ、立ち止まり、あるいはそのまま歩み去っていった。
 ぼくは、古くなったお気に入りのバスケットシューズを捨てて、新しいピカピカのVANZのスニーカーを買った。人生とはそういうものだ。

 たかだか三年とちょっとだけど、なかなかに変化のある歳月だった気がする。そうでもない気もする。ロケットのような加速力で変化して成長する知人や他人を引き合いに考えると、ぼくはまったく動いていないような気持ちにもなる。わからない。
 ひょんなきっかけで書きはじめたこのブログだけれど、季節の変わり目にこうして自分の来し方をあらためて眺めることができるのはなかなか役立つし、そしてまた、いつのまにかぼくにとって大きな意義のある習慣になっているようだ。それは「人生の息つぎ」のようなものかもしれない。水面下で溺れないようにあくせくもがいて足掻いて息苦しくなったときに、ここで不特定多数の誰かと誰かと誰かに何かを語ることで、どうにか息を繋いで、また日常の深い水に潜ってきたのかもしれない。
 だけどそろそろ、こんなところで息つぎをしていてはいけないような気もする。遠くの目的のために、もっと深いところに潜らなければならないような気もする。あるいはまだまだそんな時期ではないのかもしれない。わからない。

 今日も三重から、愛知、静岡を経て、神奈川へ帰ってきた。長距離仕事の旅情は、あいかわらずぼくを感傷的にする。独りでどこか遠くへ行き、静かでやさしい孤独を味わった後はいつも、出立したときと違う自分になっている。とくに意味があるわけではないのだけれど、今までに出会ったすべての人に、ありがとうと言いたい。そして、ともあれ、今年もまた、茅ヶ崎に春が来た…。

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2008/04/04

雲助日記…(其の一)。

20080404174336 主に自動車の運転を生業にしている人を、「雲助(くもすけ)」と呼ぶことがあるようです。
 うちの会社の先輩たちも「雲助なんざあ、ろくなもんじゃねえ」と自分たちを嗤ったりしてます。なかなか時代がかった呼称で素敵じゃないですか、雲助…。だけど知っている人は知っていると思うけど、かなり蔑んだ軽蔑語なので、タクシーやトラックの運転手に言ったら殴られます。ならず者といった意味もあるようです。言葉の由来は江戸時代の駕籠かきからきているようだけど、説はいろいろあるようなので、ヒマな人は自分で調べてください。
 ということで、今週の雲助日記…。

 水曜日…。朝から仕事がないのでのんびり事務所でテレビを眺めていたら、いきなり昼前になって今すぐ京都へ行ってくれとのこと。長距離の準備もできぬまま(いつもなら一時帰宅して風呂に入って着替えて弁当をこしらえてもらってコーヒーと麦茶を水筒に入れてもらって荷物を揃えて出かけるのだけれど)そのまま出立…。なんだかんだで京都府亀岡市に到着したのは午後八時。すこしは京の風情を味わえるかと思ったけれど、夜なので景色もよくわからず…。日本一交通マナーが悪いと言われる京都市内の雑踏をどうにかくぐり抜けて、すぐさまとんぼ返り…。
 翌日も朝から仕事が入っていたのだけれど、諸々の社内事情もあり愛知県の岡崎市まで一般道をトコトコ走る(約四時間)。午前零時過ぎに岡崎ICから東名高速に乗っかってひたすら走るも、午前二時に目と足と腰の限界が訪れて静岡の牧ノ原SAにて遅めの夕食&仮眠。

 木曜日…。SAで約三時間眠って早朝六時起床。出立。午前九時、そのまま会社へ。寝ぼけ眼をこすりつつ次の仕事の指令を聞く。前日のような案件の仕事では往復とも高速が通常のところ一般道をかなり走ったおいらなのだけれど、社長からはとくにねぎらいの言葉もない。そりゃそうだ。これぞ雲助稼業…。新人のおいらはできることをやるだけ…。それでも先輩の「岡崎まで下で行ったのか、すげえじゃねえか」という言葉に、すこし疲労も和らぐ…。
 すぐさま積み込みをして千葉県は佐倉市へ。クソ眠いけれど、晴れ渡った首都高湾岸線を走るのは気持ちがいい。荷下ろし先も前に訪れたことのあるところだったので気楽に…。
 午後六時。疲労の限界のはずだが、アドレナリンがドクドク出ているのかなかなか元気…。チャリで急いで帰宅。宵越しの汚れと煙草の匂いをシャワーで洗い流し、あたたかい家族とのあたたかい夕餉…。野菜たっぷりのトマトソースのペンネを貪り食う。美味すぎる。幸せって相対的なものだ…。抑圧からの解放…。闇から覗く光…。狭いトラックから暖かい布団へ…。午後九時すぎにみんなで就寝…。

 金曜日…つまり今日。朝から仕事。江東区は深川の物流倉庫へ…。往路は全線高速。時間に余裕があったので首都高平和島PAでしばし休憩…。午前中に余裕があるってすごく素敵なことだ。朝の都会の排気ガスを胸いっぱいに吸いこんで伸びをして、澄んだ世界を見渡す…。
 午後二時。納品完了。高速で帰ってもよかったのだけれど、なかなかにいい陽気なので都内を走る。隅田川沿いの桜をゆっくり眺め、銀座中央通りを通過…。隅田川はやはり侮れないね。都会の緑ってのはまた違う。下町の喧噪がなかなか感傷的だ。地方の山奥を訪れたときと同じような望郷の気持ちを抱く。
 あらためておいらは、いろんなところに住んできてよかったなあと思う。子どもたちに経験させたいことはいろいろあるけれど、とにかく様相の異なるいろんな街を見せてあげたいと思う。様々な環境で、いろんな人が、いろんなものを背負って、いろんなことに笑ったり泣いたりしている。
 世界は、一様ではない…。
 おいらにとって、あの大月の山と河、青山の街とビルという対比は、経験として本当に大きかったもの…。あるいはロンドンとボーンマス。日本とジャマイカ。そして今、茅ヶ崎と銀座…。ともあれ。
 車窓から銀座の街をキョロキョロ見渡す。そして人の群れ…。メイクも着こなしもきっちりした人たちが眩しくうつる。
 明らかにギョーカイ人風の青年二人が、これまたギョーカイ風(見た目から推察するに写真、美術系)と軽く挨拶を交わして路駐した車に乗り込む。センスのいい濃紺のデニムを腰で履いた青年がホイールキャップを外した黒の薄汚れたBMWに乗り込む…。汚いのに小綺麗…。気取っていないのにcoolな完璧なスタイル…。だけどこれを茅ヶ崎でやったらなあ…、また違うんだよね。スタイルは在り方で、在り方の基には生きる街がある。
 茅ヶ崎の海で見かける軽やかな着こなしの人もまたよし。銀座の街で気張った自尊心もまたよし。人間はいろんなところでいろんな顔で生きているのだなあ。
 銀座ならではの品のいい老舗の帽子屋や山野楽器を覗きこんで、のんびり第一京浜を走る。
 何事もなく夕方帰社。そして帰宅。そして週末です。
 あるがままの世界をただ見る、って、愉しいよね。ワクワクする。
 そろそろ仕事にも慣れてきたので、トラックに一眼レフを常備しようかね…。
 よい週末を…。ciao!

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2008/03/29

桜、いざ舞い上がれ…(週末の戯言)。

Img_6926 週末の戯言…。

 過日。高校の友人の結婚式二次会に行ってきた。れいによって同窓会の趣で、たくさんの友人たちとわずかな時間ながらいろいろと話ができてとても愉しかった。
 さすがに三十を過ぎるとみんないろんなものを背負っていて、高校時代のような脳天気な健やかさや軽やかさといったものは当然ながら失われていたけれど、それぞれがいろんな形で成熟を見せていてとても刺激になった。みんないろんな種類の仕事をしながら、いろんな形の悩みを抱えて、いろんな顔をしていたけれど、ともあれこんな夜に笑っていられれば明日は明るい…、と、懐かしい面々との愉しい時間をすごしました。
 それにしても、あいかわらず久しぶりに訪れるTOKYOという街はストレスフルだ。Shinpeiが言うように、茅ヶ崎から電車で運ばれていると都心に近づくにつれて脳にかかる負荷が大きくなっていくのを実感する。六本木駅を降りてミッドタウンとやらの前に立ったときには、腹の底から重い溜息が出て、宴が始まる前から疲れを感じていたおのぼりさんのおいら…。そして翌日の昼すぎに晴れわたった茅ヶ崎駅南口に降り立ったときには、この上ない安堵をもらったよ。

 今日はひさしぶりの二連休。朝はのんびりして、昼前から家の掃除。トイレからリビング、寝室、書斎まで、FMヨコハマを流し聞きながら気合いを入れて磨きあげる。本当は毎週の土曜日にこうやって家事を手伝ってあげたいのだけれど、まだまだ余裕のないおいら…。家人よ、許せ。いい天気だった。
 ラジオといえば、長距離便の帰り、午前中に愛知県近辺を通過するときによく聞く地元FMのジェームスとかいうDJのキャラがなかなかにおもしろくて、さっきネットで調べてみたらけっこうな有名人みたいだね。Fヨコにもああいう軽くて勢いのあるくだらない(そこが最高におもしろい)DJがほしいね。この時代、radio starというのはなかなかcoolだ。

 それにしても体力の低下を実感する昨今。金曜日は三重県は四日市市から高速道路を使わずにベタで帰ってきたので多少の疲労もあるのだろうけれど、それにしても休日の身体が重すぎる。
 まだまだ年齢は言い訳にならない歳だ。人生のすべてのスタートポイントには「体力」が必要だ。まずはともあれ体力づくり。外界に目を向けるのにも、独りよがりに思慮を深めるのにも、とにかく体力だ。
 たかだか家の掃除をしただけで午後は活力が失われ、昼寝をして近所に買い物に行って家で鍋をつついてビールを呑んで終了では、さすがに日常が寂しすぎる。充分に休息を取ることも無理をすることも人生には必要だけれど、一番いいのは、コンスタントに動き回れるフットワークを持つこと…。ね。特別なことは考えず、明日も地味に家の前の道を走り出すとしましょうか。

 いつの間にか桜が咲いていたんだね。三重からの帰り、日本にはこれほどまでにたくさんの桜の木があるのかと驚きました。同時に、世界にはこれほどまでにたくさんのトラックが走っていて、これほどまでに深い山間にも人間は居を構えていて、これほどまでに一般車というのはマナーが悪いのか…etc、と驚きづくしでしたが…。
 ともあれ岡崎城のまわりの桜は美しかったなあ…。

 セ・リーグ、開幕しましたねえ。今年はプロ野球を観たり聞いたりできそうなので、無理やりテンションあげようとジャイアンツの開幕戦もしっかりラジオで聞いたけど、つまらんね!まったく、つまらん!ジャイアンツのクリーンナップが小笠原、スンヨプ、ラミレスと、もうそれだけで日本のプロ野球がつまらないのがわかる。高校の先輩の小笠原ポンをはじめとして今の球界を代表する打者であるのはわかるけれど、大補強で顰蹙を買っているわりには小粒すぎるよ。誰が悪いわけでもないんだけど、なかなか昔のようには感情移入できません。中田よ、ジャイアンツに来い!
 
 と、今宵も徒然とどうでもいい身辺雑記を長引かせようと思いましたが、下のリビングでは家人と子どもたちがテレビ放映の「タイタニック」に涙腺を弛めていて、おいらもあの「ベッドに二人横たわって静かに死を待つ老夫婦」を思い出したので、このへんでやめます。死を想ったら、どうでもいいや、ちいせえことなんて…。
 タイタニックといえば、最期まで演奏を続けた楽団というのが有名だけど、事実はあやふやなようです。ただ、救命ボートで生き残ったある人の証言によれば、たしかに、沈みゆく船の甲板からストリングスの音色が微かに聞こえたということです。それが事実なのか、死の狭間にいた人の幻聴なのかはさだかじゃないけれど、おいらはとりあえず明日からも美しいものを見つけるようにして生きていきます。ね…。笑って笑って…。ciao!

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2008/03/11

忘れかけていた砂浜の感触を思い出しながら足首の鈍痛に苦笑いした夕方…。

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 今日はひさしぶりに激ヒマ…。決算期なので忙しいと思いきや、今月は仕事があまりない。
 ってことで、しばし事務所で先輩方と雑談(猥談)を交わしてから、トラックに引きこもって読書…。
 窓から侵入する風や車内を照らす陽の光はもはや春のもので、気持ちのいい時間だった。
 過日に買った花村の「沖縄を撃つ!」を読了。沖縄に対して少なからず幻想を抱いていたおいらも、撃たれた。眩しい太陽と美しい海が孕んだ沖縄の悲哀と憎しみは奥深く、安易に南国を夢見て移住を考えていたおいらもすこし反省した。今手元に本がないので詳述は避けるが、沖縄に幻想を抱くヤマトンチュのみならず、ウチナンチュにこそ読んで欲しい本である。著者自らが言うように、双方にとって手厳しい内容になっていて、いい気持ちはしないかもしれないけれど…。

 まだ明るい五時過ぎに帰宅。ほとんど働いていないので余力がある。ってことで、汀へ。走る。
 ラックの奥にしまい込んだランニングウェアを着込み、下駄箱の隅で埃をかぶったランニングシューズを履く。走る季節がやってきた…。静かな興奮…。MP3プレーヤーを起動させて流れてきたのはMichael Jacksonの"Wanna Be Startin' Somethin'"…。それは走り出すのにはまずうってつけの音楽だった。
 ふだんヘッドフォンで音楽を聴く習慣がないので、クリアに聞こえる音に感動しつつ、思ったより走れるな…、と汀へ。夕焼けに照らされて橙色に染まる海沿いのサイクリングロードをゆっくり踏みしめて走り、どうにかサザンビーチまで。着く頃にはすでに膝と足首に鈍痛が忍びよっている。
 帰りは音楽に身をまかせながら波打ち際を散歩…。っていうかこれ以上走ると膝がやばそう…。しばらくはリハビリだな。
 唐突にプレーヤーを止めると、潮騒が迫り来る。あらためて、強烈に、海の存在を実感した。汀に住んでいるとはいえ、ずいぶんと海に来ていなかったのだなあ…、と独り黄昏れる。なんとなく申し訳ないというか歯がゆい想いが這いのぼってきて、打ち寄せる波に手をかざすと、それほど冷たくもなく、かといって温かくもなく、つまりとくにこれといった感慨もなく、おいらの感傷的な気分も次第に醒めていった。
 
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 まだまだ走りはじめたばかりのおいらだけれど、だんだん愉しくなってきている。数年前までのおいらにとって「走る」ということは苦痛以外の何物でもなかったのに…。
 走ることの愉しさってのは、スキーやゴルフや波乗りと同様に「はまってみないとわからない」わけで、どうこう説明しても伝えられないんだけど、今のおいらにとって「走る」ことが素晴らしいのは、それがあらゆることのスタートになるということだ。
 起きたばかりの早朝でも、今日のように余力のある夕方でも、躯に鞭打って走ると、その後の時間がアクティブになる。
「走る」という行為は、普段日常ではない思考をもたらしてくれる。それはもちろん肉体の躍動とそれにともなう脳の活性化のおかげなんだろうけれど、おいらなりに言えば、ふだん「静」の思考をあてはめている日常の厄介事に対しても、「動」の思考を巡らすことができる。文字通り身体を動かすことによって「自分が動けば世界は変わる」ということを、実感として捉えられるのだ。わかりやすく言えば、単純に、勢いづく、ということなのだけれど…。
 疲労が極限に達すると、脳が楽を求めはじめる。自然と、愉しくて眩しい未来について考えはじめる。そういう長期的な理想の人生をぼけっと考えながら走っていると、だんだんゴールの我が家が近づいてくる。そして、我が家で今できる最良のことは何か…、と、具体的なことを考え出す。
 思慮深い人こそ、抽象的な観念に陥りがちな人ほど(おいらのことだな)、フィジカルを大事にすべきだと最近思う。で、一番手っ取り早いのは、とりあえず家の前の道を走り出す、ということじゃないだろうか。とりあえず、今できることをやってみる。
 もちろんこれも、他のすべての慣習と同様に「日常に堕落する」という危険性を孕んではいるけれど、それでも身体を動かして血流を活発にすることは、日々、自分が求めているモノに対して覚醒させてくれるはずだ。
 まだまだいろいろあるけれど、ともあれ、今年は走る。目標は来年の「湘南国際マラソン」だ。
※写真上は、今日走ったおいらの海。下は帰りのR134。

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2008/03/08

earth…。

Earth いい陽気でしたねえ。年に数回しか洗車をしないおいらだけれど、あまりに天気が良くて気持ちがいいのでお出かけ前にささっと洗車。窓が綺麗だとやっぱりすっきりするね。世界が輝く。
 長男と約束していた映画「earth」を観に横浜へ。残念ながら茅ヶ崎での上映は昨日で終わっていたので、都築のショッピングモール内のワーナーマイカルへわざわざ出向。行く途中で日産スタジアムの脇を通ったんだけど、そういや今日はJリーグ開幕戦で、しかもレッズ戦で、チケット取ればよかったあ!と窓から叫ぶおいら…。
 モールで昼飯を喰らってから(その前に新横浜のラーメン博物館を訪れたのだけれどあまりの混雑に回避)、長男と二人で映画館へ。家人と長女はモールをぶらぶら…。
 う〜ん、映画の感想と恋文は一晩あたためたほうがいいと言うけれど、今日も書いてしまおう。
 なかなか盛大な広告をし、温暖化が叫ばれるこの時代にタイムリーすぎる今作でしたが、またしても一言感想は「もったいない」です。ホント、もったいない映画が多すぎる。それだけ映画は難しいということだけれど…。
 長い歳月をかけて(五年だっけ?)あれだけの素材を撮り集めたにもかかわらず、ぼんやりとした印象しか残らないというのが正直なところだ。ドキュメンタリーなのに、心に刺さるものがない。
 たしかに映像には目を見張るものがあるよ。自然の壮大さをあれだけきちんと迫力をもってフィルムに残した功績は大きい。おいらも「つくりはともかく映画館の大画面で観てこその作品だ」ということでわざわざ劇場に足を運んだのだし、となりのおばさんは事ある毎に「すごいすごい」と驚嘆の声をあげていた(本作がドキュメンタリーでない普通の映画だったら上映中の私語には即刻厳重注意するところだが…)。
 けっきょく、幼い頃に観た「野生の王国」や暗い理科室で見せられたBBCの自然番組の延長線上のちょっと先をいっているだけで、わざわざ映画にして世界公開した意義が見受けられない仕上がりになってしまっている。
 まず、長編小説を映画化するのと同様の難しさがあって、どの部分にフォーカスするかというポイントが明確になっていない。あるいは、的を外している。地球の自然を二時間のドキュメンタリー映画にまとめることなど土台から無理な話で、それならば強烈で確固たるメッセージに基づいた編集をするべきなのだけれど、そこがうまくいっていない。
 おそらくこの映画の監督は長いあいだ自然保護に接してきていて、その上で「もう一度我らの地球を見なおしてほしい」くらいのテーマを掲げて編集をしたのだと勝手に推察するのだけれど、もう単純にインパクトに欠けるのだよ。
 前述したように確かにきらめくような映像が散りばめられているし、それらの断片のいくつかはおいらの記憶にもずっと残るであろうと思うけれど、逆に、その映像にあぐらをかいてしまったのではないか。
 実際に何ヶ月も北極やアマゾンや砂漠や大海原で厳しい環境に耐えて撮影をしつづけたスタッフにとってみれば、とてつもない苦労をしてこれだけの映像を撮ってきたのだからもう完成したようなものだという思いがあるのかもしれないが、昨今のとてつもないCG映像に慣れてしまったおいらたち観客にしてみれば、たとえそれがリアルな映像だと言われても、作り手が思うほどのインパクトはないのだ。
 表現すべてに言えることだが、作り手の労苦や努力、費やした時間や人間関係は、作品にはまったく関係ない。そう言いたくなってしまうくらい「もったいない」編集だった、すくなくともおいらには…。
 普段から自然環境に心を傾け、日曜日にはビーチクリーンが日課になっているナチュラルライフ(に似たようなもの)を志す人にとっては、良くできた美しい作品だと思う。だけどこうして本意気入れて世界に放つのであれば、ゴミを集めて不法投棄することで莫大な財源を稼ぐナポリのマフィアの面々を苦笑いさせるくらいの力がないと、どうしようもないんじゃないか、とおいらは思ってしまう。もともと自然の恩恵に感謝している人たちに認められてもしょうがない。日常でいっぱいいっぱいのおいらたちが、たとえわずかでも自然について考える時間を持てなければ、もう完全に、オナニーです。
 まあ作り手にはそれなりの意図があるのだろうし、おいらが勝手にうだうだ言っても世界に放った影響力はそれなりにあるのだろうけれど、やはりもったいない。
 …なんて書いても、観賞後のおいらはこの作品に対してそれほど嫌悪感を持っているわけじゃないし、いい映像を見させてもらったという感もあるのだけれど、最後に一つ。
 この映画(映画ではないか)に欠落しているのは、タイトルを「earth」と銘打っておきながら、その地球に良くも悪くももっとも影響力を持つ「人間」の存在だ。
 たしかに、一瞬一瞬を命がけで生きる野生生物や壮大な自然と、愚かな人間の対比という構図はあまりに陳腐だ。だけどその陳腐な構図が必要なほど、おいらたち人間は愚かなのだ。だからこうして異常気象がつづき、子が親を殺す。
 鑑賞前から、人間が出てこないであろうということは予測していたのだけれど、それならば、良くも悪くも現在の生態系の「主」である人間を省いたearthの姿で、もっと圧倒してほしかった。残ったのは観終わったあとの億劫な溜息。そこが、最大の欠落だ。
 観賞後に、生きているのも嫌になるくらいの後味の悪さを残してほしかった、と思うのはひねくれたおいらだけだろうか…。事前CMでは小綺麗で荘厳なる大自然のドキュメンタリーを大きく打ち出しておきながら、クライマックスは母親をなぶり殺す少年の姿で終わる…。
 そういう地球の裏側を映像で実感として捉えられないと、人の心なんて容易には変わらない。
「闇を知らぬ者に、光もまたない」

 詳細は失念したが(本作とは関係ない。どこかで読んだ)、日本のある離島で、絶滅寸前の野鳥を見守る現地の人が言っていた。
「自然保護を叫ぶ人たちが、毎日のように調査だと言って島にやってきて鳥の住処に踏み込んで、鳥たちはみんなストレスで死んじまう」
 誰だって、自分の家をいつも覗かれていたら嫌でしょう。一筋縄じゃいかないところに足を踏み込んだなら、徹底してほしいものだ。自然を愛するあなたは、まず不自然な自分を自覚しなくては…。

 …なんて、少々青臭く熱くなってしまったので方向修正。日常の話…。
 おいらが人生で最も至福を感じる時間は、映画館で本編が始まる前のコマーシャルを観ているわずかな時間だ。映画少年だった中学生時代、新宿歌舞伎町の映画館で、猫のマークのラブホテルのCMで幕を開ける、新作の宣伝映像を観るのが大好きだった。
 Dr.スランプのセンベエさんの声優が「全米ナンバーワンヒット」と重厚な声で言うのを聞く度に、またかよ、などと友達と悪態をつきながらも、その何ヶ月後かにスクリーンで会える未知なる新作に心を躍らせたものだ。今はネットでもトレイラーが観られるけれど、ああいうのって専用の監督がいるんだってね。場合によっては本編より魅力的に仕上がってるからね。おもしろい。

 ともあれ。いつものことだけれど、とりあえず「earth」薦めておきます。なんにせよ自分で触れなければね。それからですよ、なんにせよ。
 明日はそろそろ本格的に春の陽気になりそうなので、ひさしぶりに汀を走ろうと思います。ciao!

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2008/03/05

車の話…。

 徒然なるままに、どうでもいい最近のことを…。車の話…。

 五月にベイベーが産まれると家族が五人になるので、車を買い換えようということになり、昨今の車事情を雑誌やネットで調べたり、ディーラーで見積もりを出してもらったりしていたのだけれど…。
 結論から言うと、買うのやめました。
 一時は寝ても覚めても新車のことで頭がいっぱいで長距離トラックの中でもカタログを眺めてニヤついたりしていたのだけれど、その熱はいつのまにかすーっと消えていった。
 恥ずかしながら自己分析すれば、単純にストレスから来る物欲に支配されて、自分を見失っていたのだと思う←大袈裟。転職と環境の変化、そしてなかなか室外で思い切り遊べない冬という季節なんかのせいで、特別な刺激を求めていたのだろう。

 まずはじめに購入を考えたのは、HONDAのクロスロードというSUV。往年のJEEPチェロキーを彷彿とさせる(すくなくともおいらはね)カクカクのデザインはなかなか秀逸で、このクラスにしては価格設定がやや高めだが、意外とコンパクトだし、荷物もそれなりに積めるだろう…と。
 ところが毎朝毎晩カタログを眺めたりディーラーに通っているうちに、だんだん興味が薄れていった。気に入っていたデザインも、悪くはないけれど良くもねえな、という評価まで落ちた。
 次に考えたのが、やはりHONDAのモビリオ・スパイクというミニバン。これはモビリオという奇異な造形の七人乗りながら5ナンバーのミニバンから派生したモデルで、五人乗りで、カーゴの装備を充実させてアウトドアに威力を発揮する仕様になっている。家族を乗せて、荷物もたくさん積んで、アウトドアで手荒に扱えるというコンセプトはまさにおいらの求めるところだったのだけれど、いざ見積もりを出してもらおうとディーラーを訪れると、なんと今春にフルモデルチェンジするので現行モデルには生産調整がかかるとのこと…。
 ってことは、三月の決算前に安値で現行モデルを購入契約するか、雑誌のスクープによると昨今の醜悪なHONDAのデザインスタイルになりそうな新モデルを待つか、中古を買うか、ということになる。
 コンパクトで使い勝手がいいということで、家人も購入に賛同してくれていたのだけれど、モデルチェンジということでしばし熟考…。

 そんなこんなで悩んでいたある日、今乗っている十年前の三菱の軽の箱バンをあらためて眺めてみて、こっちのほうが断然カッチョブーだな…、と唐突に気がついたのだ。クロスロードやスパイク、そして他の選択肢の車に感じていた違和感が、やっとわかった。おいらは、ボロ車を欲していたのだ。
 と、こう書くとやや文意がずれそうだが、つまるところおいらにとって「自動車」というのは(今のところ)、我が家のチャリンコやDAXと同じく便利な乗り物の一つであって、越してくるときにおいらの考えた茅ヶ崎ライフ(生活様式)にぴたりとあてはまるCOOLな車は、今の軽箱バンだと再認識したのだ。
 ボロくて古いけど汀に近くて解放感のある我が家の駐車場に、ピカピカの新車は似合わない。貧乏くさくなる。古くて金のかかっていないボロ箱バンに、バランスを考えずに貼ったせいで統一感のないたくさんのステッカーが、とてもいい。所さんの真似をしてCHIGASAKI BASEのステンシルを入れて、リアウィンドウには油性マジックでpopな花のイラストを描こう…。
 貧乏くさい車って多いよね。身の程を知れってこと。要はバランス。すべてはバランス。
 貧乏と貧乏くさいってのは大きく違う。貧しいことは恥ずかしいことじゃないけど、ケリーバッグを抱えてコンビニに電気代を払いに行ったり、ビジネスクラスで居丈高に振る舞うあなたには貧困の匂いがする。

 昔から車は好きだったんだけれど、いざ自分が買う段になると具体的にいろいろ吟味するようになり、また職業柄毎日たくさんの車が走っているのを眺めるので、最近また興味が深い。
 それにしても我が国はいろんな車が走っているね。トラックで走りまわると大雑把な構図が見えてくる。
 湘南は地元ということでニッサン車がダントツに多い。VW率も高い。そしてもちろん埼玉近郊はホンダ。愛知はトヨタ。東京は他と比べて外国車が多い。でも全国的にはやっぱりトヨタ。おそるべしトヨタ。でもおいらにはいまだにジジ臭いイメージ。ニッサンはたまに秀逸なのが出るけど、いまだヤン車のイメージ強し。ホンダは最近、popさと個性を失っている。技術に負けるな、カリスマをつくれ。スバルはあいかわらず悪くない。マツダ?もはや外国車か。スズキは日本の宝です。世界的に見てもそうだけど、やはり国産車は右にならえでつまらなくなっている。需要だからまあしょうがない。
 そういえば、経済的スタイル的に余裕があったら、おいらは何に乗るんだろうな?やっぱりVWカラベル(日本ではヴァナゴンの呼称がメジャーだけれど響き的にこっちのが好き。明確な分別は別にあるんだけど)かなあ。どうせ余裕があるんなら、豪華な新しい車を買うより、古くてカッチョブーで厄介な車がいいな。フォードのブロンコとか…。
 にしてもHammerは品がないね。H2、H3とコンパクトになるにつれて下品になってる感がある。やっぱりあれはデカイからいいわけでね、しかもコンパクトにするくせにゴタゴタ余計な飾りが付いて、見るに耐えない。じつはアメ車ってそれなりに品があるんだよ、ガキなだけで…。HammerはH1だけでしょ。
 最近のJaguarも己の存在意義を忘れている。もはやAston MartinやFerrariと張りあう自尊心を失ってしまったね。下位モデルは寂しい限りだ。
 そう考えるとMercedes-Benzってブランドはやはり王様で、Aクラスでもやっぱりベンツはベンツって感じがきちんとある。まあこんなもんは個人的な話なんだけどさ…。
 仕事柄しょっちゅう高速道路を走るんだけど、右側車線をスパッと抜かれて何故か心地よいのはMercedesとPorcheだね。「速いね〜、とことん行きなさい」と鷹揚に眺めてしまう。イメージかもしれないけれど、下品なセルシオとかインプとかが阿呆な車線変更をしながら抜いていくと「お逝きなさい」と温厚なおいらにも死に神の陰が憑く。
 Ferrariは都心では見かけるけど、やっぱりあんまり見ないね。とやかくいう人がたくさんいるけど、Ferrariってのは六本木をノロノロ走る車なんですよ。日本のどの地域をどれだけのスピードで走っていたって所詮絵にはならない。Ferrariは自動車であって自動車でない、象徴として存在するものですから。Ferrariは北陸道を走っちゃダメです。
 そういやFiat500(チンクェチェント)の新しいのが出てたんだね。さすがイタリアというか、しっかり流れを汲んでいて悪くない。ビートルやミニの後継車に比べても、ずっといいとおいらは思う。セカンドカーが持てる身分になったら、自分用に買うね。でもFiatはPandaがいいね。古いのも今のも。あとPandaに限らないけど、イタ車はサンルーフが豪快に開くのがいいよ。天井に窓があるっていうより、天井がそのままなくなっちゃう感じ。
 JEEPもいい。くれるというのならPatriotが欲しい。Wranglerは昔のがいいね、やっぱり。

 でも今のところいちばんCoolなのはやっぱり我が家の軽箱バン。パワーウィンドウじゃないしインパネの時計の照明はつかないし右のリアドアは外から開かないしひどく揺れるし軽のくせに燃費も悪いけど、つぶれるまで乗るつもりです。とりあえずRicaさんに相談してステンシルプレート買ってチャイルドシートをもう一つ買わなくちゃ…。ともあれ。


 

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2008/02/24

畳の大広間に大の字になって、海辺を走る夢を見た…(休日の記録)。

 いい天気でしたねえ。風は冷たいけど昨日ほど強くはなかったし、陽があたっているところはぽかぽかで、のんびり素敵な休日でした。午前中はゆっくり家仕事。キッチンに取り付けてある木材の棚を三年ぶりに付け替えて、買い物がてらお出かけ…。昨日もそうだったけれど、家のことやって、家の買い物をしに家族で出かけて、みんなでドーナッツ食べて笑って帰ってくる。それだけのことなんだけど、すごくリフレッシュできる。素晴らしき日曜日。

 リフレッシュのコツは、日常から離れること。なんて、あらためて言うまでもない至極当然のことだけれど、休日に仕事をすっぽんぽんに忘れ去ること…。職人である親父やシェフなんかは「仕事から離れているときでも常に仕事のことを考えることが大事だ」と言っていて、それは理解できるけれど、正確には、仕事を忘れて触れる事象からひらめいたり得たりするものを、最終的に仕事に結びつけるということが大事なんじゃないかなと思う。ともあれ。

 最近は、ギターや本に触れる機会も増えて、なかなか充実している。これで陽気が暖かくなれば走れるし海にも入れるし、躯のほうも充実できるのだけれど…。
「走ることについて語るときにぼくの語ること」という村上春樹のエッセイをゆっくり読んでいる。春樹ファンは必読だよ、これは。
 「走ること」というテーマから、今まで彼があまり語らなかった彼自身のパーソナリティが読みとれて、とてもおもしろいエッセイになっている。おいらの場合「走ること」自体にも興味があるので、じつにおもしろい。だからゆっくりじっくり読んでいる。
 本当におもしろい書物を読むときって、もったいなくってなかなか読み進められない。滅多に出会えない素敵な人生のギフトを味わう時間は、長く長く引き延ばしたい。
 どうでもいいことなんだけど、このエッセイによると、春樹は三十三歳の時点では、まだ日常的に走ることもしてないし、小説家にもなっていない。まだ煙草も吸っていたはずだ。七月に三十三歳になるおいらは、この小説家の一つの理想である村上春樹という人が、今のぼくの年齢のときにはぼくとたいして違わない(具体的潜在的な部分はともかくとして)状態だったというのが、そこはかとない安堵をくれた。
 なんだ…、まだまだ焦る必要なんてないんだ。三十を越えてから「本当に書きたいものが書けるときってのは向こうから自然とやってくる」というスタンスでのんびりと構えていたんだけど、それは間違いじゃないんだ。成熟には個人差があるけれど、おいらはたしかに三十を越えてからいろんなものに答えを出せるようになったし、敬愛する現代作家たちもだいたい、このへんから書きはじめている。そして走りはじめている。ほんとうにどうでもいいことだけれど。ともあれ。

 エッセイといえば、カート・ヴォネガットの「国のない男」というエッセイをさがしている。なかなか近所の書店には置いてないんだよね、ヴォネガット自体…。これは某雑誌で爆笑問題の太田光が薦めているのを読んで興味を持った。なにしろ本の表紙のヴォネガットの写真がいい。引き延ばしてポスターにしたいくらいだ。いい顔(キャラ)してるよね、彼…。
 ちなみに今ヴォネガットの「スローターハウス5」という作品を読んでいるんだけど、ヒマな人はぜひ読んでみてください。SFよりということもあるけれど、おいらは学生時代に筒井康隆を初めて読んだときと同じくらいの衝撃を受けました。と同時に、外国作家の文体(翻訳調の文体)にもすんなり入っていけた。原文でも読んでみたくなったし…。ともあれ。

 ひさしぶりに花村萬月の公式サイトを覗いてみた。滅多に更新されないのだけれど、今日のトライは成功。小説ともエッセイとも違う言葉に触れられた。その中で印象に残った言葉。

「何をどれだけ知っているか、ではなく、何をどう考えるか。」

 おいらはもちろん彼がこの言葉を書く境地には達していないけれど、賛同する部分は多々ある。
 世の中に、無様な「知識の奴隷」がいかに多くいることか。あれこれ知っているということが、どれほど偉いことなんだ。
 恥をしのんで言ってしまえば、おいらだってそれなりにあれこれ知っている。だけど、そういう知識ってのは自分の人生の助けになるだけで、他人に誇れるものではない。あれこれ知っていたって、日常で笑っていることができなければ、何の意味もない。花村も言っているけれど、大切なのは、あらゆる方面での知識と知識が、自分でも予想しえない人生のある局面で結合し、新しいものを産み出すことだ。博識であるということは、ときに無様になる。
 あれこれ知っている人は、沈黙しなさい。黙って人の話を聞いて、思考の多様性を学びなさい。と、花村は言っている。なるほど。そうしようか。ともあれ。
 
 午後はまたみんなで風呂屋へ。藤沢の「いこいの湯」は混雑しすぎでダメだね。茅ヶ崎の風呂屋より割安なんだけど、あれだけ人がいたらゆっくりできない。サウナなんて口臭ガス室のようで、人の出入りも多いので温度が上がらないし…。
 まあでもともあれそれなりに湯を愉しんで、畳の大広間で生ビールを飲んで蕎麦をたぐって大の字になって気がついたらしばらく眠りこけていた。すこし時間の余裕があってので、二歳の長女とふたたび風呂へ。そして暖かいうちに帰宅…。書斎でマックに向かいながらビール。そして煙草。トラックに乗るようになって煙草の本数が格段に増えました。ともあれ。

 mayumiねえちゃんにKEN2にcosqueにその他皆様、ぜひ近いうちにお会いしましょうね。今のところまだまだ休日の家族とのリフレッシュも必要不可欠で、わりといっぱいいっぱいなんです。ともあれ。

 

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2008/02/16

少年よ、今すぐノートPCを閉じてエロ本を買いに走れ!…。

 世の中には、人づきあいが下手な人がいる。自分の気持ちを素直に他人に伝えられなくて、そのせいで誤解を招くことが多くて、卑屈になって自分の殻に閉じこもってしまう。他者の言葉に耳を傾けなくなって、己を変えようとしない。本当の友人ができない。ますます独りになる。
 逆に、同じように自分を表すのが苦手だと自覚しながらも、謙虚さを失わないおかげで、人柄の良さが滲み出て、多くの人に愛される人もいる。まあ、いろいろだ。
 のっけから抽象的に「人づきあいが下手な人」などと書いてしまったけれど、こういうコミュニケーション能力というのは、ほんとうに大切なことだなあ、と長距離トラックの中で考えてしまった今日なのだ。
 仕事中に考えたことをメモしておきたいという趣旨なので、鬱陶しいと感じる人は無視してください(笑)。

 ぼくが日常で「こまったなあ…」と感じる人っていうのは、だいたいがこういう、他者の言葉に耳を傾けない人だ。そして話を聞いてみると、だいたいそういう人っていうのは、自分の親をひどく憎んでいて、悪口ばかり言っている。
 コミュニケーション能力というのはとくに、環境が大きい。自立するまでの若者の人生のほとんどの時間をすごす家庭という社会で、そこで学ぶべきコミュニケーションを学べなかった者たちが、家庭よりも寒く冷たい他人の社会で、うまく人の間で渡り歩いていけるわけがない。断言するけれど、それは当人のせいじゃない。決して。悪いのは環境で、元凶は親、だ。

 さてさて、そしてこのIT社会である。ノートPCが一台あれば、他者と面と向かって話さなくても、たいていのことはできてしまう。
 たとえば、ピザハットをネット注文して、2ちゃんねるで己の意志や主張を伝えた気になり、eメールで友人知人(がいれば)と連絡を取る。価格ドットコムで欲しいアイテムの情報を入手して、ヤフオクで入札する。エロサイトの動画でオナニーをする。google earthで世界を旅する。
 書き出せばきりがないけれど、こうしてPCに向かっていれば、誰とも会わずにそれなりに一日が終わってしまう。
 かく言うおいらだって、ITにはかなりお世話になっている。このブログだってそうだ。

 今の子どもたちには、少なからずこういった邪魔な道具がある。学校で友達ができなくったって、家庭で孤独を感じたって、ネットで世の中と繋がった気になってしまう。実生活で人の間で学ぶ「恥」や「自尊心」を知らずに、大人にならずに歳だけ重ねてしまう。

 今日ふいに、中学生の頃エロ本を買いにいったときのことを思い出した。家の近くのコンビニで、若者向けのたわいもないエロ本(「投稿写真」とかそういうの)を初めて手に取り、緊張で体中に汗をかきながら、表紙を隠してレジに立った。おいらが差しだしたエロ本を受けとった店員のおばちゃんは、しばらくその本とおいらの顔を見やってから、もう一人の若い店員に小声で「ねえ、ダメよねえ」と言ってから「まだ君にはこういうの売れないの。ゴメンネ」と言った。
 その言葉に対してなんと答えたのか憶えていないけれど、おいらの後ろにはレジ待ちの客の列ができていて、猛烈に恥ずかしくて、でもおいらはバカ丁寧にそのエロ本を雑誌棚に返してから店を出たのを憶えている。
 大人になった今でも、あの時の猛烈な恥ずかしさはよく憶えているし、その話を友達にして笑いあったこともよく憶えている。そして、興味がありながらもなかなか手に入れられない「性」というものに、ますます興味をそそられ、エロいことで頭がいっぱいの健全な中学生になった。
 花村は「順序を踏め」と言う。今のこの世界は、ITに限らず、すべてが多様化してしまったせいで、順序が失われている。すべてが、なんでもあり、になってしまった。
 昔はガキ大将がいた。おっかない近所のオヤジがいた。絶対に刃向かってはいけない先生がいた。わかりやすく「怖いもの」があり、「まだ触れてはいけないもの」があった。
 でも今は、ガキ大将でもおっかないオヤジでも、ナイフで刺してしまえばいいという価値がのさばっている。

 こういう話はきりがないのでまとめようか。
 人の親としていろいろ思う。
 少年よ、とりあえずそのノートPCを閉じて、エロ本を買いにいきなさい。恥をかきなさい。あるいは運良く手に入れることができたなら、チンコが痛くなるまでオナニーしまくりなさい。日に七回しなさい。そして、二次元でない生身の女性を想って、悶々と苦しみなさい。焦がれるあの娘の淡い膨らみに触れるために、自分を磨きなさい。サッカーをしなさい。メシをたらふく食いなさい。好きな科目は必死で勉強しなさい。煙草も吸ってみなさい。悪戯をしなさい。悪さをしなさい。バイトをしてオートバイを買いなさい。弱いものを助けなさい。いい音楽を聴いていい映画を観てたくさん友達と笑いなさい。そして告白しなさい。失恋という最大のお勉強をしなさい。くよくよせずに自分を見つめて、明日を見なさい。そしてまた、メシをたらふく食いなさい。
 君は自由だ。越えてはいけない一線は、おいらが教えてあげるから、悪さもして、たくさん男を磨いて、愛する人を見つけなさい…。そして射精で終わらないセックスをたくさんしなさい。そうしたら君のような素晴らしい子供が生まれるよ…。
 と…、息子が十四歳になったら、誕生日に言おうと思うんだけれど、そのときに「親父に言われてもなぁ…」などと思われないように、おいらも男を磨いていかなくちゃと思います。

「技術は戦争によって躍進し、人は性によって成長する。」とどこかで誰かが言ってました。

 吐露駄文、失礼しました。
 
 

 

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2008/02/13

夏恋し…。

Img_6860
 いやあ、寒いですねえ。そりゃあ二月だもんねえ、寒いよそりゃ。
 おいらは冬も嫌いじゃないけど、さすがに二月くらいになると冬の景色や寒さにも飽きてくる。じわじわ夏が恋しくなってくる。
 そもそもこのオンボロ我が家は、夏仕様にできている。 …なんて勝手な話だけれど、家族四人(もうじき五人になる)にはちと狭く、暖房設備や着物が増える冬は狭くってしょうがない。夏になれば余計な間仕切りは取っ払うし、庭にいる時間が長くなるのでゆったりのんびり我が家を満喫できるのだ。まあいずれは越さなければならないんだけど、海への近さと家賃、そして庭とその周りの解放感はかなり満足してます。
 で、過日。Costcoでリーズナブルでイカす縁台を見つけたので購入した(最近テレビでの露出が多いせいかCostcoが激混みで鬱陶しい。ディナーブレッドなんかに長蛇の列ができてるし、なぜかkirklandのミネラルウォーターも売ってなかった)。
 休日の午前中、庭で遊ぶ子どもたちを眺めながら縁台を組み立てる。これくらいのサイズになるともうウッドデッキと呼んでいいくらいだ。簡単なつくりなので小一時間で組み立てあがる。ちょうど陽があたってきたので座布団を並べて寝っころがる。なんたる暖かさ。寒いのにここだけぬくぬく。縁側の猫になった気分。瞼を通してお日様の眩しさが伝わってくる。子どもたちが庭に段ボールの家をこしらえて笑う声が聞こえてくる。隣の猫がちちちと走るぬける。なんたる小確幸…。
 午後になってお出かけ。縁台に塗る防腐剤を買いにホームセンターへ。ホームセンター大好きのおいらはだいたいユニディか島忠へ行くんだけど、たまには違うところへ、ということで平塚のロイヤル・ホームセンターへ。目当ての防腐剤を買ったあと、以前からさがしていた角形七輪を発見。文字通り長方形の七輪なんだけど、焼く面積が通常の円形七輪の倍くらいあって、BBQにはどうしても七輪を使いたいおいらはずっとさがしていたのだ。たまには行ってみるもんだね、ちがう店に。

 こんな素敵な縁台買っちゃって、夏はこれまで以上に庭にいるんだろうなあ、とワクワクする。長距離がなければだいたい夕方には帰ってこれるから、庭でビールを呑みながらプロ野球観戦して、あるいは夜も外メシして、いや、その前に波乗りにも行けるな。ともあれ、夏、だ。
 


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2008/02/09

青春の輝き…(風味絶佳)。

 午前中だけ働いておトクな休日出勤手当を稼いで近くのディーラーに行って車を見て雪のなか帰宅して家人のつくった月見山かけそばを喰らってから、テレビで映画「シュガー&スパイス」とやらを観た。
 サブタイトルの「風味絶佳」というのをどこかで聞いたおぼえがあるなと思っていたら、原作が山田詠美の小説だった。読んではいないけれど気になっていた作品だ。

 悪くない。
 じっくり邦画を観るのが久しぶりということもあったけれど、やはり映画っていいなあと思った。バカみたいにシンプルに言えば、映画ってのは本当に「一生懸命つくっている」んだなあ、とふんわりと感じた。テレビドラマが手を抜いているとは言わない。ドラマにはドラマの役割と目的があって、それらはきちんと視聴者に受け入れられている(ようにつくられている)。
 だけどやっぱり映画ってのは、すべてのシーン、カットにきちんと意味が込められている。「映画には無駄なカットは一つもない」と黒澤明が言うように、作中のすべてのカットに、なんらかの「意味」が込められている。あらゆる表現からこの「意味」を探り出すことが日常になった「意味の奴隷」が、次は自分で表現を始めるのだ…、と誰かがどこかで言っていたな、そういえば…。
 山田詠美独特のキャラクタ、行動、科白などは、映画の中ではやはり浮いてしまう部分があった。致し方ないところだ。山田詠美の、ぼくらの日常と違う流れの価値観は、彼女の小説の中だからこそリアリティを持ち、小説を読んでこそそのリアリティはぼくらのリアルになる。原作を基にして他の誰かがつくった映画では、そういう部分が劣ってしまうのは当然だけれど、もったいない気がするのも事実だ。
 ただ逆に、活字の原作では表現できない部分に関して言えば、うまくこしらえた映画だとおいらは思う。
 ビジュアルの力だ。犬小屋の前に跪いて犬を撫でる柳楽優弥くんの姿…。雪の山中を走る紅いアメ車の後ろ姿…。湖畔で富士山を眺める夏木マリの後ろ姿…。そういうのは、総合芸術と呼ばれる映画だからこその表現で、映像を読者の想像力にまかせてしまう小説では出し尽くせない部分だ。
 そしてもちろん音楽。本作でのoasisもまたスタイリッシュに作品に貢献している。
 じつにpopだ。oasisもじつにpopだ。考えてみれば山田詠美もpopだ。popでありながら、おいらの人生のベクトルにも多大な影響を与える山田詠美という小説家は、ある理想の形だと言ってもいい。

 しかしともあれ、この映画の最大のポイントは柳楽優弥くんの「青春の輝き」だろう。十代のある特定の時期にしか出せない若者の無垢で純粋な横顔…。それを奇跡的にフィルムに残せる者は幸せだ。前途有望な彼が今後どのような役者になっていくのかは知るよしもないけれど、この映画における彼の「青春の輝き」は、もう二度と見れないだろう(って、彼はまだ若いのかな?知らないけど)。
 逆に、力を入れて輝かそうと演出しているヒロイン、沢尻エリカのほうには、あまり青春の輝きが見られなかった。彼女の青春の輝きのピークは、なんと言っても「パッチギ!」だろう。そういう意味に限定して言えば、彼女は一生あの役を超えることはない。

 今日も悪い癖で説明不足の抽象的駄文になっているけれど書いてしまったものはしょうがない。ブログだし。
 ともあれ、青春の輝きというのは眩しいものだ。テレビのリモコンを取るのも億劫になり、加齢臭の風をじわじわ感じているおいらもまた、若かりし頃の青春の輝きに眩しさを感じずにはいられない。だけどそうやって、枯れて老いていってこそわかることがたくさんあるということも、経験から学んでいる。おいらたちは、朽ち果てるために生きている。夏木マリは、大根なりにいいキャラクタを演じていた。
 青春の輝きを永遠にしたいのならば、輝いているうちに死ぬしかない。ジミー・ディーンやシド・ヴィシャス、山田かまちに太宰、ジミヘンやボブ・マーリー、マーク・ボランにジャニスにカート・コヴァーン、そしてジョン・レノン…、数えだしたらきりがないけれど、若き夭折は、今もまだ眩しい。
 もちろんおいらは、そんな眩しさよりも、晴れた朝に縁側で味わう太陽の眩しさを選ぶけれど…。
 にしても、柳楽くんはいいね。まだ輝きがあるうちに、才能のある監督にいい映画を撮ってほしいけれど…。ciao!

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2008/02/03

旅路の果てはいつも我が家…(トラック乗りの記録)。

20080201071207
 最近、順調に長距離の仕事をこなして、それなりに経験と金を稼いでいるおいらです。

 一昨日は長野県松本市へ。初めてだし雪の心配もあったので前夜のうちに出立。厚木から、交通量のほとんどない甲州街道をひた走ると、二時間ほどで山梨県大月市を通過…。おいらが幼少期を過ごした街だ。
 あれほど長く感じた小学校への通学路が、トラックで走ってみるとなんと短いことか。あっという間に通りすぎる。街の道も思っていたよりずっと狭い。街はしんとしている。わけもなく目頭が熱くなる。
 ひどく揺れる暗い大月橋の歩道を、東京の塾から帰ってきた少年が独りで歩いているのが見える。幻だ…。あれは幼い頃のぼくの姿だ。子供の頃歩いたこの道を、三十すぎになったぼくがまさか仕事でトラックに乗って通るとは思わなかった。

 懐かしさにほっこりしながら走りつづけ、社長に言われたとおり甲府ICから高速に乗る。中央道もやはりガラガラ。道中向かって左側の彼方に、ライトアップされたスキー場が見える。忘れていた眩しい景色。最後にスキー場を訪れたのはいつだったろうか。なんだかワクワクしてくる。湘南に越してきて海は日常になった。次は山に行きたい!と独りでテンションが上がる。
 一時間弱走って、松本IC手前の諏訪湖SAに到着。今日はここで眠る。
「諏訪湖SAには温泉もあるからゆっくり温まって行きなさい」と出発前に社長に言われたのだけれど、営業時間はとっくに終わっている。完全にだまされた。だけど憎めない社長…。
 それにしても長野は寒い。寝るときはエンジンかけて暖房を入れるので問題ないが、外気との温度差がすごくて、便意を催しても外に出る気にならない。
 温かい山菜蕎麦をすすって眠る。信州蕎麦に期待していたのだけれど、格段美味くもない。SAだから当たり前か。お土産に信玄餅と半生蕎麦を買う。
 午前八時起床。眼前の諏訪湖がカッチコチに凍っていて、乱反射された朝日が眩しい。おいらのトラックの前に一台のアウトランダーが停まった。三十代くらいの夫婦が降りてきて、続いて小学生くらいの男の子が出てくる。一人、二人、三人、三つ子だろうか。車上のラックには数本のスキー板、開いたリアハッチから車内にギュウギュウに詰めこまれた荷物が見える。白い息を吐きながら走る子どもたち。それを眺める夫婦。なんとも愉しそうだ。
 おいらは眠くて寒くて煙草の吸いすぎで口が臭くて独りぼっちでへこたれそうだったけれど、彼らを見て自然と笑みがこぼれた。おいらもがんばっていつかみんなを連れてスキーへ行こう。
 しばらくして目的地の松本へ。木々から洩れる白く眩しい朝日に照らされたあがたの森公園はとてつもなく美しく、河原の雪景色の壮大さに目を奪われる。ドラマ「白線流し」を思い出した。あれの舞台はこの辺なのかな。わからない。

 ともあれ無事に仕事を終えて、金曜日なのであとはゆっくり下で帰って家でみんなで飯を食ってビールを呑んでゆっくりするだけだ、と思っていたら社長から電話。月曜日着の四日市便の仕事が出たので、高速で帰ってきてほしいとのこと。ならばと峠を越えて諏訪ICから高速に乗るが、ふたたび電話。今日積み込みする荷物が仕上がらないので、土曜日積み込みの日曜日着になってしまったが行けるだろうか?とのこと。つまり休日出勤。土曜日は家人の誕生日なのだけれど、休日出勤は金になるので即答。行きますです、ハイ。
 夕方茅ヶ崎に帰って、運転中に履くようにとアディダスのシャワーサンダルを買いにいって(季節はずれなのでなかなか見つからず)、家でピザハットにかぶりついてビールを呑んで、疲れていたおいらは独り早めに就寝。
 翌朝。ゆっくりたっぷり眠って近所に買い物。昼寝をしてから午後四時出立。四日市へ。たっぷり休んだおかげで元気いっぱい。早めに出たのでSAでもたっぷり時間があってゆっくりする。近々購入予定の新車のカタログを眺めて静かに興奮しつつ、就寝。
 
 今日。いつもなら半分は一般道路を使って帰ってくるのだけれど、休日出勤で手当も出ているし、家人の誕生日(昨日)ということで、半分自腹を切って高速で帰る。奇しくも関東地方は大雪で、峠越えは厳しかったので、ちょうどいい。とはいっても御殿場付近で乗用車の事故がありしばし渋滞。セダンが単独でひっくり返っていたけれど、どうやったらあんな状態になるのだろう。
 夕方。神奈川はすでに雨になっている。昼飯を食べてなかったので、帰りに産業道路の「神龍」という長浜ラーメンの有名店へ。なるほどさすが。納得の美味さ。詳細は後日。

 自腹を切って高速に乗ったので財布が寒くなっていたのだけれど、うまいこと計算して、家人のためにピンクの花束とチーズスフレを買って帰宅。スフレには33のロウソクを立てて…。お互いもう三十三歳になるのかぁ…。いろいろあったけど、とりあえずおいらは君といっしょになって幸せだなあ。どうなんだい、君のほうは?
 ともあれおめでとう。そして今後とも末永くよろしく。いつも言っているけれど、あらゆる物事から何かを学ぼうという姿勢を持ちつづける限り、歳をとるということは素敵なことだよ。お互いに素敵な歳のとりかたをしようね 。with love.

 運転中は雑記にしても小説にしても書きたいことが次から次へと溢れてくるのだけれど、帰ってくると安堵と幸せに包まれて忘れてしまうな…。これからはきちんとトラックの中でノートにメモしよう。

 ともあれ、あいかわらずいろんなことに流され、迷いつつもどうにかおいらは生きています。押しつけられた孤独につぶれそうなときもあるけれど、いつも旅路の果ては我が家…。道のりがきつければきついほど、トラックの中で身を縮めて眠るのが窮屈なほど、帰ってきたときの我が家は温かくて、布団は気持ちがいいです。
 余談だけれど、仕事をリセットできる環境がなかったら、この仕事はきついかもね。家に帰って誰もいなかったら、トラックの中で呪いの言葉を独りごちて、社会を憎悪してしまうかもしれない。

 次回は「茅ヶ崎ラーメン戦争」あるいは「新車購入計画」です。多分。今日のサザエさんは面白かった。おやすみ。

※写真は朝の諏訪湖SA
※※年賀状を返送していない方々、ごめんなさい。なんらかの手段で連絡します。気長に待っててね。 

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2008/01/16

Memento mori…(最近思ったこと)。

Img_6673 徒然なるままに、最近思ったこと。

 過日。DVDで「ROCKY BALBOA」を観た。予想どおりトホホで残念な仕上がりになっていたけれど、思春期をRockyと過ごしたおいらはとりあえず満足。彼も図太い声で言っていたよ。「Keep moving forwrd」って。大切なのは、自分が前に進んでいると、日常で実感できること。その実感が、ますます歩を進めてくれる。でないと、ゴキブリホイホイに捕まったゴキブリのようにその場でグズグズしつづけることになる。やりたいと思ったことはとりあえずやってみる。人生には限りがある。
 過日。テレビでロバートの山本がボクシングのプロテストに挑戦していた。残念ながら合格には至らなかったけれど、素敵なチャレンジで、今後もボクシングを続けるそう…。
 奇しくもその直後、他のチャンネルで川嶋勝重の世界戦を観る。川嶋はいつになくコンディションが良さそうで、中盤から王者を圧倒し、解説のガッツや内藤も完全に川嶋の勝利を予想したのだけれど、結果は3-0で敗戦。ガッツは「おかしい!」と憤っていたけれど、たしかに川嶋はあと一歩が出なかったかもしれない。対して王者は疲労の限界ながらもパンチを出しつづけ、それが勝利に繋がった。あっさり負けを認めて王者に拍手を送った川嶋は直後に引退を表明。まだまだやれる気がするけれど、彼には彼の考えがあるのだろう。よくやった。お疲れさま。
 そういや先日は長谷川穂積が見事な勝利を治めた。彼は今乗っているね。この調子でアメリカに渡ってほしい。
 その辺の影響で、ボクシング雑誌を立ち読みする。とてつもない選手がいるようだ。フロイド・メイウェザー・ジュニア…。39戦39勝25KO無敗。5階級制覇。
 YouTubeで試合を観てみると、本当にすごい。世の中にはいろんな天才がいるけれど、彼こそが本当の天才だ。彼こそがボクシング史に残るpound for poundかもしれない。まあでも全盛期のタイソンを考えるとな、あれは怪物ですから。ちなみにデラホーヤもまだまだ強いよ。バカっぽいところがcoolだ…。
 考えたら、若い頃からボクシングが好きだったおいら、こうなったらおいらもジムに入っていずれはプロテストに挑戦してみるか!とナイスなアイデアに心躍らせたのも束の間、プロテスト受験資格は三十二歳まで。七月に三十三歳になるおいらにはとてもじゃないが時間がない。瞬時に断念。だけどプロにならなくったっていい。生活が落ち着いたら、近くのジムに入ろう。

 過日。一月はヒマで、一日中仕事がない日があったので、車庫のトラックの中で小説を読む。読みかけのヴォネガットを忘れたので、以前買ってリュックに入れっぱなしだった「天国で君に逢えたら」というプロウィンドサーファーが書いた小説。文章は拙く展開も薄いが、癌に携わる人々を健やかに明るく描いていて、心に響くものがある。作品自体はともかく、作者自身が末期癌に冒され、これを執筆することで生きる意志を取りもどしたという事実的側面が大きい。まさしく遺作である。
 作中で、ハワイに住む末期癌患者がカイトサーフィンに出会い、衰弱した体で一世一代のジャンプを決めるところがある。死を想った者は、たくさんの大切なことに気がついていく。本当にグズグズしてられない。やりたいことがあったら、今すぐはじめよう。そのために、死を想え、諸君。

 過日。ホノルルマラソンのドキュメンタリーを観た。スポンサーが日本企業ばかりで興醒めだったけれど、やはりハワイのあの素晴らしい景色の中で自分の限界に挑戦できるのは魅力的だ。いつかおいらもホノルルマラソンに出て、完走したい。

 波乗りや写真ももっと本格的にやりたいし、満足のいく小説も書き上げたい。古くても解放感のある広くてステキな日本家屋に住んで、家族と笑いたい。クレパス画もやりたいし、書道や篆字もやりたい。あれもしたいこれもしたい。あれもほしいこれもほしい。
 そのために今できることは何かっていえば、たくさん働いて、煙草をやめてたくさん走って心と身体の体力をつけて、いっぱいいっぱい他人に与えることだと思う。
 幸せとは「足ることを知ることだ」と誰かが言っていた。他の誰かは「ずっと笑っていられることだ」と言った。生き方はいろいろあるけれど、とりあえずやったもん勝ちでしょう。笑って笑って。ciao!

※写真は本文と関係ないのねえ。我が家の姫なのねえ。親バカなのねえ。

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2008/01/12

忘れていた冬の寒さがようやく届いた今日…(休日の記録)。

Img_6725 午前九時起床。県内の温泉、スーパー銭湯を特集した「Yokohama Walker」を布団の中で眺める。みんなでゆっくり朝食の卵雑炊を食べて、昼前に出立。
 一号線の「すきや」で昼食をとってから、いつものCostcoへ。妊娠中の家人が喉から手を出して欲するペリエを2ケースといつものディナーブレッド、ミネラルウォーター、高カロリーケーキなんかを買って、自家用車のワイパーを新調したり、いろいろ買い物をして帰宅…。
 浴室の天井、側壁のカビをカビキラーでやっつけて、三連休の初日終了。

 明日はお弁当をつくって江ノ島水族館に巨大なダンゴムシを観に行って、どこかの風呂屋に寄ってくる予定。天気が良ければひさしぶりに七里ヶ浜のフリマにも行こう。時間があれば書斎の本棚もつくりたいし、やることはたくさんある。ともあれ。
Img_6710

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2008/01/11

Doughnut Addiction…。

20080110195609
 運送業界、一月はヒマなようで、カレンダーどおり明日から三連休…。正月ボケが治ったかな…、と思った矢先にまたボケてしまいそうだ。

 最近ふたたび、あらためて「生きている」実感を得ているおいらだ。
 仕事はなかなかきついけれどそれは書くまい。おいらの放つ言葉は、おいらに返ってくるのだ。光ある言葉を放とう。
 人や場合によっては鬱陶しいと受けとられてしまう前向きで理想論じみた言葉ばかり書いていて、自分でもすこし辟易していた向きがあったのだけれど、正月に親父の話を聞いて、考えを確固たるものにした。いいのだ。前を向くのだ。そういう言葉だけ選んで語るのだ。泥の沼に沈んだ言葉は、表現に昇華させればいい。
 それはともかく…。
 それなりに自分の時間が持てるようになり、とても愉しい。
 小説や映画、音楽についてじっくりのほほんと考えたり接したりできるようになったし、今日なんかはひさしぶりにクラシックギターを弾いて、指の腹の痛みに耐えて「アルハンブラ宮殿の思い出」の主旋律だけ奏でて、ちと感動したりした。今年の抱負じゃないけど、アルハンブラは今年中に極めよう。あとカート・ヴォネガットの代表作もすべて読もう。そしてベスト体重に向けてきちんと走ろう。

 転職してかなり太ってしまったのは以前にも書いたけれど、それと関連して、最近甘いものに目がないおいらである。いわゆる(?)ドーナツ中毒というやつだ。
 そういえばいつのまにか我が国からはアメリカの最大手ダンキンドーナッツが消えてしまったけれど、ドーナツ文化を継承したミスドが健在だ。あまりにスイートで高カロリーなのでひかえてはいるけれど、ミスドのショウウィンドウに並ぶドーナツの種類を空で言えてしまうくらいに、依存しているおいらだ。基本はエンゼルフレンチとチョコファッション…、ポン系は邪道だ。
 って、書いていて自分でも気持ちわるいな。三十路のドーナツ依存…。
「人は成すべきことを成したなら、ドーナツを好きなだけ喰らって死ぬべきだ」
 と、かのエルヴィス・プレスリーが言ったとか言わなかったとか…。そんな話を聞いたり聞かなかったりしたわけだけれど…。
「ボストンに住むにあたって、生ビールとダンキンドーナッツのない生活はありえない」
 と村上春樹も言っている。あれ?ボストンじゃなかったっけ?まあいい。
 ともあれ、ドーナッツというのは、みんなが思っている以上の世界規模の腕力を備えている食品なのだ。人生のご褒美になりうる希少な甘味である。

 ね、馬鹿でしょう、ドーナッツを語るパパ…。でもいいのだ。我慢して我慢して、たくさん仕事をして、たっぷり好きなことをやって、決めた日に一日だけドーナッツをたくさん食べてコーヒーをがぶ飲みして家族で笑う。
 哲学書か国語の教科書の最後のページに書こう。
「理想の人生とは、ドーナッツを好きなだけ食べてもデブにならない生活を営むことだ」
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2008/01/05

2008…(正月の記録)。

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 元日。東京の両家の実家に新年の挨拶に。親父にはいつものように前向きで素敵な言葉を聞かせてもらい、お義父さんや家人の兄ちゃんたちにも会えて愉しかった。家人の実家に泊めてもらい、二日に帰宅。しかし実家の布団てのは気持ちがいい。

 三日。初ランニング。年末に新調した冬用ランニングウェアに身を包み(ユニクロだけど)、ひさしぶりに海まで走るも、ブランクが長かったせいで膝や足首に鈍痛が…。しかも転職してから一ヶ月で五キロも太ってしまったので(前は三キロと書いたけど…、嘘です、ごめんなさい)、身体が重く、情けなくもほとんどウォーキング。
 ちょうどR134で箱根駅伝をやっていて、隣のシゲさんファミリーとしばらく応援。ようやく最後尾が走り抜けて、おいらは海へ、ランニングならぬ散歩のつづき…。サザンビーチまで早足で歩く。
 快晴で気温も高かったので、箱根駅伝を応援しに来た人たちがそのまま海で遊んでいて、なかなかの混雑。でもとても気持ちがいい。携帯で写真を撮って、少しだけ走って、帰宅。
 午後は家族でスーパー銭湯。今回は藤沢の「いこいの湯」。なかなかいい感じだけれど、やっぱり総合的には茅ヶ崎の「湯快爽快」のがいいな。正月なのでメチャクチャ混んでた。
 カート・ヴォネガットの文庫本を二冊と、激安MP3プレーヤーを買って帰宅。

 四日。仕事初め。とはいうものの、取引先のほとんどはまだ正月休みなので仕事がなく、一日中事務所に引きこもって終わり。おかげで煙草を吸いすぎて気持ちが悪い。

 今日。昨日に引き続きみんなほとんど仕事がないが、午後になって積み込み。月曜日朝着の四日市便。ってことは日曜日の晩に出立せねばならない。稼ぐぞお。
 定時に帰宅後、独りで近所のインターネットカフェへ。というのも、過日に購入した激安MP3プレーヤーがMacに対応していなくて、Win機を使う必要があったのだ。
 説明させてちょうだい。
 周知の通り、重度のりんご(Apple)病を患っているおいらだから、iPodを買いたかったのだけれど、いかんせんおいらのMacが古すぎて現行のiPodが使えず(OSをヴァージョンアップすれば使えるのだけれど、スペックがOSについていかない。だからiPodを買うときはiMacを買うとき)、ならばFMトランスミッター内蔵で1Gながら八千円弱という激安のプレーヤーをつなぎに買ってしまおうということになったのだ。
 もちろんMacには対応していないのだけれど、ネットで調べたところ使えなくもないというので購入。ところがやはり使ってみると不具合発生。ファイルごとに疑似ファイルのようなものが勝手に作成されて、スキップできない(つまり一曲再生すると自動的に止まってしまう)。そしてフォルダごとの操作ができないので、選曲が非常に困難(たとえば十枚目のアルバムの曲を聴くには百曲ちかくスキップしなくてはならない)。
 こりゃ使えん!ということでネットでふたたび情報を集めると、さすがにマイナーブランドの激安機種ということで不良品も多いとのこと。とりあえずWin機で試してみましょうと、ネットカフェへ(考えたら会社にもPCがあったな)。
 で、ファイルを入れ直してみたらあら簡単…、あっという間に正常動作を取りもどしましたとさ。これで長距離も愉しい時間になりそうだ。
 にしても、昨今のネットカフェってのはすごいんだねえ。三時間千円で、漫画に雑誌にネットにビリヤードにダーツに卓球にDVDにゲームに飲み放題で超快適リクライニングシートに毛布…。不味そうだけど食事のメニューも豊富だし、ビジネスホテルやカプセルホテル(今もあるのか?)に泊まるくらいだったら、こっちのが断然いいものね(ネカフェ難民とやらは、まずこの快適な住環境を捨てなさい。あ、風呂がねえのか)。
 たまには家族で行ってみようかしら。子どもたちにはアニメ映画でも見せて、おいらは玉突きやって、家人には家事を忘れて漫画でも読んでもらったりして…。茅ヶ崎のアウトドアを満喫するのもいいけれど、たまにはインドアも悪くない。自然に触れるのも大切、表現に触れるのも大切。
 考えたらおいらは家に読みかけの小説が溜まっているし、庭のリクライニングシートのほうが心地よいし、Macもあるので、あまりネカフェは意味がないかなとも思ったのだけれど、三時間千円で玉突きができるのはいいね。ひさしぶりにはまってみようかな。マイキューどこにしまったっけ?(笑)

 明日はランニングをして、時間があったら市営ジムへ行って汗を流そう。たっぷり昼寝をして、夕方出立予定。Drive safe.ciao!

 

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